天使の図書館ブログ

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動物たちの王国【第二部】-15-

2014-03-15 | 創作ノート
【海のそよ風Ⅰ】キャロル・サクス(オールポスターズの商品ページよりm(_ _)m)


 え~と、今回もまた言い訳事項がまったくなくもないんですけど……なんかそんなことはもうどうでもいっか☆っていうことで話を進めると、特に何も書くことないかな~なんて(^^;)

 あと、これもどうでもいい(?)ことかもしれないんですけど、器械出しに関して色々教える時に、実際は花原さんみたいに横でガミガミやられたら先生方も気が散ってしょうがない気がするので(笑)、現場では「見て覚える」のが基本なのかなって勝手に思ったりします

 もちろん、手術が終わったあとにわからないことを質問したりはあるにしても……なんていうか、緊張感のある手術だったら器械出し担当の看護師さんも疲れてるでしょうし、「ここ、聞きたいんだけど」と思っても、余計なことを聞けない雰囲気だったりとか、色々ありそうだな~なんて、これもまた漠然と想像(妄想☆)したり。。。

 今回この小説を書いてみるまで、「そういえば器械出し担当の看護師さんは、どうやってお仕事を覚えたりされるのだろう?」なんて、考えてみたこともありませんでした。

 というのも、医療ドラマではやはり、主役となるのはお医者さんであり、器械出しの看護師さんは「仕事が出来る・出来ない」、「可愛い・そうでもない」といったようなアクセサリー的存在であり、医者と患者のドラマが主軸でありつつ、看護師さんはたまにそんな医師と恋仲になって寝てるっていうんですかね(笑)

 そういうのを見てたら、「そもそも器械出しの看護師さんって……」みたいな疑問は浮かんでこなかったというか(^^;)

 わたしの書いてるこの小説も結局はそういう恋愛小説なんですけど、そういうふうに話を持っていかざるをえないのは、ストーリーとしてはそこが一番盛り上がるっていうことと、わたし自身に医療的な知識や経験が圧倒的に足りないからなんですよね(当たり前☆)

 まあ、そんなわけで、わたしに手術室に出入りしたよーな経験が仮に一年でもあったとすれば、「医療ドラマなんかじゃこういうふうに描かれるけど、これがオペ室看護師の本音なんですよーだ」みたいなことを書けたんじゃないかなあ……なんて残念に思います(^^;)

 ただ、わたしが思うに……オペ室を経験してそこから病棟に戻ってきた看護師さんって、なんか物凄く格が違うという雰囲気でした。

 いえ、なんかもう態度なんてすごく堂々としてて、お医者さんに対してもズバズバ対等な立場から物を言う感じっていうんでしょうか。

 そういうの見てて思ったのは、たぶん手術室ではお医者さんって一番<地>が出るっていうことなのかなっていうことだったり。看護師さんのほうでもそういうのをよく知ってるから、相手の弱いところを見て知ってるっていうんじゃないけど、それに近いものがあってあれだけ大きい態度に出れるのかな……と思ったことがあります。

 なんていうか、唯が翼に対して「ゆ、ゆ、ゆうき先生……」みたいになったのは、彼が最初に彼女のことを嫌ったっていうのもあると思うんですけど、普通の看護師さんでもお医者さんに連絡事項を伝えるのに勇気がいったりとか、割合あるのかなって見ていて思ったことがありました(いえ、べつに相手が好きとかなんとか全然関係なく・笑)

 でも、そんな最初は初々しいところもあった看護師さんも、オペ室を二年も経験してそこから出てくると――「うおりゃあッ!!ドクターに対して遠慮だと!?そんなもの、きのうクソと一緒にトイレに流してやったわ!!」といったように態度が大きくなり……ある意味、それがお医者さんと対等に物を言うことが出来るという、看護師さんの一皮も二皮も剥けた最終形態なのかなって、ぼんやり思ったことがあったというか(^^;)

 なんにしても、わたしの書いてるものはそういう雰囲気をなんとなく覚えていて憶測したという、テキトーな想像(妄想☆)から生まれた産物だっていうのは間違いないです(笑)

 それではまた~!!



       動物たちの王国【第二部】-15-

「おい、おまえ。いいかげんにしろ!!」

 第三手術室、第四手術室と並んでいる廊下で、唯と通り過ぎる時、翼はとうとう切れてそう怒鳴っていた。とりあえず医療スタッフたちの目はなかったが、声だけは誰かに届いており、おそらくその人物はこう思ったかもしれない。結城医師が部下のミスでも廊下で叱責しているに違いないと……。

「ちょっと人が甘い顔して見逃してやってればいい気になりやがって……言いたいことがあるんなら、はっきりそう言いやがれってんだ」

「べ、べつに、言いたいことなんてありません。それにわたし、忙しいんです。公私混同しないでくださいっ!!」

 翼は唯の手を強引に引っ張ると、薬品庫へ連れだした。壁には薬品戸棚やステンレス製の保冷庫が並び、主に麻酔科医たちの使う薬品類がしまいこまれている。物によっては鍵のかかっているものもあり、厳重な管理の下に置かれていた。

