天使の図書館ブログ

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Mr.ロバートを探して。-2-

2012-09-28 | 創作ノート

 今回は本文のほうが短めです(^^;)

 なので、前文に何を書こう……と思ったんですけど、1.最近読んだ本のこと、2.エース関係、3.プチ☆心理学の続き、4.日常生活のこと――う゛~んまあ、1と3は少し長くなりそうなので、この連載が終わった頃にでも、時間があったら書き書きしたほうがいいかもしれません。

 エースについては、ブログと司書の部屋のほうに色々書き散らしてあるので(笑)、そろそろ大分萌えのほうが落ち着いてきました♪(^^)

 え~とですね、今回劇場版のDVDを見ていて、何ゆえにこんなにも繰り返し自分はこれを見るのか、また飽きもせず見ることが出来るのか……っていう理由がわかったんです(笑)

 あの、わたしこれまでに夢中になった映像作品ってたくさんあります。

 それでも、こんなにしつこいくらい繰り返し見たアニメも映画も他にないんですよね。それと、わたしの場合よほどのことでもない限り、DVDを買ったりもしないんですよ(^^;)

 レンタルで見て、また時間が経ってもう一度見たくなったら、その時はその時でツ○ヤから借りてくればいいや、みたいな感じ。

 でも、旧も新も、実際に自分の家にDVDが届く前から――ようつべ☆にされてる1~4話までを、軽くそれぞれ十回くらいは見ているのです(笑)

 そんで、その時に思ったんですよね。「これは単にレンタルするんじゃダメだ。絶対繰り返し見るから、手元にDVDが必要だ☆」ってww

 まあ、新はDVDボックス一万円ちょっとするし、旧&劇場版は中古で買っても、安くて八千円近くしてたと思います(^^;)

 でも、それだけの値打ちが十分にあるというか

 そして、その理由がなんでかっていうのが、今回劇場版DVDを見るまでわからなかったんですけど……ようするに、わたしにとってはその理由って、「デスノート」と一緒でした。

 いえ、映画とかアニメのほうのデスノじゃなくて、原作のほうのデスノート。

 もちろん、映画もアニメもこれでもか!というくらいの素晴らしい出来栄えだと思うんですけど、何分わたし、デスノに関しては原作至上主義者なので、そちらで比較したいと思います(^^;)

 つまり、デスノートをわたしがなんであんなに繰り返し何度も読んだかっていうと――ストーリーの内容の濃さもさることながら、Lやメロやニアっていう超お気に入りキャラが活躍する、そんでもってそれだけじゃなく、小畑先生の絵が神的に綺麗だっていうのがあったと思うんですよね。

 なんていうか、小畑先生と同じくらい……いえ、小畑先生ほどじゃなくても、絵が綺麗な漫画家さんは他にもたくさんいらっしゃると思います。

 でも、小畑神の場合は、なんていうかこう、いちいち完璧というか、1コマ1コマ完璧すぎて目が離せないというほどの、絵的に強い魅力があると思ってて。

 そんでもってこの部分が、わたしにとってのエース劇場版とぴったり同じ感じだったというか(^^;)

 劇場版エースは、もちろん絵のほうがめっちゃ美麗なんですけど、1カット1カットがもう、他にはありえないという完璧さの連続でストーリーが続いていくんですよ。物語についていうなら、原作・旧・新を読んでる方なら、もうすでに大体頭の中に入ってるわけですから、それをあらためて見るって……みたいな部分が多少ないわけでもないわけですよね。

 でもやっぱり、このストーリーの凝縮性と絵の完璧なまでの美麗さは、ある意味常軌を逸してると思います、本当に(笑)

 しかも、これがもし漫画なら、「なんて完璧な構図だろう」といった場合には、ちょっと手を止めて前のページをじっと見返したりも出来るんですけど――アニメはそれが一瞬で通りすぎていってしまうので、そのせいで同じ場面を繰り返し何度も見たくなるんだなあって、今回初めて気づきました(^^;)

 いえ、わたしもうたぶん、劇場版は二十回くらい見てますよ(笑)

 それでもまた今日もこれから、ごはん食べながら見るのですww(ビョーキ☆)

 なんにしても、出崎監督とアニメのスタッフさんには、こんなに素晴らしい映像作品を作ってくださって、心から感謝です

 それではまた~!!



       Mr.ロバートを探して。-2-

 ただ、ママの浮気が確定して以来、ひとつだけ心の軽くなることがあったのも事実だ。

 それはどういうことかというと、ママがパートに出かける時間を見計らって、どこかびくびくと怯えた気持ちで家へ戻らなくてもいいということだった。

 テーブルの上には、<マリちゃんへ。冷蔵庫におやつのパイが入っています。電子レンジでチンして食べてね>といった、いつものお決まりの置き手紙がある。前までは、この文字を見るたびに深い罪悪感が心を捉え、おやつがうまく喉を通らないこともあったけれど――今はもう、すべてが平気だ。もしかしたら、慣れてしまったのかもしれない。

 ママだって、不正なことをしているのだから、わたしだって同じことをしてなんの咎めを受けねばならないのだ?といったような、開き直りの境地に達しているといっていい。

 そこでわたしは、二階の自分の部屋で、お気に入りのDVDを見ながらアップルパイを食べ、インターネットで自分のブログをいつものように更新することにした。

 最近、わたしは小説を書きはじめた。サガンのように、十八歳までにあんな素晴らしい文章を書けるようになりたいと思い、目下、悪戦苦闘中だった。

 主人公は、不登校になっている可哀想な少女で、両親にも見捨てられている、ひとりっ子の女の子……ほとんどそのまま、自分のことだった。

 でもいつも、わたしの文章はあるひとつの部分で躓いてしまう。つまり、主人公が自分の不幸な境遇をただつらつらと並べ立てているというだけで――そこには<ドラマ>というものが存在しないのだ。

「やっぱりこう、サガンのようになるためには、わたしの場合、人生経験が不足してるんだろうな……」

 わたしは出口のないこの苦しみのために、ふたつのことをしている。

 ひとつ目は、海に出かけていって、浜辺でぼんやり過ごすということ、ふたつ目は、<マリー・ド・サガン>という喫茶店へ出かけていって、その喫茶店に置いてある客の日記帳を読むということだった。



 >>続く。





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