【地上の子】ジョン・コリア
さて、今回でようやく最終回です♪(^^)
と、同時に早速言い訳事項が……いえ、拘置所内の描写に関してなんですけど、実は100%間違っています
いえ、これはあくまで第一稿目の原稿といいますか、わたし実のところ前の話のカルテット。を書くまで、拘置所と刑務所の違いすら知らなかったというヒトです(^^;)
なので、最初に↓みたいに書いておいて、あとから調べて最後に直そう☆とかいいかげんなことを思っていたところ……拘置所っていうのは独房で徹底的に内省を促すといったような場所らしいと、本で読んだんですね。
じゃあ、そのあたりのことについては全部書き直さなきゃと思ったんですけど、例によって面倒くさくなり(ヲマエ☆)、とりあえず大体のところ意味さえ通じればいいや……といったことになりました
もちろん、書き直す機会があれば書き直そうとは思ってるんですけど(^^;)
あと、わたしはクリスチャンなので、作中で描かれてる死生観はわたし個人の思想とは異なるものとなります。
単に、日本人の一般的な死生観としては仏教+アミニズムが一番受け容れ易いとわかっているので、こういう形にしてみたというか(^^;)
その手前に来てる花原さんのエピソードは、「なんか特にいらないよーな」と思ったものの、まあ最初のほうに変人として話ふってあるので、一応最後にその回収(?)をしたっていうことですかね(笑)
まあ、どうでもいいよーなことなんですけど、このお話の中には、わたしがワープロ使って小説書いてた頃の短篇が三つ、細かいエピソードとして混ざっていたり。。。
「ある外科医の憂鬱」、「熱望する者」、「動物たちの王国」っていうお話なんですけど、「ある外科医~」はクマちゃん先生と葵美奈子ちゃんのお話で、クマちゃんは仕事がルーティン化して鬱病になっていたところ、美奈子ちゃんとの恋で救われる……といった内容だったと思います。「熱望する者」は、病棟の白百合、マドンナとされる看護師さんが主人公のお話、そして「動物たちの王国」が花原さんと雁夜潤一郎先生のお話だったと思います(笑)
いえ、実際にはこっちのお話の雁夜先生と手負い~の雁夜先生は、ほとんど別人といっていいと思います。んで、このお話の中でついうっかり花原さんに手を出して顔に引っかき傷つけられたのが、実は雁夜先生ということになっていて。でも最後には結ばれて、花原さんの動物狂いに雁夜先生がつきあい、一緒に写真を撮るようになるという……で、病棟の看護師さんがそんなふたりの動物自慢や写真自慢を聞いていて、「おまえらは林家ぺーとパー子か☆」と突っ込むというオチ。。。
なんにても、ここまで物語につきあってくださった方、本当にありがとうございましたm(_ _)m
それではまた~!!
手負いの獣-25-
こうした色々なことが一年の間に起きるうちに、翼はある時、ふと自分がK病院にすっかり<馴染んでいる>と感じるようになっていた。外科病棟の永井主任からは、「結城先生もだんだん、血の通った人間になってきたみたいですね」と近頃では言われるようになり、自分ではどこらへんにその<差>のようなものがあるかはわからないのだが――それはもしかしたら、山田優太の最後の置き土産のようなものだったかもしれない。
茅野医師と高畑医師がいなくなり、若いながらも部長職に昇進したせいか、上に誰も人がいない分責任は感じるものの、その分自分のやりたいようにやれるというやり甲斐と充実感も増した。目下のところ、K病院の消化器外科チームは結城チームと呼ばれており、なかなかに面白い人材が顔を揃えていたといえる。
完璧主義で几帳面だが仕事のノロい(マイペースともいう)斎木充と、対称的にせっかちで、多動症を疑いたくなるような頭の切れる加瀬学、おそらく一生治らないであろうギャンブル狂の麻酔科医・戸田道生、翼の元でだけ手術室でもエロ口を解禁させる江口悦子、また、オペ室最大の変人と言われる花原梓にも、翼は彼女の休暇が終わったのちに会っていた。
正直なところをいって、オペ室の看護師長の花原梓が、それほど変人であるとは最初翼は思わなかった。患者や周囲のことによく気を配れるだけでなく、手術の進行をよく見ており、とてもスムーズに器械出ししてくれるので、翼としては『仕事さえ出来りゃ、それでいいじゃん』という、彼女はそのような人物であったと言ってよい。
もっとも手術中はおそろしい目力でこちらを睨みつけてくるので、正直、彼女が自分に気があるのではないかと錯覚する感覚は翼も味わった。それと、オペ室の片付けが終わったあとに、ほっと放心して花原が休憩室でジュースを飲む姿を見て――もし内藤医師からあらかじめあの話を聞いていなかったら、もしや自分も同じ轍を踏んだのではないかと思いもした。
そしてその時には(触らぬ神に祟りなし)と思い、ただ目の前を通りすぎたのであったが、その後偶然、オペ室付きの看護師たちの休憩室で一緒に食事する機会があり、初めて翼は花原の本性といったものを垣間見ることになったのである。
