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かなたんの更年期を楽しむブログ♪

ただいま 更年期真っ最中のアラフィフ女デス
自分のこだわり・思うコトなど
独断と偏見で言いたい放題綴ってマス 

試験の思い出

2018年01月30日 09時43分06秒 | 思い出話

見事な二等辺三角形の枝模様です(^^♪

すっごく寒いけど 桜の枝も蕾をつけはじめてます(≧◇≦)

我が家の愚息は大学4年生

今日で試験が終了します

大量ーーーーーーーっ

単位を残しまくっていたので この半月は半狂乱状態・・

「最後まで諦めない!!」といつになく家でも勉強している姿は

姿は・・姿は・・・

とても褒められたものではありません・・・(--〆)

大学というものをナメきっていた結果がこれです!!

ワタシも本当は大学に行きたかった!!

ワタシの高校の成績をみて 

父は確かに

「大学に行っていいぞ」と言いました

だから高3の夏やすみも頑張って勉強してたのに

9月下旬になっていきなり

「短大じゃなきゃダメだぞ」などと言ってくるので

どれだけ頭にきたことか・・・

しかも その理由が!

ワタシは末っ子なのでワタシが20歳の時に扶養手当が切れるから

なんですか?それ!

腹が立っても スポンサーには勝てません・・

一気にやる気をなくした私は 180℃方向転換

言われたその日に たまたま届いた短大案内パンフレットをみて

1秒で決めてしまいました

そのまま さっさと推薦希望出して11月に受験終了 ちーん・・

推薦試験のせいか この短大のレベルのせいか

試験問題は高校受験の試験よりも簡単でした

そりゃもう・・驚くほどに・・・

これ・・みんな満点じゃないの? 

とバカなワタシが思っちゃうくらい・・というより

ひょっとして・・バカにしてる?

それくらい簡単な内容だったのです

それでも今じゃ考えられませんが この短大の推薦試験

なんと倍率が7倍近かったんです!

   (👆あとで事務課に聞きに行きました)

差もつかないような試験点数で どうやって選考するの(・・?

推薦なので定員より多く取ることはないですし・・・(--〆)

国語の試験問題の設問では

「ニ、 次の漢字の読み方をかたかなで書きなさい」

そこには10問ほどの漢字が羅列していました

中学生でも読めるような簡単な漢字ばかりです

「著しい」

 こんな程度の簡単な漢字 楽勝です

「いちじるしい」と回答欄に記入しサクサク進めていきました 

ワタシはとにかく試験問題を解くのが速い 

速いかわりにケアレスミスも多い

それを自分で分かっているので

当時は10分で試験を終わらせたら 

30分かけて見直しすることにしていました

1度目の見直しOK 2度目の見直しOK

こんな簡単な問題 見直しするのもバカバカしい・・

でも とりあえずの

3度目の見直しで ワタシは気づいてしまったのです!!

「二、次の漢字の読み方をかたかなで書きなさい」

かたかなで書きなさい

かたかなで書きなさい(・・?

ひぇ~

こんな問題ありますか? ワタクシ初めてでした!!

なんでカタカナ指定(・・?

回答欄5問ずつの2列の枠を消しゴムで全部消す手が震える震える

こんな簡単な10問全部落としてたら・・・ ひぇ~

脳は思い込む臓器です・・ ずっと試験問題でひらがなで書くのが

当たり前と思っていると「かたかな」と読んでいるのに

「ひらがな」のつもりになっているのです!

さらに 受験で頭がテンパっていますので

設問の指定よりも 

「どんな漢字?」というほうが気になってしまい

さらに パッと見、

「分かる!!」と思うような簡単なものばかりだと

気持ちは解くほうにサッサと向いてしまいます

この受験のふるいはココだったのです

かなり えげつない選考方法ですが・・・

ワタシは 気づくことが出来たので合格しました

そして

受験の時にワタシの席の前後左右、

それから面接を待つ間に仲良くなった受験生とは

入学後に会うことはありませんでした


4年制大学に行きたかった気持ちはありますが

(学びたい分野もありました)