「公私混同でもしなかったら、おまえは俺と口すら聞く気ないんじゃねえか。忙しいっていうんなら、今ここで約束しろ。今日仕事が終わったら、俺と会ってゆっくり話をするって、一言そう言え」

「だ、誰がそんなことっ!!冗談じゃありません、どいてくださ……」

 当然翼はどかなかった。唯が右に抜けようとすれば右へ移動し、左に移動すれば同じように立ち塞がった。そして不意に気づく。どうやら唯がR医大での最初の頃のように、表面的な態度はどうあれ、自分を心底恐れているらしいということに。

「悪かったよ。その、さ……ああいうことをしたのは、なんていうかつまり……」

 だがやはり翼は、手術以外のことではこの時も運に見放されていたらしい。薬品庫に麻酔科医の倉本順一が姿を見せ、「あー、すみません。あー、すみません」と言いながら、手術に必要なものだけを手に取り、何も見なかった振りをしてドアを閉めていく。

 唯はその隙をついて翼の包囲を逃れると、脱兎の如くその場から逃げだした。心臓が早鐘を打つあまり、今にもその場に昏倒してしまいそうだった。

(先生、ひどい。あんな場所であんなふうに逆ギレするなんて……)

 唯は手術用のガウンを控え室で脱ぐと、不意にそのまま逃げだすようにして家まで帰りたいような衝動に駆られた。けれど、一時間休憩を取ったら、また午後から器械出しの仕事につかなくてはならない。人員の調整のほうはつかないこともないが、そんな責任感が微塵もないようなことを当然するわけにはいかなかった。

(あんなことをしたのはつまり……おまえのことを好きだからとか?何を期待してたんだろう、わたし。馬鹿みたい)

 それから唯は、「あなたの結城先生に対する認識は間違ってるんじゃない?」と花原師長が言っていた言葉を思いだし、少しの間考えこむ。

(そうよね。あれからもう二年も経ってるんだし、結城先生も変わってないように見えて、もしかしたら何か変わったかもしれないもの。とにかく、話を聞くだけでも聞かないと、わたしだって本当はずっとすっきりしないままだったんだから……)

 だが唯は、今となっては自分はこれで良かったのだろうと思うようになっていた。何故といって、これだけ覚えることがたくさんある大変な環境下で、結城医師のような男に心を奪われたままでいるのは致命的とも言えたからだ。館林医師の言い種ではないが、仕事中にミスしてしまい、「結城先生のことでも考えてたのかな?」などと言われた日には――とてもではないが立ち直れない。

 そして唯はこの時もまた、花原師長のことを徹底して真似るということにした。つまり、仕事をする時には他のことは一切考えず手術のことにだけ集中し、彼女が昼休みにはまるで別人のように動物のことばかり話すように、退勤時刻になるまでは結城医師という恐ろしい誘惑の悪魔のことは脳裏から閉め出すことにしたのである。

 翼は恋愛的なことに関しては実にオープンな人間であり、唯がいるだろう六時近くにオペ室へ顔を見せると、「おまえ、ここにいろよ。絶対帰るなよ」と、一度念を押してから部長室で着替え、休憩室にまで彼女のことを迎えに来た。この頃にはもう唯のことを誰も「可愛こちゃん」と呼ぼうと思う者すらなく、お調子者の戸田ですら「ひゅうひゅう」などと囃し立てる気にすらなれなかった。

 だがその一方で、翼がセーターにジーンズ、その上に革ジャンを着た格好で唯のことを迎えに来ると――オペ室のナースたちの間では、ちょっとした動揺の波が走った。そして唯はといえば、彼女にしては珍しくどこかむっつりした顔をして、嫌々ながらも彼のあとについていくといった体だったのである。

「ふうん。この二年の間に何があったかは知らんけど、おまえでもそういう顔をすることがあるわけだ。へええ。しかもこの三週間くらいの間、人のことを無視しくさりやがって。まったく、面白くねえ」

 そう言って翼は、バン!と火災報知器の横の壁を叩いた。唯はその振動で今にもジリリリリと報知器が鳴り出すのではないかと思い、一瞬ドキリとした。

「……食べ物を粗末にする人と物に八つ当たりする人は最低だって、うちの母がよく言ってました」

「一体いつ俺が食い物を粗末にした?そもそもおまえ、俺のことなんかなんにも知らねーだろ。どうせ結城先生は女にだらしがないから自分のことをからかっただけだとか、そんなふうに思ってんじゃねえのか」

「そ、それは……だって、先生……」

 薄暗い廊下を歩きながら、唯は不意に黙りこんだ。そしてそんな彼女の肩を翼はぐいと力任せに抱きよせるが、すぐに押し返されてしまう。

「だから、先生のそういうところが嫌なんですっ!!いかにも軽薄っていうか、この間も、人の隙をついてあんなことをしたり……」

「ふうん。あんなことねえ。おまえ、看護学校の精神科の授業で習わなかったか?患者が耐え難い過去のことを話す時、それを「あのこと」とか「あれ」とか「それ」って言う場合があるけど――聞いてる側も同じように「あれは大変でしたね」とか、そういふうに同調して聞くのが大切みたいなやつ。でも俺、やっぱり駄目だな。接吻とか聞くと、どうしてもタイのありがとうを思いだしちまう」