「でねでね、先生。これがうちで飼ってるモモンガのモンちゃんとガンちゃんとモモちゃん。とっても可愛いでしょう?このつぶらな瞳がとってもキューティなの。先生、モモンガって夜行性なんですよ。で、夜空をバサァッて飛ぶんです。こう、バサァッて」
そう言って実演しはじめる花原のことを見て、翼はどうしたらいいのかわからなかった。ちなみに、他にいた看護師たちや滅菌専任の看護助手数名はぴくりとも笑っていない。みな一様に、この話は数百回聞かされたという顔をしているのみである。
そして花原は十数枚あるモモンガを撮影した写真を脇にのけると、他に家で飼っている六匹の猫、七匹の犬、オウム・鳩・セキセイインコといった鳥類の写真、イグアナ、カエル、うさぎ、ハムスター、モルモット……その他、自宅で飼っているという色々な動物の写真を翼に次々見せていった。
「これがイグアナのランちゃんで、うさぎはミミちゃん、ハムスターは空太郎っていうんですよ、先生。モルモットはカイちゃんでしょう、カエルはぴょん吉くん~!!さあ、先生クイズですよ。さっきうちで飼ってる可愛いネコちゃんたちを紹介したでしょう?これ、なんていう名前かわかります?」
「えっと、なんだっけ……」
丸々と太った三毛のデブネコの写真を見せられ、翼は首を傾げる。正直、適当に流して聞いていたので、名前などまるで覚えていなかった。
「やっだ、先生。この子は三太郎ですよ、さ・ん・た・ろ・う。クリスマスの日にやって来たから、サンちゃんっていうんです。ちゃんと覚えてくださいね。じゃあ、次いきますよ。ズバリ、この子のお名前は?」
だらりと舌を垂らした小汚い模様の雑種犬を見せられ、翼はまたしても「う~ん」と唸らざるをえない。
「3・2・1……ブブーッ。時間切れです。この子はショコラちゃんって言いま~す!!なんでもなめるのが大好きで、わたしの口にもすぐ舌を入れてくるんですよ。まったくもう、困った子!!」
ペンペン、などと、写真の犬の尻を叩いているあたり――(この女、本物だ)と翼は思った。(つーか、そんななんでもなめまわす雑菌だらけの舌でディープキスされてもな……)などと、呆れたように花原のことを見返してしまったほどである。
そして周囲の人間たちはといえば、それぞれが仲の良い同士で小さく固まって小声で何かを話し合っている。ようやくこの段になって翼も悟った。おそらく花原と休憩室で一緒になった場合、誰かが彼女のペット談義の犠牲者にならなくてはいけないのだと……。
翼はその後も、「犬のチンチラの名前はミカエラちゃん」だの、「黒ネコのロクスケはやんちゃな暴れん坊」だのいう話を聞かされ、(いいかげん、誰か俺を助けろ)というSOS信号を送ったが、誰も受信してくれる者はなく――休憩時間が終わった頃には、手術をしている時以上にぐったりと無意味に消耗しきっていたといって良い。
のちに、江口悦子は喫煙室で一緒になると、「だからあの人、絶対頭おかしーんですって。仕事が出来るから誰も逆らえないけど」と、しみじみした口調でそう語っていた。これでようやく先生にも、あの人の下で働くわたしの苦労がおわかりでしょう、といったように。
そして、以前内藤医師が言っていたことを翼は不意に思いだしていた。『遠くから見ている分には面白いけど、花原さんは絶対に男が近づいてはいけない女性だ』と……。また、高畑医師が彼女の器械出しの技術に感嘆するあまり、『花原さんは看護師ではなく医師になるべきだった』と言ったという言葉も覚えていたが――今となっては翼はこう思う。オペ室の看護師長である花原梓は、看護師でもなく医師でもなく、おそらく獣医になるべきだったのだろうと。
* * * * * * *
拘置所の起床時刻は、毎朝七時だった。だが優太は何故かいつも、七時になる二分前か三分くらい前に目が覚める。そして起床を知らせるベルが拘置所の館内に響き渡ると同時に、一気に体を起こし、他の六名ほどの同室者同様、キビキビした動作で布団をあげるのだった。
身だしなみを整え、朝食をとったあとは、部屋の掃除がある。優太は新参者だったので、まずはトイレ掃除の係を命じられていた。だが特別同室者の内に是非ともいじめを奨励しようといった者はなく、掃除の手順も実に丁寧かつ親切に教えてもらい、相手の人物もまた自分と同じ人殺しなのだといったように考えることは、ほとんどなかった。
それから拘置所内にある畑で、夕方まで野良仕事をして過ごし――休憩時間には、自分宛てに届いた手紙を読みながら過ごすことが、優太は多かったかもしれない。結城翼、高畑京子、溝口篤、内藤数真……他にもK病院の医師や看護師、現在入院中の患者や、あるいは以前関わったことのある患者の家族などなど、何十通となく届いたそれらの手紙を、優太はただ一度だけでなく、何度もその言葉のひとつひとつを味わうように、繰り返し読んでいた。
また、一通の返事を書くのにもとても時間をかけた。その作業を切りのいいところまで終えられる前に、就寝時間がくると――とても残念であると同時にイライラもしたが、横になっているうちに自然とそのイライラ感もおさまり、また元の<静穏>といっていい、精神のバランスのとれた状態が優太の内側には戻ってくる。