息子の受験をみて 

あの頃のワタシじゃあ 

大学にまず受からなかっただろうな

と今は思います

受験を舐めきった息子は浪人し

やっとの思いで大学に入ることが出来ました

フツーはそこで懲りるはずなのに

大学生活も完全に舐めきって

遊びほうけて この始末・・(--〆)

今日も朝から 

「吐きそうだ・・・」と言いながら出て行きました

浪人生で迎えた受験日再び・・みたいな感じで

ホント―に ホント―に

どうして学ばないんでしょう・・あのバカは・・

試験問題は2つしかないそうで 

ヤマが・・ヤマが・・ とか 

超不安な顔つきで出て行きましたけど

それ聞いた ワタシのほーが心臓に悪いです・・

試験で思い出しましたが

ワタシは 何度も言っているように短大卒です

短大の試験はものすごく教科が多いんです

1年の前期の試験は

8日間で20教科という殺人的日程で

しかも夏休み前に行われました

ほとんどの教科が1期で終わるので

範囲は教科書全部・・・(--〆)

あまりの膨大な試験範囲に もうてんてこ舞いでした

その中でも 先生の講義が もうよくわからない・・

何をポイントにおいて話しているのか

ノートもどう取っていいのかよくわからない 

そんな先生いますよね 下手くそな講義しかできない先生・・

その先生の教科が どーにもこーにも対策が練れず

とりあえず試験問題は5問という事だけは分かっていたので

息子じゃないけどヤマをはるしかない・・

なにしろ5問ということは1題20点です

2問落として3問目に減点があれば「不可」決定ですので

ヤバいヤバい・・

しかも こういう問題形式は初めてときてるので

どんな感じで出題されるのかも皆目見当すらつきません

頭がパンク寸前になったワタシは 

部屋の窓を開け夜空に向かってお祈りしました

「どうか!!明日の生理学の試験に筋肉のミオシン説が出ますように!」

それはもう真剣に何回も繰り返して拝みました

何で筋肉の説明なのか分かりませんが

そのときたまたま そこを勉強していたからだったと思います

もうこれ以上ヤマは はれない! もう無理(>_<)

これで この教科はおしまいにするからカミサマお願い!

そんな気持ちだったと思います

さて 翌日

試験問題が配られドキドキしながら5つの問いを読みました

筋肉のミオシン説に関する問題はありませんでした

それでも1問目はなんなくクリアー

2問目・・「やばい・・ うまく説明できない・・てか

        わからない・・」

3問目・・解ける

このあたりで 教科担当の先生がやってきました

「訂正箇所があります」👈たいていありますよね

「設問2ですが、不適切な問題なので問題ごと変えます」

え(・・? 問題差し替え?

ビックリした私たちの目の前で先生が黒板に書いた問題

なんと!

「筋肉のミオシンについて述べよ」だったのです!!

ワタクシ 震えました!! ホント―に・・

問題が変わる? しかも願い通りの問題に変わる?

ワタシ…先生に賄賂なんて送ってないし

個人的にお願いに行ってもいないよね

こんなことって こんなことって・・

スラスラ書けるはずの答えを書く手がガチガチ震えてしまって

それこそ狐につままれる?・・そんな気分でした

かくして ワタクシ この教科で100点をとり

「優」を頂いたのは言うまでもありません

今でも 忘れられません・・

試験って

努力だけでなく運もついてきます

設問が少なければ少ないほど・・

大量の内容の中で どれでもOKというくらい

全部覚えていかないといけないという事ですから

少ない問題量ほど たくさん勉強していかないと

いけないのですが 

なかには たまたま 勉強したところだけ

ドンピシャに出ました というラッキーな方もいます

たくさん勉強したのに そこだけ飛ばしてしまったとう

気の毒な方もいます

とはいえ

ワタクシ

2問しかない試験に臨む崖っぷちの息子に同情するつもりは

毛頭ありません

息子の場合は 次元が違います・・・(-_-メ)

なぜなら 答えは簡単

4年もあっただろ!