「それはコップンカーです、先生っ!!」

「なんだ、唯。べつにもう怒ってないだろ、<あんなこと>」

 唯はエレベーターの中でも腰を抱き寄せられそうになり、また翼のことを押し返さなくてはならなかった。たぶん、いつでも軽い気持ちでこんなことをしているのだろうと、唯は思う。たとえば、どこかへ飲みにいって「ちょっといいな」と思う女性がいたら――彼が少し抱き寄せただけで、手に入らない女性はおそらくほとんどいなかったのではないだろうか。

(そうだわ。よく考えたらわたしと結城先生じゃ、水と油で全然合わないんだし……一回キスされたくらいのことで、理性を失わなくて良かったって、今はそう思わなくちゃ)

 もちろん、翼にキスをされた口接けの魔力の効果は、今もまだ唯の唇に残ってはいる。けれど、唯はこの日あらためて私服姿の翼のことを見、彼の乗っている外車の内装がお金をかけてカスタマイズされているのを見るにつけ――この人とは絶対におつきあいなんて出来ないし、してはいけないといったように、少しずつ考えが変わっていった。

 この日、翼が唯のことを連れていったのは、ホテルの小洒落たバーでもなんでもなく、なんとマクドナルドだったのだが、それは翼としては一応、理由あっての選択だった。

「なんだ?唯、おまえハッピーセットなんか頼みやがって……そんなにこのピカチュウのキーホルダーが欲しかったか」

「放っておいてくださいっ。それに、チーズバーガーにポテトとジュースを頼むとしたら、ハッピーセットのほうが断然お得です」

 翼はクォーターパウンダーチーズとポテト、それにコーラを頼んでいた。そして窓際の席にふたり並んで座るということになる。

 店内には学校帰りと思われる女子高生のグループや、ビジネスマン風の男性、あるいはビジネスウーマン風の女性、それと耳にイヤホンをあてて何か勉強らしきものに集中している大学生の姿などがある。

「馬鹿だな、おまえ。チーズバーガーは単品で150円、ポテトのSは150円、そしておまえの頼んだ爽健美茶は100円だ。合わせて一体いくらになる?」

「えっと、四百円?」

「で、おまえがさっき俺に支払わせなかった金はいくらだった?」

「……450円」

「だろー?だから俺は五十円損してでも、そんなにピカチュウのキーホルダーが欲しかったのかって、そう聞いたんだよ」

「い、いいんですっ。これはえっちゃんの息子の広夢くんにでもあげるつもりで頼んだんだからっ」

 すっかり葉を落としたプラタナスの街路樹の下を、通行人が行き交う姿、また車のライトやテールランプが闇の中を通りすぎるのを眺めつつ、翼は再び隣の唯に目をやった。

 彼女は無理のある負け惜しみを言ったことを誤魔化すように、ストローで爽健美茶をどこか一生懸命飲み込んでいた。

「そういやおまえ、江口さんの従姉妹なんだってな。全然似てねーけど」

「従姉妹が必ず似るなんていう法則、この世界にありましたっけ、先生?あ、でもわたしの姉とえっちゃんは何故かよく似てるんですよ。顔立ちとか性格とか……もう何年も会ってませんけど」

「ふうん。おまえ、姉貴がいるのか。俺、さっきおまえに俺のことなんかなんにも知らねーだろって言ったけど、よく考えたら俺もおまえのことよく知らねえよな。誕生日とか血液型とか、干支とか、その他色々」

「先生、血液型占いとか正座占いとか、もしかして信じるほうなんですか?」

「くっだらねえ。俺がそんな女子供の信じるものを真に受けると思うか?大体な、俺の中じゃ占いってのは<悪>なんだよ。前に最初は救急で受け付けて、すぐ精神科ERのほうに回された女がいてな、統合失調症だったんだが、毎日あらゆる占いの本を読むんだと。で、その日のラッキーな方角に向いてまずはお辞儀、それから星座のランキングなんつーのもすごく気にする。それがいい日は躁鬱病の躁の側面が大きく出、最下位なんて日にはめっちゃ落ち込んで一日部屋から出てこないらしい。あとは仏滅の日には出かけないとか、色々本人にとっての法則があってな、ある日父親がとうとうたまりかねて「おまえ、頭がおかしいぞ!!」って娘に怒鳴ってからが大変だった。彼女独自の占いによると、父と母はそもそも結婚したのが間違いだったし、家も方角の悪い場所に建ってるし、そんなだから今自分はこんなことになってるとか言って、毎日暴れまわるんだそうだ。で、とうとう刃物が出てきてうちの救急までパーポーパーポーってなことになったわけ」

「……その方、そのあとどうなさったんですか?」

 唯が微塵も笑わず、再び看護師の顔になるのを見て、翼はなんとなくおかしくなる。昔の自分であればおそらく、「おまえ、ここは笑うとこだぞ」とでも突っ込んでいたことだろう。

「さあな。とりあえずR医大の精神病棟に入院することに決まったんだが、そのあとどうしたのかまではわからん。何しろ、救急部には次から次に急患が担ぎこまれてくるだろ。彼女もまたそうした患者のひとりってところだからな」