最初のうち、同室者の歯ぎしりやいびきがうるさくて眠れないということもあったが、今ではそれら<現実>のものとはまったく別に、精神世界に魂を飛翔させるというのか、何かそうした術を優太は身につけていたかもしれない。
今こうなってみて優太が一番思うのは、諏訪晶子を殺したことも、金井美香子を殺したことも、すべてが夢のようだったということだろうか。もちろん、諏訪晶子にも金井美香子にも家族がおり、公判ではその人たちの厳しい眼差しにさらされることになるだろうとも、優太はよくわかっている。
医師として立派に育てた娘を殺された、また両親にとっては<気立てのよい>娘を殺された遺族の気持ちは、その絆を絶った側の優太には、計り知れないものがある。同じようにおまえも死刑になって死ねばいいと言われてしまえば、優太にもただひたすら同意するしかないことでもあった。
自分は一体どこで人生を誤ったのかと考えた時、優太としてはやはり、復讐目的でK病院に勤務しようと思ったことが、最初の間違いだったという気がしてならない。いや、それとも友人に健康診断のチェックを依頼された時に、きっぱりと断るべきだったのだろうか?なんにせよ、自分はあのまま接骨院の助手として、コツコツ金を貯めるなりなんなりして、その後自分も治療院を持つなり、あるいは医大に入り直すなどすれば良かったのだろう。
だが、やはり優太は自分の選んだ道を後悔していなかった。何故なら、最初の動機が復讐目的であれ、優太はK病院で高畑京子という女性に出会えていたからだ。正直、京子のゴルフの腕前がセミプロ級だと聞いた時、優太の心の中にあった計画というのは、次のようなものだった。
(よし。まずはゴルフをはじめて、教えを乞う振りをしながら高畑京子に近づこう。そして、彼女に恋をしている振りをしながら、いずれ高畑家に乗りこむ……高畑錬三郎は、かつて自分が破滅に追いやった一家の息子を義理の子とし、やがて内部からすべて奪われ壊れていくのだ)
しかしながら、そのような醜い憎しみに満ちた計画は、優太が思っていた以上に極めて初期の段階ですぐに崩壊した。優太は高畑京子のことを知る過程で、人間としても女性としても彼女のことを本当に好きになっていたからである。そしてそうした感情を抱いている女性に対し、復讐の道具とすること自体、もはや不可能なほどに京子への想いは深まっていった。
手紙に、『初めて会った時から好きだった』と書いてあるのを読み、優太は思わず苦笑いしていた。『もし、あなたが父への復讐を告白してくれていたら、わたしは喜んで奴隷のようになんでも協力したでしょう』とも……そしてあらためて思う。そのような道に彼女のことを巻き込まなくて、自分は本当に良かったのだと。
優太は今、もうこれで『医師であるという振り』を続けなくても良いという安心感、良心の呵責からの解放感、心からの平安といったものを手に入れるのと同時に――拘置所という檻の中にいながら、ある場所にずっと拘束され続けなくてはならないという不自由さの中で、肉体を超えた魂の自由といったものを手に入れていた。
そしていつだったか、患者の幾人かが言っていたように、自分もまた近ごろ、<向こう>から呼ばれているなと感じていた。もちろん、その<向こう>というのがどのあたりなのかは、優太自身にもわからない。それに似たことを言っていた患者の中には、キリスト教徒もいれば仏教徒もおり、他に信仰する特定の神を持たない人もいたのだが――優太自身は、そうしたすべての人が持つ<共通の意識性の世界>とでも呼ぶべきものに、自分は呼ばれているといったように感じていた。
それはたとえば、ある日夢を見ていて野原を虹の向こうまで歩いていったら、その虹の向こうがあの世だったというような、そうした感覚に近いかもしれない。そこには優太の死んだ父もいれば母もいるし、彼らはすでにすべての人間的苦悩・苦痛といったものから解放され、穏やかにに暮らしているに違いないのだ。
優太は父が死に、母もまたその後を追うようにして自殺した時、自分もまた同じように死のうかと考えもしたのだが、その時は精神的圧迫感があまりに強くて、とにかく<これ>から解放されたいという思いしか頭にはなかった。けれど今は、自分から無理にここから抜け出したいというのではなく――ようやく<向こう>が呼んでくれたのだから、その呼び声に応答したいといったような気持ちのほうが強かったかもしれない。
父が死んだ時の悲しみ、母が亡くなった時のショック、その後の憎むべき対象に対する葛藤と、醜い憎しみから生じた殺意……そうしたすべてのこともまた、今の優太にはまるで夢のようだとしか感じられない。