4年間なにしてやがったんだよ 

コノヤロー

です
















 


 





 
















 




































23年目

2018年01月17日 21時12分37秒 | 思い出話

 

阪神淡路大震災から23年が経ちました

平成7年1月17日火曜日の朝5時46分

寝ていたワタシは寝室の柱がガタッと軋む音で

目が覚めました

地震が来た! と思ったのですが

そのあと 揺れる事はなかったので そのまま起き

台所でテレビをつけると

関西方面の地震速報が流れていました

その時点で震度は大きかったものの

「ケガをした人は20名の模様です」

という簡単なアナウンスだけで

すぐに次のニュースに移ってしまったので

震度のわりには そんなものか と、さして気にもとめず

家事にとりかかりました

その次にテレビをつけたのはお昼でした

テレビをつけたら 戦争中の大空襲のように

街中が火の海と化していました

一瞬 目の前で何が起こっているのか理解できませんでした

あれからもう23年が経つのですね・・・

尊い命をこの震災で失われたすべての方々に

心より黙とうをささげます




ワタシは あの日 臨月を迎えた妊婦でした

それだけに 今の状態でこんな大災害に見舞われたら・・と思うと

ゾッとしました

電気も通らない暗闇の中で無事出産という記事を

「よかった・・無事に出産されて ホントによかった・・(/ω\)」と

他人事でない気持ちで読んだりしたものです

震災の落とし子なんて言葉もあるように

震災のショックで出産を早めてしまうこともあるそうですが

あの時は 震災の翌々日あたりが満月で 

産気づく条件が重なっていたかもしれません

そんな大変な状況で生まれた子たちも もう23歳なんですね

ワタシも満月に誘発されたのか 

予定日より10日も早く息子を出産しました

産んだ病院でも

1月19日前後に生まれた子がとても多くて 

授乳室がいっぱいで廊下で授乳する産婦さんが出るほどでした

この病院 ご飯がゴージャスと聞いていたので 

とっても楽しみにしていました

前日に翌日1日分の食事メニューがキレイな紙に印刷されて

1人1人に手渡されるのですが

そこには 花のイラストとともに ステキな名前の

料理名がスラスラ~っと書かれていました

「なになに 明日の朝ごはんはパンか・・」


レーズンブレッドのママ⁻レード添え

アッサムティー

ボイル・ド・エッグ 

有機野菜のグリーンサラダ 


なんだかステキじゃないですか・・・

期待に胸を膨らませ迎えた翌日

朝の授乳から戻るとベッドの脇に朝食が置いてありました

(個室しか空いてないといわれ個室に入院してました)

それをみた瞬間

ワタシは愕然としました

お盆の上には想像とはるかに違う現物が

乗っかっていたからです

ワタシ風にもう一度書き直させていただくと


ぶどうぱんにマーマレードくっつけてみたやつ

紅茶

ゆで卵1個とレタスちぎったやつ


特に

想像を膨らましていたボイル・ド・エッグ

どこにあるのよ・・・

ゆで卵しかないぢゃないの・・

ん? ん(・・?

ゆで卵(・・?

・・・・

ボイル=ゆでる?

ボイル・ド・エッグって もしかして

ゆでたまごのことですかっ!!

  ( ゚Д゚)・・・・

ホント―に驚きました・・・

この病院のメニュー 

全てがこんな横文字ばっかりで

おやつだって すごく美味しそうな名前のお菓子名が

書かれているのに 3時に届けてもらうのは

旅行のお土産にもらうみたいな小さく包装された

まんじゅうとかで

ソテーとか バジルオムレツとか

パスタとか ブロヴァンズ風とか 

響きがいい言葉で並べ立てるそのセンスには

目をみはるものがありますが

でてくる食事のどれもこれもが

期待を大幅に裏切るもののオンパレードで・・

ボイル・ド・エッグがゆで卵なら

卵焼きは ベイク・ド・エッグ・・・( ゚Д゚)

目玉焼きもベイク・ド・エッグで出てきましたからね

カフェ・オ・レ とか書いてあるけど

どーみても コーヒー牛乳だし・・

裏切られた感ハンパなし・・・(/・ω・)/

退院間際になると さすがにワタシも

セイロンティー?  ああ紅茶ね・・

おやつは ケーキ? ああロールケーキね

と、こんな風に読み方が分かってきました

この病院 1日だけ出産の祝い膳というものが

用意されます

(もちろん入院費用に組まれています)

この祝い膳もすごかった・・・

鰻の蒲焼きご飯に赤飯

さらにステーキに鯛と

ケーキがオマケという組み合わせ

 

明らかに栄養バランス

   おかしいでしょ!!

