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1月29日(火)遊び その1

2011-11-29 10:37:21 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
1月29日(火)遊び その1

震災で遊び場を失った子ども達の体力が衰えているという。特に放射能汚染が心配される地域では、親が外で自由に遊ばせることを躊躇するから、その影響が大きいようである。遊びはからだを動かすことだけではない。マージャンもパチンコも遊びだ。

遊びはしなくても直ぐ生死に関わることはない。実際食うや食わずのぎりぎりの生活を余儀なくされている人には遊ぶ暇などあろう筈がない。人間以外の動物もほとんどは遊びを知らない。肉食動物の子どもがじゃれ合って遊んでいるように見えるのは狩の訓練をしているのであって遊びではない。

純粋の遊びを発達させたのは人間だけである。極端に言えば無くても生死に関わらない遊びはなぜ生まれたのだろうか。常識的に考えて余裕のないところに遊びが生まれるはずがない。生きるのが精一杯だった古代には遊びは無いに等しかった。中世になっても庶民はほとんど遊びには縁がなかった。遊びが許されたのは貴族など一部の特権階級だけだった。

やがて生活に余裕が生まれるにしたがって庶民にも遊びが広まる。日本で言えば江戸時代に入ってからだろう。世界的に見れば近代市民革命が特権階級を粉砕し、市民階級が自由を享受できるようになって遊びは一挙に大衆化したといえる。

しかし、遊びの大衆化は安定を志向する近代社会と矛盾する要素を抱えている。遊びの中でも最もスリリングな賭博はその破壊性ゆえに禁止されているのがその例である。(この項続く)