そして優太はこの夜も最後に、いつも行う最後の儀式を自分の精神に課してから眠りについていった。彼に赦しの道、光の道もあることを教えた女性の存在が、K病院の医局のホールに飾られた、『医の女神ヒュギエイア』と重なって見える(優太はその絵を見た時から、絵の女性がイメージ的になんとなく高畑京子に似ていると感じていた)――彼女と時々目を合わせて話すということが出来るだけでも、自分は十分幸せだったこと、そしてその幸福感は元を辿ると優太の母親にまで続いていった。
彼は小さな頃、体が弱かったため、随分長く母親にべっとりとくっついて過ごしていた。母のほうでも「これではいけない」と突き放すでもなく、優太にそうした一種の甘えを許し続け、そうした母子の繋がりは、高校生になってからも続いていたかもしれない。この母が死んで優太にとって何が一番ショックだったかといえば、彼女が<生きた息子>という今目の前にいる存在よりも、苦悩からの解放、愛した父のいる世界へ旅立ちたいという願いを叶えることを選び、自分を捨てたということだったろうか。
だがその後、優太は精神医学について学ぶ過程で、そうした時に人はみな精神的視野狭窄に陥っており、欝病が慢性化しているだけでなく、死ぬこと、死ぬことによってしか自分は救われないと、そう思い詰めるものなのだということを知った。もともと、社会経験といえば、短大を卒業後、病院で秘書をしたことくらいしかない優太の母にとって――ともにあたたかい家庭を築いてきた良人の死というものは、現実として到底受け容れがたいものであったのかもしれないと、優太はそうも思う。
優太はそうした、いい思い出しかない両親との記憶、高畑京子と精神的に結ばれた愛の喜び、また自分が殺人者であると知っても変わらなかった人々の、あたたかい友情といったものに包まれて、心の海、魂の海のような場所をゆらゆらとどこまでもたゆたっていった。
そして次に気づいた時、優太はどことも知れぬ浜辺に辿り着いていた。いつだったかここへはやって来たことがあるような気がするのに、頭の中で海の揺れる感覚、波の寄せては返す感覚が去っていかず、はっきりと記憶を整理するということが出来ない。
優太はあたりに自分と同じようにたくさんの流木が転がっているのを見て驚いた。そして何故流木を見て自分が驚くのかがよくわからなかった。けれどそれは一本一本がとても美しく、<こうでなければならぬ>という完璧な位置で倒れているために、何故か人目を引くものだった。
優太はそのような、奇妙な価値観の転換が起きている世界になんとか自分を適応させようと思ったが、そう考えていくと、そもそも何故自分が浜辺に打ち上げられていたのかも、うまく思いだせないということに気づく。
優太はその世界で、波が寄せては返すさざなみの歌を聴き、カモメたちが鳴く声の意味を、まるで人間の言葉のように理解した。海の背後は森になっていて、遠くには岬があり、その突端には灯台があった。
はっきりとした目的はわからないにも関わらず、優太はとりあえずそこへ行ってみようと思った。目にするものの中で、それが唯一の人工物なので、もしかしたらそこに誰か人がいると、そう直感したのかもしれない。
そして優太は、よく晴れた海辺の道を、貝殻をなるべく踏まないようにして歩いていった。こうした流木や貝などが、実はとても大切なものだということが、今の優太にはよくわかっている。何故なら、それらひとつひとつには、優太や他の人々の思い出や記憶といったもののすべてが詰まっているのだから……。
やがて、浜辺の道を向こうから、優太と同じように歩く女性の姿が遠く見えてきた。最初、優太は彼女のことを高畑京子だと思った。だが、だんだんに相手の女性が近づいてくるにつれて――彼女が自分の母親であると気づく。
優太は嬉しかった。何故といって、少なくとも彼女はこの世界では死んではおらず、生きているのだから……けれど、白いブラウスに紺色の長いスカートを着た優太の母親の顔は、何故かとても沈痛で悲しげだった。優太にはそのことが、彼女の顔の表情が判別できないくらい遠くからでもよくわかっていた。
(母さんは僕のことを怒ってるんだ。でも僕、何か母さんが怒ったり、悲しむようなことをしたっけ?)
そこまで考えた時、優太の中で不意に、殺人の記憶が甦った。心臓がどっと突然血を噴きだしたようになり、突然指先までが凍りつきそうになる。
(ああ、そうか。母さんは<あれ>を知っているんだ。だから、あんなに悲しそうな顔をしているんだ……)
もしいつか、こうして再会できる日が来るとわかっていたら、自分は殺人など犯さず、すべてのことを耐え忍び、仮にそれが人から馬鹿にされ、笑い者にされるような惨めなものであったとしても、この日のことを思って我慢することが出来たろうに……。
優太はその場にガクリと膝をつくと、心からの悔恨と、懺悔の情のあまり、そこから一歩も動くということが出来なくなった。この期に及んで、一体どんな顔を母に向けたらいいのか、優太は胸が絞られるような思いで、両手で砂を握りしめていた。
――どうしたの、優ちゃん。
母の姿はずっと遠くにあるにも関わらず、優太は彼女の声をはっきりと耳許で聴くことが出来た。
――どうして泣いてるの?