一体誰が献立組んでるの?

めでたくて高価なものを

てんこ盛りすればいいってもんじゃないのよ!

とにかくすごいお食事でした・・・

そして37万円とられました・・・(/・ω・)/

神戸の震災のことを思えば ベッドで寝れて

食事を頂けるだけで有難いことだったんですけど

あのメニュー表は 今でも忘れられません・・・

 





 


 




 








 




仲良しグループ

2018年01月15日 21時08分34秒 | 思い出話

まず・・

ワタシの今までのブログ・・そしてこれからのブログについて

大変 誤字脱字が多いことを陳謝致します

もちろん自分で気づいております

変換ミスが多すぎることも

文章がキレイでないことも 

まどろっこしいことも

それでも読んでくださることに大変感謝しております

ワタシは

大変 大ざっぱでテキトーで雑な性格です

お給金が発生するお仕事では キチンとこなす努力を

してますが それも自分の性格を知っているが故

気をつけているから・・なだけでございます

基本的には いつでもゴロゴロしていたい・・

でもお給金が発生する仕事では 少しもジッとしていないので

一緒のシフトの人は そんなワタシを見て疲れてしまうかも・・

このへんは 横浜生まれと言っても 長野県気質をガッツリ

受け継いでいると言えます(なにしろサラブレッドですので)

まぁのどかな田舎の人間のDNAなので

子供の頃から どうも横浜の生活は自分に合わないような気がしてました

血って怖い・・

ワタシは みんなでワイワイするのが好きなんです

仲良しグループとかが ものすごく苦手で・・

同じ年の子はみんな友達って思っていて

学校に行って 教室に入れば誰とでも話せて

誰とでも遊べる・・ そんなふうに思っていました

いろんな友達と遊ぶ中で半年もすると 特に気の合う子が

分かって来て 自然とその子と遊ぶ約束をする回数も増える

でも、2人きりじゃないとイヤとか そういうんではなくて

2人で遊ぶ日もあれば、他の友達も一緒になって遊ぶ日もある

そーゆーもんだと思っていました

げんに小学校5年生くらいまでは そんな感じで毎日楽しく学校で

いろんな子と遊んでました

6年の秋くらいからかな・・ なんとなく女子がグループ化しだして

グループを作った子の輪に入りづらくなってきたのは・・

なんとなくヘンな空気を感じてはいたものの 

さして気もとめていませんでた

そして中学に入学したワタクシ・・

中学でいろんな友達に会えると思うと かなりワクワクしてました

どんな子がいるのかなー なんて かなりノンキでした

一人浮かれていたといっても過言ではありません

しかし・・ 入学したその日から 

女子生徒たちは 誰もが 自分が所属出来るグループ探しに

血眼になっていたのを ワタシは全く気付いておりませんでした

最初はみんな 愛想よくしゃべってくれました

いろんな小学校からきた新しい友達と話せることが

楽しくて なかなか中学校も楽しいなーなんて思いながら1週間が

過ぎようとした頃 

それまで 普通の席順で食べていた弁当の時間に

異変が起きました!!

いきなり女子が

机をガタガタ動かし始めて

島を作っているではありませんか!

ナニゴト?( ゚Д゚)

というか・・ いつのまに そんなグループが出来ていたの?

まんべんなくクラスの女子と話していたワタシは 

どこのグループに入ってよいのか見当もつかず・・

途方にくれました・・・

とりあえず

同じ小学校出身の子で席も前後だった友達にくっついて

その子の人脈?で作ったグループに入れてもらうことが

出来たのですが・・・

そのグループが・・ ワタシには大人っぽすぎて

ついていけない・・

話題は好きな男の子の話ばっかりだし

部活もロクに入らず 放課後は街で遊ぶ約束ばかり・・

中学生の遊びって・・お金かかるんですよ

小遣いもロクにもらえないワタシには ついていけない世界・・

休日に遊園地に行こうなどと言われて

「いくら持ってく?」

「6000円くらいかな」

6000円なんて 母がくれるわけありません!!