「そう、ですよね」

 唯がどこかしんみりしてチーズバーガーに齧りつくのを、翼はただ黙って眺めた。もし自分がこの女に惚れていなければ、間違いなく(ノリの悪い奴)とでも思ったに違いない。

「そういやさ、おまえ、覚えてるか?俺が救急部を辞める時にみんなが寄せ書きの色紙くれただろ?で、俺はあれを今でもたまーに見ることがあるんだけどさ、葛城先生、ピンク色の蛍光ボールペンでこう書いてたんだぜ。♪ランランルー、ランランルー、ぼくはこれから面倒な仕事を誰に押し付ければ……ランランルーって。最高に笑えるだろ?」

「葛城先生らしい。でも先生、まさかそれでマック食おうなんて言ったんじゃないですよね?」

「いや~、意外にそのまさかだったりしてな。葛城先生、昔見合いしたことのある女と、そのあと一回デートしてすぐ振られたらしい。それも、映画見たあとにマックのハンバーガー食ってランランルーってやったのが原因でな。俺がその女だったら間違いなく、葛城先生に一生ついていこうと思ったと思うんだがな。おまえ、俺がもしここでランランルーってやったら、「おつきあいするっていう話はなしで」って言って断るか?」

 唯はここで不意に黙りこんだ。このまま暫くは昔の思い出話が続くだろうと油断していただけに――思わずごくりと喉を鳴らしてポテトを飲みこんでしまう。

「おまえさ、その色紙に書いてたじゃん。結城先生のことは一生ずっと忘れませんって。あれ、今でも有効なのかどうかってのを、俺は聞きたいんだけど」

「あの、先生。わたし……無理だと思うんです。先生とわたしとじゃ、ものの考え方とか全然違うし、性格も正反対だし、つきあっても結局うまくいかないと思うっていうか……」

「わっかんねーだろ、そんなの。それにおまえ、この三週間くらいの間ずっと、むっつり怒って口も聞いてくれなかったろ。あれ、一体何?なんでそんなに怒ったわけ?」

 唯はナプキンで口許を拭うと、こちらをじっと凝視してくる翼の視線に耐えた。反射的に彼のことを(怖い)と感じてしまうのは、昔のトラウマがまだ残っているせいなのか、また別の理由によるものなのか、唯にはわからない。

「……先生はずるいです。そんな聞き方するなんて。でも、わたしは正直に本当のことを言います。特別病棟の七号室で先生に会った時、わたし、びっくりしたけどとても嬉しかった。そのあとも結城先生がまた来ると思って、ドキドキしながら待ってました。でも結局先生は来なくて……それでわたしはオペ室に異動になって。廊下ですれ違った時、むっつりしてたのはそのせいです。新しい環境で色々覚えなくちゃいけないことがたくさんあるのに、そんなことで心を乱されたくなかったし、外科系の先生たちに「可愛こちゃん」って呼ばれたのにも腹が立ちました。それでわたし、結局結城先生はわたしのことを「お嬢ちゃん」って呼んでた頃と何も変わってないんだと思って……あれはただ自分をからかっただけなんだと思いました。そしたら、なんだか昔あった色んなことを思いだしちゃって。救急部に来た最初の頃も、結城先生がわたしに変なことさえ言わないでくれたら、まわりとの関係ももっと早くうまくいったかもしれないし、またそういうことが繰り返されるのかなって思ったら……「結城先生なんか嫌い」って思ってたほうが気が楽だったっていうか」

「…………………」

 策士策に溺れるという言葉を翼は脳裏にありありと思い浮かべていた。7号室でキスしたあと、特別病棟へ翼が行かなかったのは、第一に主任の今里と顔を合わせるのが気まずかったせいである。そして第二に、いずれ唯がオペ室へ下りてくるとわかっていたため、性急にがっつかず、その頃にゆっくりものにすれば良いなどと、自分に都合良く考えていたせいでもある。

「そっか。俺もおまえにそこまで言わせておいて、本音を吐かねえってのは男らしくないよな。俺、実をいうとおまえのことがずっと好きだったわけ。でもあの頃はさ、部下の研修医どももおまえのことが好きってのもあったし……そういうの、上司としてどうなんですかっていうかさ。けど、十三階の5号室にいる澤先生にたまたま会いにいったら――澤さんの奥さんが新しく入ってきた羽生さんっていう看護師さんがどうこうって言ってな。で、まさかと思ったら、そのまさかだったってわけ。以降、何度か特別病棟には行ったんだけど、なんかこうタイミングが合わなくてな。しかもタイミングが合ったかと思えば、なんつーか、最初はそんな気なかったのに、おまえがなんか泣いてるから……それでちょっとこう変なことになったわけ」