――だって母さん、みんな知ってるんでしょ。僕が一体何をしたのか、全部、何もかも……。
優太が心の中でそう語りかけた次の瞬間、遠くにいたはずの母の足が、もうすぐ目の前にあった。
「母さん……」
「いいのよ、優ちゃん。もう何もかも全部、お母さん、わかってるから……」
優太はその優しい母の声に、心からの深い慰めをえた。立ち上がり、華奢な母のことを支えるように、震える両腕で抱きしめる。
――ごめんね、優ちゃん。全部全部、お母さんのせいだね。こんなにつらい思いをさせることになって、本当にごめんね……。
――僕こそ、ごめんね、母さん。お母さん、あんなにつらかったのに、わかってあげられなくて……。
母子は互いの眼差しの中に赦しの色を認めあうと、そうして暫くの間ただ言葉もなくぎゅっと抱きあっていた。
もう二度と別れる必要のない世界、<あの世>とも<この世>とも、その狭間ともわからぬ場所で、ふたりの存在が溶け合い、自然と海の中へ還っていくまで――太陽がなくとも明るい世界では、まるでカモメが胸も張り裂けよとばかりに、彼らのかわりに鳴いていた。
終わり
さて、今回でようやく最終回です♪(^^)
と、同時に早速言い訳事項が……いえ、拘置所内の描写に関してなんですけど、実は100%間違っています
いえ、これはあくまで第一稿目の原稿といいますか、わたし実のところ前の話のカルテット。を書くまで、拘置所と刑務所の違いすら知らなかったというヒトです(^^;)
なので、最初に↓みたいに書いておいて、あとから調べて最後に直そう☆とかいいかげんなことを思っていたところ……拘置所っていうのは独房で徹底的に内省を促すといったような場所らしいと、本で読んだんですね。
じゃあ、そのあたりのことについては全部書き直さなきゃと思ったんですけど、例によって面倒くさくなり(ヲマエ☆)、とりあえず大体のところ意味さえ通じればいいや……といったことになりました
もちろん、書き直す機会があれば書き直そうとは思ってるんですけど(^^;)
あと、わたしはクリスチャンなので、作中で描かれてる死生観はわたし個人の思想とは異なるものとなります。
単に、日本人の一般的な死生観としては仏教+アミニズムが一番受け容れ易いとわかっているので、こういう形にしてみたというか(^^;)
その手前に来てる花原さんのエピソードは、「なんか特にいらないよーな」と思ったものの、まあ最初のほうに変人として話ふってあるので、一応最後にその回収(?)をしたっていうことですかね(笑)
まあ、どうでもいいよーなことなんですけど、このお話の中には、わたしがワープロ使って小説書いてた頃の短篇が三つ、細かいエピソードとして混ざっていたり。。。
「ある外科医の憂鬱」、「熱望する者」、「動物たちの王国」っていうお話なんですけど、「ある外科医~」はクマちゃん先生と葵美奈子ちゃんのお話で、クマちゃんは仕事がルーティン化して鬱病になっていたところ、美奈子ちゃんとの恋で救われる……といった内容だったと思います。「熱望する者」は、病棟の白百合、マドンナとされる看護師さんが主人公のお話、そして「動物たちの王国」が花原さんと雁夜潤一郎先生のお話だったと思います(笑)
いえ、実際にはこっちのお話の雁夜先生と手負い~の雁夜先生は、ほとんど別人といっていいと思います。んで、このお話の中でついうっかり花原さんに手を出して顔に引っかき傷つけられたのが、実は雁夜先生ということになっていて。でも最後には結ばれて、花原さんの動物狂いに雁夜先生がつきあい、一緒に写真を撮るようになるという……で、病棟の看護師さんがそんなふたりの動物自慢や写真自慢を聞いていて、「おまえらは林家ぺーとパー子か☆」と突っ込むというオチ。。。
なんにても、ここまで物語につきあってくださった方、本当にありがとうございましたm(_ _)m
それではまた~!!
手負いの獣-25-
こうした色々なことが一年の間に起きるうちに、翼はある時、ふと自分がK病院にすっかり<馴染んでいる>と感じるようになっていた。外科病棟の永井主任からは、「結城先生もだんだん、血の通った人間になってきたみたいですね」と近頃では言われるようになり、自分ではどこらへんにその<差>のようなものがあるかはわからないのだが――それはもしかしたら、山田優太の最後の置き土産のようなものだったかもしれない。
茅野医師と高畑医師がいなくなり、若いながらも部長職に昇進したせいか、上に誰も人がいない分責任は感じるものの、その分自分のやりたいようにやれるというやり甲斐と充実感も増した。目下のところ、K病院の消化器外科チームは結城チームと呼ばれており、なかなかに面白い人材が顔を揃えていたといえる。
完璧主義で几帳面だが仕事のノロい(マイペースともいう)斎木充と、対称的にせっかちで、多動症を疑いたくなるような頭の切れる加瀬学、おそらく一生治らないであろうギャンブル狂の麻酔科医・戸田道生、翼の元でだけ手術室でもエロ口を解禁させる江口悦子、また、オペ室最大の変人と言われる花原梓にも、翼は彼女の休暇が終わったのちに会っていた。
正直なところをいって、オペ室の看護師長の花原梓が、それほど変人であるとは最初翼は思わなかった。患者や周囲のことによく気を配れるだけでなく、手術の進行をよく見ており、とてもスムーズに器械出ししてくれるので、翼としては『仕事さえ出来りゃ、それでいいじゃん』という、彼女はそのような人物であったと言ってよい。