しかも このグループ7人という奇数・・

(すぐに5人になりましたけど)

あぶれるのは ワタシ以外おりません・・・(/ω\)

また その中の1人が やたらと

「かなたん 可哀想・・ みんな・・かなたんの悪口言ってるの」と

逐一報告してきて

「ワタシはかなたんの味方だからね!」

なんて言うんです

「グループ抜けても ワタシはかなたんについて行くから!」

なんて有難い言葉を頂いたので

そんなに みんなが影で自分をキライなら

これ以上 グループにいても仕方ない 

もともと全て自分とは 

価値観も何もかも違い過ぎるグループだったし

金銭的にも限界・・ ついていけない。と

思いまして 6月頃には

「皆、ワタシの事をキライみたいだからグループ抜けるわ」

とハッキリ言いました

悪口言われたら 自分自身を反省するべきですが

この時ばかりは 自分のナニを反省したって

もう絶対 このヒト達とは行動を共に出来る要素が

1個もない・・と思ったのです

そしたら

「え~ なんでぇ~ みんな かなたんのこと好きだよぉ~」と

心にもない言葉で悲しいフリをしてくれましたが

次の日から 完全無視される日々が待っておりました

無視どころか、狭い教室で 近くを通るだけで

「今 いやなものみちゃった」 とか言われる始末・・

そして 「かなたんの味方だからね」といった友達は

全然味方じゃありませんでした

このグループ 秋には ものすごい内部分裂を起こして

グダグダになり とりあえず ワタシへ対する無視状態は

解消されました その時

一番 ワタシを悪く言ってたのは ほかならぬ その友達だったと

初めて知りました・・(--〆)

中学校で 女子の仲良しグループの恐ろしさを目の当たりにしたワタシは

中2になると 今度は 最初から

「女子全員でお弁当を食べようよ」と提案しました

初めは皆が 「そうしよう!」と賛成してくれました

これで みんなが仲良しになれるなぁ と安心していたのもつかの間

やっぱり1週間もすると 島が・・・

またも・・あぶれるワタシ・・・(/・ω・)/

中3になると さすがのワタシも 安定した日々の確保を・・

とりあえずお弁当仲間を探す毎日から脱したい・・との

切実な問題解決に向けて

初めからグループ作りに積極的に参加しました!

初めて同じ部活の友達と同じクラスになれたので

その子から離れるまい!と 

スッポンのようにくっついていたおかげで 

6人グループに入ることが出来ました

でも・・ 6人グループでも結局は2・2・2なんです・・

その中で一番仲の良い子が休んでしまうと 結局1人ぼっち

仲良しグループってホントに難しい・・

高校に入っても 同じことの繰り返しで

みんな よく1週間足らずで 自分と気の合う子を

みつけられるもんだ・・とホントに感心してしまいます


と・・こんなふうに書くと ワタシはいつでも 

ぼっち?の青春を送っていたように思われますが

そんなこともありません

お弁当を一緒に食べてくれる子が今日はいるかなぁ・・

と考えながら登校する日が 圧倒的に多かったけれど

3学期くらいになると グループもかなり崩れてきて

ワタシのような ちょっと枠にはまらない子を

理解して 集まって来てくれるクラスメートも

たくさん出来ました

あー 学校楽しいなー と思うと あっという間に進級で

クラス替え・・・( ゚Д゚) また一からやり直し・・

(10クラスありましたから)

オーマイガッ

仲良しグループって ホントに加入が難しい

このグループに入ったら入ったで

他のグループの子と ちょっとでも仲良くしようものなら

「もう あの子は私たちの仲間じゃないわ!」みたいな

ものすごい嫉妬の嵐・・

トイレに行きたいからといって 勝手にトイレにも行けないし

1人で行こうモノなら

「なんで1人でいっちゃうのよ!」と これまた怒られる

自分の用足しの音なんて あんまり聞かれたくないし

なんで あんな汚くて臭い所に誘わなくちゃいけないのか

さっぱり意味が分かりません(・・?