 これで説明終わり!というように、最後にコーラを飲みほして、翼は中の氷をガリッと食べた。

「本当、ですか?わたしのこと、好きって……」

 唯は顔を上げられず、翼のほうを見ることもなくそう聞いた。

「ああ。おまえが救急に来た最初の頃はさ、実際本当に嫌いだったわけ。仕事ぶりもテキパキしてなくてノロいし、俺、わりとそういうのすぐわかっちまうんだよな。初心者だから仕方ないとか、社会人一年生だからどーのってことじゃなく――あ、こいつ絶対適性ねえなって。こういうお嬢ちゃんは老人介護福祉施設とか、そういうちょっと時間がのんびりしたとこでも行って、「おじいちゃん、おばあちゃん、一緒に折り紙折りましょう」とか、ボケたジジババでも相手にしてりゃいいんだってかなり本気で思ってた。けど、いつ頃からかな。確か、自分の気持ちにはっきり気づいたのは、例の慎ちゃんとやらが病棟に来ておまえと手を繋ぎながら帰ったりとか、そういうのを見てからだったと思う。あんなダサい男より、俺のほうがって思ったし、でもおまえは俺みたいのは全然タイプじゃないってこともわかってた。で、俺も思ったわけ。そもそも俺とおまえじゃ水と油で性格もまるっきり違うし、どうせつきあったってうまくいくわけがねえっていうか、そう思うことで自分を慰めようとしてたっつーか……」

 ここで翼はボリボリと頭をかきまわし、それから胸ポケットの煙草をまさぐった。翼と唯がいるのは喫煙席だったが、それでも何故か煙草を吸うことがためらわれる。

「あの、先生、どうして……もっと早くそう言ってくれたら良かったのに。わたし、他の先生がやたらと「可愛こちゃん」だなんて言うからてっきり……」

「なんだ?俺があのろくてねえ戸田とでも賭けをして、新人を落とせるかどうかやってたってことか?まあ、とはいっても、俺も戸田先生のことをとやこうは言えないんだよな。あの先生とは別の意味で俺も相当ろくてねえって意味ではな」

「…………………」

(先生は、ろくてなくなんてないです)と言いかけて、唯はこの時、思わず笑った。

「なんだ、唯。おまえ、ここは笑うとこじゃねえだろ、どう考えても。笑うとしたら俺がさっき、占い女のパーポーパーポーって言ったあたりだ。ま、俺とおまえじゃそういう笑いのツボなんかも全然違うんだよな。でも、俺は全然気にしないわけ、そういうの。逆におまえのほうがさ、気にするっていうのは一応わかる。たとえば、俺とつきあってるってだけでも、オペ室のナースどもがなんとなーく距離を置くようになるとか、そういうことも含めてな」

「わたし、そういうことは考えてなかったです。ただ、結城先生はわたしとおつきあいなんてしても、たぶん三か月くらいで飽きちゃうんじゃないかなあって、そう思って……」

「いや、最低でも半年は持つだろうよ、どう考えても」と、翼は気楽に応じた。「おまえがさ、俺のことを思った以上にどうしようもねえろくてねえ野郎だとでも思わない限りはさ」

 ここで唯がまた吹きだすのを見て、翼も流石に怪訝になる。

「なんだ、唯。おまえ今絶対俺が言った言葉以上に何か思いだして笑っただろ?」

「あの、先生……中材専従の水原さんが何故離婚されたか、理由を知ってますか?」

 唯は危うく爽健美茶を吹きそうになり、慌ててバッグの中からハンカチを取り出した。そしてプーさんの黄色いハンカチで口許を拭う。

「ああ、そういやあの人、結婚してたことがあるんだっけ。全然そんなふうに見えねえけどな。俺が聞いた話じゃあ、水原さんがすげえ潔癖症で、旦那がそれに嫌気が差して別れたとかなんとか……」

「そうなんですよ。でも水原さんの弁によると、「別れた理由?そんなもん決まってる。亭主がどうしようもねえろくてねえ野郎だったからだろうが」って、水原さんがそう言ってるのをわたし、なんか思いだしちゃって」

「ははあ、なるほど。なんかそこには他にまだ深い理由とやらが隠れてやがるんだな?」

「えっと、わたしこれ、詳しいところはあとでえっちゃんに聞いて知ったことなんですけど……水原さんと別れた旦那さんは、お見合い結婚だったそうなんです。で、水原さんは大して結婚になんて興味なかったそうなんですけど、向こうから断りの電話もかかってこないし、なんとなくお互いになあなあで結婚することになって。それでも結婚して五年目に家を建てるまではそれなりに仲良くやってたそうなんですけど、「家を建ててからが地獄だった」って、旦那さんがそうえっちゃんの義理のお母さんに言ったそうなんですよ。アパート住まいをしてた頃は、「なんていう清潔好きで料理のうまい女房を自分は貰ったんだろう」って小林さん……その方、小林さんっておっしゃるんですけど、スーパーの宅配係の人で、えっちゃんちによく来るんです。えっと、その小林さんが言うには、もともと水原さんは物凄く清潔好きだったけれど、新築の家を港通りに建ててから、それが磨きをかけたようにひどくなっていったって……雨の降った日に泥のついた靴で帰ってくれば、「オラ、マットが汚れてっぞ、洗え!」って命令され、風呂上りには必ず浴槽の中をきちんと洗うよう指導され……ゴミを分別しないで捨てようものなら、社会のゴミを見るような恐ろしい目つきで睨んでくるって」