もっとも手術中はおそろしい目力でこちらを睨みつけてくるので、正直、彼女が自分に気があるのではないかと錯覚する感覚は翼も味わった。それと、オペ室の片付けが終わったあとに、ほっと放心して花原が休憩室でジュースを飲む姿を見て――もし内藤医師からあらかじめあの話を聞いていなかったら、もしや自分も同じ轍を踏んだのではないかと思いもした。
そしてその時には(触らぬ神に祟りなし)と思い、ただ目の前を通りすぎたのであったが、その後偶然、オペ室付きの看護師たちの休憩室で一緒に食事する機会があり、初めて翼は花原の本性といったものを垣間見ることになったのである。
「でねでね、先生。これがうちで飼ってるモモンガのモンちゃんとガンちゃんとモモちゃん。とっても可愛いでしょう?このつぶらな瞳がとってもキューティなの。先生、モモンガって夜行性なんですよ。で、夜空をバサァッて飛ぶんです。こう、バサァッて」
そう言って実演しはじめる花原のことを見て、翼はどうしたらいいのかわからなかった。ちなみに、他にいた看護師たちや滅菌専任の看護助手数名はぴくりとも笑っていない。みな一様に、この話は数百回聞かされたという顔をしているのみである。
そして花原は十数枚あるモモンガを撮影した写真を脇にのけると、他に家で飼っている六匹の猫、七匹の犬、オウム・鳩・セキセイインコといった鳥類の写真、イグアナ、カエル、うさぎ、ハムスター、モルモット……その他、自宅で飼っているという色々な動物の写真を翼に次々見せていった。
「これがイグアナのランちゃんで、うさぎはミミちゃん、ハムスターは空太郎っていうんですよ、先生。モルモットはカイちゃんでしょう、カエルはぴょん吉くん~!!さあ、先生クイズですよ。さっきうちで飼ってる可愛いネコちゃんたちを紹介したでしょう?これ、なんていう名前かわかります?」
「えっと、なんだっけ……」
丸々と太った三毛のデブネコの写真を見せられ、翼は首を傾げる。正直、適当に流して聞いていたので、名前などまるで覚えていなかった。
「やっだ、先生。この子は三太郎ですよ、さ・ん・た・ろ・う。クリスマスの日にやって来たから、サンちゃんっていうんです。ちゃんと覚えてくださいね。じゃあ、次いきますよ。ズバリ、この子のお名前は?」
だらりと舌を垂らした小汚い模様の雑種犬を見せられ、翼はまたしても「う~ん」と唸らざるをえない。
「3・2・1……ブブーッ。時間切れです。この子はショコラちゃんって言いま~す!!なんでもなめるのが大好きで、わたしの口にもすぐ舌を入れてくるんですよ。まったくもう、困った子!!」
ペンペン、などと、写真の犬の尻を叩いているあたり――(この女、本物だ)と翼は思った。(つーか、そんななんでもなめまわす雑菌だらけの舌でディープキスされてもな……)などと、呆れたように花原のことを見返してしまったほどである。
そして周囲の人間たちはといえば、それぞれが仲の良い同士で小さく固まって小声で何かを話し合っている。ようやくこの段になって翼も悟った。おそらく花原と休憩室で一緒になった場合、誰かが彼女のペット談義の犠牲者にならなくてはいけないのだと……。
翼はその後も、「犬のチンチラの名前はミカエラちゃん」だの、「黒ネコのロクスケはやんちゃな暴れん坊」だのいう話を聞かされ、(いいかげん、誰か俺を助けろ)というSOS信号を送ったが、誰も受信してくれる者はなく――休憩時間が終わった頃には、手術をしている時以上にぐったりと無意味に消耗しきっていたといって良い。
のちに、江口悦子は喫煙室で一緒になると、「だからあの人、絶対頭おかしーんですって。仕事が出来るから誰も逆らえないけど」と、しみじみした口調でそう語っていた。これでようやく先生にも、あの人の下で働くわたしの苦労がおわかりでしょう、といったように。
そして、以前内藤医師が言っていたことを翼は不意に思いだしていた。『遠くから見ている分には面白いけど、花原さんは絶対に男が近づいてはいけない女性だ』と……。また、高畑医師が彼女の器械出しの技術に感嘆するあまり、『花原さんは看護師ではなく医師になるべきだった』と言ったという言葉も覚えていたが――今となっては翼はこう思う。オペ室の看護師長である花原梓は、看護師でもなく医師でもなく、おそらく獣医になるべきだったのだろうと。
* * * * * * *
拘置所の起床時刻は、毎朝七時だった。だが優太は何故かいつも、七時になる二分前か三分くらい前に目が覚める。そして起床を知らせるベルが拘置所の館内に響き渡ると同時に、一気に体を起こし、他の六名ほどの同室者同様、キビキビした動作で布団をあげるのだった。
身だしなみを整え、朝食をとったあとは、部屋の掃除がある。優太は新参者だったので、まずはトイレ掃除の係を命じられていた。だが特別同室者の内に是非ともいじめを奨励しようといった者はなく、掃除の手順も実に丁寧かつ親切に教えてもらい、相手の人物もまた自分と同じ人殺しなのだといったように考えることは、ほとんどなかった。
それから拘置所内にある畑で、夕方まで野良仕事をして過ごし――休憩時間には、自分宛てに届いた手紙を読みながら過ごすことが、優太は多かったかもしれない。結城翼、高畑京子、溝口篤、内藤数真……他にもK病院の医師や看護師、現在入院中の患者や、あるいは以前関わったことのある患者の家族などなど、何十通となく届いたそれらの手紙を、優太はただ一度だけでなく、何度もその言葉のひとつひとつを味わうように、繰り返し読んでいた。
また、一通の返事を書くのにもとても時間をかけた。その作業を切りのいいところまで終えられる前に、就寝時間がくると――とても残念であると同時にイライラもしたが、横になっているうちに自然とそのイライラ感もおさまり、また元の<静穏>といっていい、精神のバランスのとれた状態が優太の内側には戻ってくる。