しかも ワタシは用足しがものすごく速い!

サッと行ってサッと帰ってくるんだから 

そこまで問題視しなくても・・

なーんて思うから グループからあぶれるんですね

こうして浮いてしまうのは 都会向きの性格じゃないせいかなぁ・・

なんて思ったりしたものですが

田舎に遊びに行ったら行ったで 

全然受け入れてもらえませんでした

まず服装からして違う・・

田舎の中学生は 基本ジャージ姿ですので

決してオシャレでないワタシでも 

浮くなんてもんじゃない・・

そのうえ

小さい村は 全員知り合いですので

ワタシなんて一目で よそ者と分かりますから・・

白い目って・・あーゆーのを言うんだな・・・(+_+)

と、思いっきり実感しました

村のほうが 仲間意識強いかも


結局 都会でも田舎でも

どこでも浮く子供だったわけです(>_<)


みんな ワタシといると

「おもしろーい」「たのしーい」と言ってくれるのに

ヘンだなー と いつも思ってました

 

 














 

 















 


























お正月のお供え餅

2017年12月29日 19時32分39秒 | 思い出話

今年も残すところ あと3日

29日も もう終わるので2日ですね

29日というと 学生の頃のバイトを思い出します

短大2年の冬は 卒業試験の勉強と資格試験の勉強を

しなくてはならず バイトをしていなかったのですが

駅前の和菓子屋でバイト募集の張り紙をたまたま目にして

28日~31日までという4日間の短期くらいなら出来るなぁ・・と思い

バイトをお願いしたいと申し出てみました

そしたら そこの和菓子屋の ものすごいケチそうなおばあさんが

最初は ちょっと渋ってたものの ちょっと話すうちに

「あんた いい人そうだから 頼むわ」といった後で

「時給はこれだから。 交通費は出せないからね」

と紙にサラサラっと書いた額 500円

いくら30年近く前といっても時給500円の時代では断じてありません!!

しかも この和菓子から家まではバスの始点から終点の距離・・

「げ・・」と思いましたが 時給聞いて「やめます」とも言えず

それでも10時から7時まで休憩1時間の8時間で

日給4000円の4日間 1万6千円(-_-メ)とはいえ

何もしなければ0円ですから 

頑張ろう!と決めました

しかし この仕事・・ ワタシがやった数々のバイトの中で

過酷さベスト3に入りました・・

和菓子屋の前の道路で鏡餅を売るというお仕事だったのですが

(これも当日知りました 中でお菓子を売るのかと思ってました)

吹きっ晒しの道路に暖房器具1つもなく8時間立ちっぱなしで

ろくに売れもしない鏡餅を売り続ける・・

もーホントに寒いったらないんですよ!!

だって動かないんですから!

とにかく ひたすら

「鏡餅いかがですか~!」叫ぶのみ!!

ちょっとでも 声が途切れると 

中のほうから

「声がきこえないわよ~」

生の餅なので28日は

「今日買うのは早いわ~カビちゃうもの」

という方多数でほとんど売れず 

29日は29日で・・

なんと!29日は苦餅(くもち)といって

誰も買ってくれないんです!

今だったら こんなの気にする人いないかもしれませんけど

ちょっと前の日本人は意外と こういうジンクスに従順でした

「今日は29日じゃないか ダメダメ」

みんな こう言って去っていきます・・

誰も買ってくれないのに

「鏡餅いかがですか~」 8時間・・・ もー辛すぎる・・

唯一売れたのが30日でした。

といっても 鏡餅ですから

そんなに飛ぶようには売れません・・

真空パックのカビない鏡餅が出始めてた頃でしたし

高いのにカビる鏡餅なんて・・・

1個3000円とかしましたからね (小さくても1600円)

それでも ちょっとでも売れれば 

まだ 少しはやりがいがあります

30日は 声のかけがいもあったし

さすがに3日目になると 防寒対策もバッチリになって

カイロ貼りまくり 靴下3枚重ね とにかく割烹着の下に

着れるだけ着こんで行ったので 

寒さもなんとか しのぐことが出来たので

あと1日 何とかやれそう!と思って

迎えた最終日の31日

1日飾りは縁起が悪いというジンクスご存知ですか?