「ふんふん、それで?」と、翼がさもおかしそうな顔をして相槌を入れる。 
 
「それで、そんなことが続いたある日のこと――小林さん、ついうっかり油断して、居間で煙草を吸ってしまったんですって。水原さんは出かけてて、まだ当分帰ってこないだろうと思ってたら、何か忘れ物を取りにきたとかなんとかで……そのあと水原さんは烈火の如く怒って「家の中で煙草は吸うなと言っとろーが!」ってぼがっとぶん殴り、旦那さんを家から追い出したそうなんです。小林さんのほうでも自分はもう限界だと思って、その後離婚調停することになって……結局、小林さんのほうが慰謝料を支払うことになったそうなんですよ。というか、そういう条件でももう、自分はこの女と別れたいと思って、あえて不利な条件を飲んだって。それでその三年後のことになるんですけど、小林さんはスーパーでパートで働いてる方と再婚されたんですけど、子供もできて色々お金もかかるし、その頃から慰謝料の月々の支払いが滞るようになったらしくて……水原さんが職場に頻繁に電話をかけてくるようになったみたいなんです。小林さんもそれは困るっていうことで、一度喫茶店で会って話をすることになったんですけど、小林さんが「自分は再婚して子供もいる。当然妻子を養うのに金がかかる。慰謝料の件はそろそろもういいだろう」みたいにお願いしたら……」

「お願いしたら?」

 唯は従姉妹の話しぶりを思いだし、ここでひとしきり笑ってから続けた。

「水原さん、烈火の如く怒って「なーにを言っとる!このろくてねえタゴ作めが!!」って怒鳴って、また小林さんのことをぼがっとぶん殴ったんですって。その喫茶店には奥さんも一緒に来てたそうなんですけど、奥さんもなんとかお願いしようと思ってたのに、会った瞬間すぐ諦めたそうです。なんでって、水原さんがどこか精神病っぽいオーラすら漂わせているのを見たら、こういう人のことを説得するのは絶対無理だと思ったって……」

 話のオチが見えはじめたあたりで、翼も腹を抱えて笑った。近くにいたイヤホンをはめている若い青年が、笑い声など聞こえないはずなのに、何故かしかつめらしい顔をして一瞬こちらを見る。

「だよなあ。あの人はそれじゃなくても一筋縄じゃいかない人なのに、そういう事情が絡んだらもう普通の男に勝ち目はねえだろうなあ。でもあの人、江口さんの話じゃ異常な潔癖症っていう以外じゃ結構いい人らしいな。そもそも潔癖症なのに猫や犬を飼ってたり、庭の土いじりが好きだったり……人間ってのはわかんねえよな、ほんと」

「ええ。わたしも水原さんに綺麗なお庭の写真とか、いっぱい見せてもらったんです。本当に花や動物の好きな、心の優しい人なんだろうなあって思うんですけど……「子供でもいれば、あんなクズ男とでも結婚生活続けなきゃなんなかったべな。あー、助かった」なんて言いながら、水原さんああ見えて結構子供好きな人なんですよ。広夢くんが遊びにいったら、一緒にクッキー作ったりして、子供がベタベタの手で台所を汚しても、全然叱ったりしないんですって」

「あー、そりゃあれだ。ようするに水原さんの目には、その元旦那の小林さんっていう人自体がもうゴミそのものに見えてたんだろうな。外から金を稼いでくる以外は、まるで存在価値のないゴミ……男ってのはつくづく悲しい生きものだよな、実際」

 翼がしみじみそう言うと、「わたしも、ひどい人間なんですよ、先生」と、唯が少しだけ深刻な表情になって続けた。

「わたしも、別れることになった最後のほうで、慎ちゃんのことそう思ってました。もちろん、ゴミとまでは思わなかったけど、この人とこれ以上一緒にいても、自分にプラスになることは何もないとか思って、切り捨てようとしたんだと思います。都合のいい時だけ自分の愚痴を聞いてもらって利用して、それで相手の欲しいものは何も与えなかったのかなって、そう思ったらなんだか……」

 食事が済み、店がだんだん混んできたこともあって、唯と翼はそこから出ることにした。トレイの上のものをゴミ箱に捨てると、小さい子供をふたり連れた夫婦と通りすがる。すると、その五つか六つくらいの子供たちは、ドナルドの風船人形を見るなり――「ランランルー」と、例のポーズを忠誠を誓うように何度も繰り返していた。

 翼は唯と思わず顔を見合わせてから笑い、一応、唯のことを送っていくという名目で、再び車の中へ乗り込んだのだが……。

「俺が、おまえんちに行ったりするのって、駄目?」

「あの、わたし今、女性専用マンションっていうのに住んでて。契約書の規約にあるんですよ。家族以外で男性を部屋に上げないことっていう……」

 翼がそこでいかにも疑わしい顔をした気がして、唯は慌てて弁解した。

「これ、本当なんですっ。アパートの大家さんの意向で、DVの被害にあった方とか、ストーカーの被害者の方とか、そういう事情のある方が多く住んでるので、アパートのまわりを不審な人物がうろついてるだけで通報されかねないっていうか……」

「そっか。じゃあ、おまえが俺の部屋に来るっていうのは?」

「…………………」

「いやか?」

 唯はここで、考えるよりも先に首を振った。嫌ではない、けれど……。

「じゃあ、決まりな。おまえもあれだけじゃ腹減るだろ。途中のスーパーかどっかでなんか買って話の続きでもしようぜ」

 ――このあとふたりは、スーパーだけでなくコンビニにも少し寄り、翼は両手に買い物袋をぶら下げて自宅マンションの十階まで上がっていくことになった。

 唯は買い物をしている間中、(なんだか恋人同士みたい)と思い、かつてあれほど自分をいじめた宿敵と思える相手が、全然別の意味で隣に存在していることを、とても不思議に感じていた。

(この人が、わたしのことを好き……でも本当に?)