最初のうち、同室者の歯ぎしりやいびきがうるさくて眠れないということもあったが、今ではそれら<現実>のものとはまったく別に、精神世界に魂を飛翔させるというのか、何かそうした術を優太は身につけていたかもしれない。
今こうなってみて優太が一番思うのは、諏訪晶子を殺したことも、金井美香子を殺したことも、すべてが夢のようだったということだろうか。もちろん、諏訪晶子にも金井美香子にも家族がおり、公判ではその人たちの厳しい眼差しにさらされることになるだろうとも、優太はよくわかっている。
医師として立派に育てた娘を殺された、また両親にとっては<気立てのよい>娘を殺された遺族の気持ちは、その絆を絶った側の優太には、計り知れないものがある。同じようにおまえも死刑になって死ねばいいと言われてしまえば、優太にもただひたすら同意するしかないことでもあった。
自分は一体どこで人生を誤ったのかと考えた時、優太としてはやはり、復讐目的でK病院に勤務しようと思ったことが、最初の間違いだったという気がしてならない。いや、それとも友人に健康診断のチェックを依頼された時に、きっぱりと断るべきだったのだろうか?なんにせよ、自分はあのまま接骨院の助手として、コツコツ金を貯めるなりなんなりして、その後自分も治療院を持つなり、あるいは医大に入り直すなどすれば良かったのだろう。
だが、やはり優太は自分の選んだ道を後悔していなかった。何故なら、最初の動機が復讐目的であれ、優太はK病院で高畑京子という女性に出会えていたからだ。正直、京子のゴルフの腕前がセミプロ級だと聞いた時、優太の心の中にあった計画というのは、次のようなものだった。
(よし。まずはゴルフをはじめて、教えを乞う振りをしながら高畑京子に近づこう。そして、彼女に恋をしている振りをしながら、いずれ高畑家に乗りこむ……高畑錬三郎は、かつて自分が破滅に追いやった一家の息子を義理の子とし、やがて内部からすべて奪われ壊れていくのだ)
しかしながら、そのような醜い憎しみに満ちた計画は、優太が思っていた以上に極めて初期の段階ですぐに崩壊した。優太は高畑京子のことを知る過程で、人間としても女性としても彼女のことを本当に好きになっていたからである。そしてそうした感情を抱いている女性に対し、復讐の道具とすること自体、もはや不可能なほどに京子への想いは深まっていった。
手紙に、『初めて会った時から好きだった』と書いてあるのを読み、優太は思わず苦笑いしていた。『もし、あなたが父への復讐を告白してくれていたら、わたしは喜んで奴隷のようになんでも協力したでしょう』とも……そしてあらためて思う。そのような道に彼女のことを巻き込まなくて、自分は本当に良かったのだと。
優太は今、もうこれで『医師であるという振り』を続けなくても良いという安心感、良心の呵責からの解放感、心からの平安といったものを手に入れるのと同時に――拘置所という檻の中にいながら、ある場所にずっと拘束され続けなくてはならないという不自由さの中で、肉体を超えた魂の自由といったものを手に入れていた。
そしていつだったか、患者の幾人かが言っていたように、自分もまた近ごろ、<向こう>から呼ばれているなと感じていた。もちろん、その<向こう>というのがどのあたりなのかは、優太自身にもわからない。それに似たことを言っていた患者の中には、キリスト教徒もいれば仏教徒もおり、他に信仰する特定の神を持たない人もいたのだが――優太自身は、そうしたすべての人が持つ<共通の意識性の世界>とでも呼ぶべきものに、自分は呼ばれているといったように感じていた。
それはたとえば、ある日夢を見ていて野原を虹の向こうまで歩いていったら、その虹の向こうがあの世だったというような、そうした感覚に近いかもしれない。そこには優太の死んだ父もいれば母もいるし、彼らはすでにすべての人間的苦悩・苦痛といったものから解放され、穏やかにに暮らしているに違いないのだ。
優太は父が死に、母もまたその後を追うようにして自殺した時、自分もまた同じように死のうかと考えもしたのだが、その時は精神的圧迫感があまりに強くて、とにかく<これ>から解放されたいという思いしか頭にはなかった。けれど今は、自分から無理にここから抜け出したいというのではなく――ようやく<向こう>が呼んでくれたのだから、その呼び声に応答したいといったような気持ちのほうが強かったかもしれない。
父が死んだ時の悲しみ、母が亡くなった時のショック、その後の憎むべき対象に対する葛藤と、醜い憎しみから生じた殺意……そうしたすべてのこともまた、今の優太にはまるで夢のようだとしか感じられない。
そして優太はこの夜も最後に、いつも行う最後の儀式を自分の精神に課してから眠りについていった。彼に赦しの道、光の道もあることを教えた女性の存在が、K病院の医局のホールに飾られた、『医の女神ヒュギエイア』と重なって見える(優太はその絵を見た時から、絵の女性がイメージ的になんとなく高畑京子に似ていると感じていた)――彼女と時々目を合わせて話すということが出来るだけでも、自分は十分幸せだったこと、そしてその幸福感は元を辿ると優太の母親にまで続いていった。
彼は小さな頃、体が弱かったため、随分長く母親にべっとりとくっついて過ごしていた。母のほうでも「これではいけない」と突き放すでもなく、優太にそうした一種の甘えを許し続け、そうした母子の繋がりは、高校生になってからも続いていたかもしれない。この母が死んで優太にとって何が一番ショックだったかといえば、彼女が<生きた息子>という今目の前にいる存在よりも、苦悩からの解放、愛した父のいる世界へ旅立ちたいという願いを叶えることを選び、自分を捨てたということだったろうか。