 そのことを唯は疑っているわけではなかったが、翼が見た瞬間に欲しいと思ったものをどんどんカートに入れていくのを見るにつけ、なんとなく不安になった。自分であれば常に財布の中身と相談して、頭の中でそれなりに電卓を叩いているだろう。また金銭感覚が違うというだけでなく、翼は人の中でやはり一際目立つ存在でもあった。そんな彼と果たして自分は釣りあいが取れているのかどうか……唯が時折胸を苦しくさせていることなど、すっかり上機嫌の翼は気づくよしもなかった。

「散らかってて悪いんだけどさ、突撃お宅訪問みたいなもんだと思って、そこらへんは大目に見てくれって感じ」

「べつに、気にしません。そういうの」

「あーそう」

 翼はいい加減に返事しながら、玄関で適当に靴を脱ぎ散らかして廊下を先に歩いていく。唯はいつもの習慣で靴を揃えてから部屋に上がり、居間に辿り着いてから驚いた。

「……あの、すごくいいお部屋っていうか、結城先生がおっしゃるほど散らかってもいないっていうか……」

「ま、そりゃあな。だってここ、週二で掃除のおばさんが来てくれんだもん。そのおばさんが掃除してくれるってのもあるんだけど、やっぱ自分のいない間とはいえ人が来るってなると、少しは整った散らかし方をしようとか、流石の俺でも思うからな。そのおばさんってのが医局の掃除を担当してる人だってなったら尚更だ」

 翼が冷蔵庫に物を片付けはじめるのを、手伝ったほうがいいものかどうかと思いつつ、唯は今度はダイニングキッチンのほうをうろついた。台所のレンジまわりを見ていると、あまりここでは料理がされていないのだろうと直感する。

「先生、わたし、何か作りましょうか?」

「あー、べつにいいって、そういうのは。俺、そこらへんは普通と違って変わってっから。おまえがもし料理作るのうまかったら自分の嫁にしようとか、さらっさら思わねえな。だからおまえも、そういう悪しき習慣を最初から俺に身につけさせないほうが絶対いいぞ。あとで自分が苦しむだけだからな」

「…………………」

 翼の言っている言葉の意味は、唯にはいまいち把握しかねたが、それでもやはり唯は冷凍物とはいえ、翼が餃子やシュウマイを買っていたことを思いだし――「チャーハンなんてどうですか、先生」と言って腕まくりすると、冷蔵庫の食材をあさりはじめた。

「その人参、いつ買ったんだか、全然記憶にねえな」

「大丈夫です。ピーマンが軽くやばい感じですけど、全滅はしてませんし、あとは玉葱とにんにくがあって良かったです。豚肉がないので、ウィンナーで代用してもいいですか?」

「……なんか俺今、ドラクエで「はい」と「いいえ」が出てきた気がする」

「?」

 唯は翼が何を言っているのかわからなかったので、彼の言葉を了解の意と受け止め、ろくに使ってないらしい真新しいフライパンでチャーハンを作った。炊飯器の中のごはんは冷たくなっていたが、きのうの夜炊いたものだというのでまあ大丈夫だろうと見当をつける。

「ふう~ん、ふう~ん。こういうのを作れちゃうのねえ、女の子って」

 ものの四十分とかからず、唯がチャーハンと味噌汁を作るのを見て、翼としては若干驚いた。そして何よりもその味付けの濃さに「アンビリーバボー!!」と彼が内心叫びたいことなど、唯は知るよしもない。

「唯の家ってさ、ラーメン屋っていったっけ?なんか味つけがそんな感じだよな。古き良き中華飯店の味、みたいな?」

「えっと、うちのれんはラーメン屋なんですけど、父親が元は中華料理の人なので、ギョーザとか八宝菜とかニラレバ炒めとか、主なメニューがそんな感じなんです」

「へええ……」

 ――実際のところ、翼はつきあっている女性にこうして料理を作ってもらったということがほとんどない。先ほど唯に言ったように「そういうのはいいから」と一言いえば、爪をマニキュアで武装した女たちは、それ以上踏み込んでこないというのが常だった。

「これ、ただのワカメとネギの味噌汁だけど、ちょっとどっか店の味すんな。おまえ、これほんとに化学調味料使ったか?」

「あの、先生……余計なことかもしれませんけど、結城先生は少し減塩されたほうがいいかもって思います。今日はわたしもちょっと味付け濃くしちゃいましたけど、同じ化学調味料でも塩分の低いものがちゃんとありますし。朝と夜の二食をちょっと工夫するだけでも、大分変わるんじゃないかなって思います」

「そうねえ」と、翼はまるで他人事のように唯の話を聞き流し、冷凍物をチンしただけの餃子やシュウマイを醤油につけて食べた。

(そういう工夫をおまえがしてくれるんなら、出来るだろうけども)とは、普段思ったことをすぐ口に出す翼にも流石に言えないことだった。しかも唯自身はといえば、先ほどのハンバーガーで腹がいっぱいになったと言い、シュウマイひとつ摘むでもない。

「なに?おまえまさか、ダイエットとかくだらねえことしてるわけじゃないよな?」

「違いますよ」と、唯は翼の斜め向かいの椅子に座って笑った。「先生は男の人だし、昼間びっしり働いてるから、あのくらいじゃ食べたうちに入らないかもしれないけど……わたし、もともと体質的にあまり食べないほうなんです。あまり食べないって言っても、三食+間食たくさんっていう感じではあるんですけど、少し食べただけでも割と腹持ちのするほうっていうか」

「あ~、そっか。いわゆる小分け食いってやつだな。うさぎが草をちまちま食ったり、リスがどんぐりぼりぼりやってるあのイメージか。あいつら、一日トータルしたら結構食ってやがるくせに、イメージ的にはあんまり食ってなさそうで得だよな」

「そうです。そんな感じです」

(これでラーメンでもあれば、俺的には完璧だな)というのが、翼の実際の食欲ではあったが――唯一、翼は唯と腹持ちがするという部分では同じだった。一度ある程度食料にがっついておくと、その後十時間続くオペが入ってようと、平気で集中できるという意味において。

「おまえさ、手術室のほうはどうよ?」

 あっという間にチャーハンと餃子にシュウマイ、味噌汁を平らげ、ビールの残りを飲み干しながら翼は聞いた。テレビでは野球中継をやっているが、今の翼にとってはどうでもいいBGMか雑音のようなものでしかない。

「どうよって言われても……花原師長は看護師として模範とすべき良い方ですし、他の看護師たちともそれなりに連携は取れている気はします。でも、まだまだ全然これからっていうか。外科系の先生たちももう、わたしのことは「可愛こちゃん」と言ってこないと思うので、あとは結城先生とどーなっただの言われなければ、大抵のことは耐えられるかもって思います」

「ふう~ん、そう。じゃあ、おまえにとっては俺の存在がようするに邪魔ってわけだ」

「邪魔っていうか……結城先生がわたしのことを他にたくさんいるナースのひとりみたいに扱ってくれれば、あんまり話が大きくならなくていいのかなと思って」

 翼がどこか拗ねたような聞き方をしたので、唯はそう言ってかわした。今日のように、彼がオペ室内の休憩室まで迎えに来るとか、そういうことが頻繁にあるのは困ると本気でそう思う。

「でも俺、たぶんそういうの無理なんだよな~。一応言っておくとさ、麻酔科医たちやなんかに色々言っちまった手前、大っぴらに人に見せつけるようにつきあいたいっていうことじゃなくな、忍ぶ恋とか隠れた愛とか、俺そういうのには丸っきり向いてねえ。朝とか、おまえんちまで迎えにいって一緒に出勤してもいいし、そのうちさ、その……お互いの家の間を行き来したりとか、するかもしんないだろ。で、そういう時にいちいち、「わたしはこっそりつきあいたいから」とか言われると、もしかしたらそれが原因で喧嘩になるかもな」

「…………………」

 唯は微かに顔を赤らめると、膝の上の手に目を落として、じっと自分の両手を見つめた。翼が意外にも割と本気だということが、この時になってようやく唯にも少しずつ実感できるようになっていたせいかもしれない。

「大体、そもそもが変な話だよな。オペ室の主任の園田、あいつ中材専従のナースマン哲史くんとつきあってるんだぜ。っていうか、ほとんど同棲してる感じらしい。なのにべつにそっちはいいけど、俺がおまえと一緒にいたら駄目なわけか。へーんな話だよな、ほんっと」

「結城先生は目立つし……今年もイケメンドクターコンテストで1位になったでしょう?だからあの、わたしもなんていうか……結城先生もその割に大したことない女とつきあってるとか、そういうふうに見られたくないし……」

「ふう~ん、そう?で、おまえその投票、俺に入れたりした?」

 唯は翼と目を合わせずに首を振った。

「だって、その時は結城先生がK病院にいるなんて思わなかったし……雁夜先生に入れたんです。特別病棟の澤さんが、毎日彼がいかに脳外科医として優れ、人間としても素晴らしいかみたいな話をするものだから、つい洗脳されちゃって」

「まあでもあの人は、気違い師長の花原さんのものだからな。R医大の頃と違って、K病院でおまえがモテてるのなんか俺くらいなもんだ」

 そう言って翼は、一度トイレに立った。そして小用を足し、(よく考えたら餃子とにんにく入りチャーハンとビールってのは致命的だったな)と考える。この口臭ではキスをして別れることも出来なければ、それ以上の行為に及ぶなどとても無理っぽい。

(初めての彼はにんにくの匂いがしたとか、最悪だもんな、実際)

 かと言ってここで歯を磨くというのも、あまりに白々しい……と翼は思い、とりあえず今日のところはお手とおかわりとチンチンをしたのに、何故かエサをもらえなかった犬のような気持ちでいるしかないのだろうと、諦めることにする。

 そう、そのつもりだったのだ、翼としてもトイレを出た時には。



 >>続く。





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