だがその後、優太は精神医学について学ぶ過程で、そうした時に人はみな精神的視野狭窄に陥っており、欝病が慢性化しているだけでなく、死ぬこと、死ぬことによってしか自分は救われないと、そう思い詰めるものなのだということを知った。もともと、社会経験といえば、短大を卒業後、病院で秘書をしたことくらいしかない優太の母にとって――ともにあたたかい家庭を築いてきた良人の死というものは、現実として到底受け容れがたいものであったのかもしれないと、優太はそうも思う。
優太はそうした、いい思い出しかない両親との記憶、高畑京子と精神的に結ばれた愛の喜び、また自分が殺人者であると知っても変わらなかった人々の、あたたかい友情といったものに包まれて、心の海、魂の海のような場所をゆらゆらとどこまでもたゆたっていった。
そして次に気づいた時、優太はどことも知れぬ浜辺に辿り着いていた。いつだったかここへはやって来たことがあるような気がするのに、頭の中で海の揺れる感覚、波の寄せては返す感覚が去っていかず、はっきりと記憶を整理するということが出来ない。
優太はあたりに自分と同じようにたくさんの流木が転がっているのを見て驚いた。そして何故流木を見て自分が驚くのかがよくわからなかった。けれどそれは一本一本がとても美しく、<こうでなければならぬ>という完璧な位置で倒れているために、何故か人目を引くものだった。
優太はそのような、奇妙な価値観の転換が起きている世界になんとか自分を適応させようと思ったが、そう考えていくと、そもそも何故自分が浜辺に打ち上げられていたのかも、うまく思いだせないということに気づく。
優太はその世界で、波が寄せては返すさざなみの歌を聴き、カモメたちが鳴く声の意味を、まるで人間の言葉のように理解した。海の背後は森になっていて、遠くには岬があり、その突端には灯台があった。
はっきりとした目的はわからないにも関わらず、優太はとりあえずそこへ行ってみようと思った。目にするものの中で、それが唯一の人工物なので、もしかしたらそこに誰か人がいると、そう直感したのかもしれない。
そして優太は、よく晴れた海辺の道を、貝殻をなるべく踏まないようにして歩いていった。こうした流木や貝などが、実はとても大切なものだということが、今の優太にはよくわかっている。何故なら、それらひとつひとつには、優太や他の人々の思い出や記憶といったもののすべてが詰まっているのだから……。
やがて、浜辺の道を向こうから、優太と同じように歩く女性の姿が遠く見えてきた。最初、優太は彼女のことを高畑京子だと思った。だが、だんだんに相手の女性が近づいてくるにつれて――彼女が自分の母親であると気づく。
優太は嬉しかった。何故といって、少なくとも彼女はこの世界では死んではおらず、生きているのだから……けれど、白いブラウスに紺色の長いスカートを着た優太の母親の顔は、何故かとても沈痛で悲しげだった。優太にはそのことが、彼女の顔の表情が判別できないくらい遠くからでもよくわかっていた。
(母さんは僕のことを怒ってるんだ。でも僕、何か母さんが怒ったり、悲しむようなことをしたっけ?)
そこまで考えた時、優太の中で不意に、殺人の記憶が甦った。心臓がどっと突然血を噴きだしたようになり、突然指先までが凍りつきそうになる。
(ああ、そうか。母さんは<あれ>を知っているんだ。だから、あんなに悲しそうな顔をしているんだ……)
もしいつか、こうして再会できる日が来るとわかっていたら、自分は殺人など犯さず、すべてのことを耐え忍び、仮にそれが人から馬鹿にされ、笑い者にされるような惨めなものであったとしても、この日のことを思って我慢することが出来たろうに……。
優太はその場にガクリと膝をつくと、心からの悔恨と、懺悔の情のあまり、そこから一歩も動くということが出来なくなった。この期に及んで、一体どんな顔を母に向けたらいいのか、優太は胸が絞られるような思いで、両手で砂を握りしめていた。
――どうしたの、優ちゃん。
母の姿はずっと遠くにあるにも関わらず、優太は彼女の声をはっきりと耳許で聴くことが出来た。
――どうして泣いてるの?
――だって母さん、みんな知ってるんでしょ。僕が一体何をしたのか、全部、何もかも……。
優太が心の中でそう語りかけた次の瞬間、遠くにいたはずの母の足が、もうすぐ目の前にあった。
「母さん……」
「いいのよ、優ちゃん。もう何もかも全部、お母さん、わかってるから……」
優太はその優しい母の声に、心からの深い慰めをえた。立ち上がり、華奢な母のことを支えるように、震える両腕で抱きしめる。
――ごめんね、優ちゃん。全部全部、お母さんのせいだね。こんなにつらい思いをさせることになって、本当にごめんね……。
――僕こそ、ごめんね、母さん。お母さん、あんなにつらかったのに、わかってあげられなくて……。
母子は互いの眼差しの中に赦しの色を認めあうと、そうして暫くの間ただ言葉もなくぎゅっと抱きあっていた。
もう二度と別れる必要のない世界、<あの世>とも<この世>とも、その狭間ともわからぬ場所で、ふたりの存在が溶け合い、自然と海の中へ還っていくまで――太陽がなくとも明るい世界では、まるでカモメが胸も張り裂けよとばかりに、彼らのかわりに鳴いていた。
終わり
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