鏡餅は全く売れませんでした

もー イヤ

二度と鏡餅売りのバイトはしないっ!!

ワタシは心に強く強く誓ったのでした

この4日間 ホントに寒くて辛くて

声は限界だし 足はパンパンだし

最終日まで 差し入れひとつ

温かいお茶の1杯ももらえず

ツラくてツラくて仕方なかったのですが

何よりもキツかったことが 

実は他にあります

それは・・ この和菓子屋の隣りの写真屋から

エンドレスでずーーーーーーーっっとかかり続けた

徳永英明の曲

「輝きながら」

気が狂うかと思いました 

あの独特な ねちょ~っとした声で

「か~がやきぃ~な~がらぁ~♬」

8時間×4=32時間 ワタシは 

ひたすら聴き続けたのです

とにかく 曲が終わって

「か~がやきぃ~な~がらぁ~」が再び始まるたびに

お願い(>_<) もうやめて( ゚Д゚)

誰か助けて!!(/ω\)

どれだけ 心の中で叫んだかしれません

 

このときの体験で

ワタシは 未だに 徳永英明の「輝きながら」を聴くと

わけのわからない怒りがこみあげて気分が悪くなります

そして 

結婚して25年以上経ちますが

ワタシは一度も鏡餅を飾ったことがありません・・・

鏡餅・・・見るのもイヤ

日本人として どうかと思いますが・・

ワタシのことはさておき

鏡餅、飾るなら明日です

31日に飾ってはいけません

(もちろん今日もダメよ)












 












 

 






中学時代の問題児?だった頃のワタシと先生の思い出

2017年12月05日 07時12分50秒 | 思い出話

昨日 短大生の頃の出来事を書きましたが

基本的には とっても真面目な性格のワタシですが

子供のころは集団の枠に収まらないタイプで

あの頃の願いが

「とりあえず朱に交わりたい・・」

朱に交われば赤くなる

この諺は 人が環境とかつきあう人によって良くも悪くもなる

そんな意味なんですが

ワタシが思っていた「朱に交わる」は

集団の中で みんなと同じ感じになりたい

どれが自分か分からない色になりたいっていう感じの意味で

簡単に言うと 目立ちたくない・・・

ワタシは なんでも堂々とやってしまい ヘンに目立つので 

先生には いつも怒られてばかりでした

今は これを個性と呼び 

とても尊重してもらえる?ようですけど

中学3年間全部が新しく赴任してきた先生に担任を受け持ってもらいましたが

在任の先生方に言わせると 誰もワタシを受け持ちたくなかったから

ワタシを知らない(新しく来た)先生に受け持ってもらうことにしたとか

ホントかどうか知りませんけど・・

3年生くらいは 学校で人気の先生のクラスになりたいなーと

思いますよね

合唱コンクールで必ず優勝出来る先生とか 

先生を中心に すごくまとまってるクラスあるじゃないですか

そんなクラスを2年間 横目で羨ましく見てきたので・・

合唱コンも最下位続きだったし・・

新卒の先生って・・ 最初の1年は

すごい理想に燃えてるんですよね

現実より理想 それがかけ離れている実態に

だんだん やさぐれていくのが 1年の経過でよく分かるっていうか・・


2年生の時の担任(男性)は 合唱コンクールの選曲のとき

「ぜひ 君たちに歌ってほしい曲があるんだ

とかいって カセットデッキを 教壇に ドカンっと置いて

曲を流し始めました

カセットデッキから流れてきたのは

関西弁の歌でした

「(・・?」

横浜は関東なので 関西弁の歌は初めてで

まず ここで みんな絶句・・

♪ ちこたん ちこたん

  チコチコチコタン♬ 

「・・・( 一一)」

ちこたんとは どうやら好きな子の名前のようで

チコタンが大好き!という気持ちを歌った

ラブソング? しかもプロポーズ?

中学生の合唱コンクールで?

この先生バカじゃないの?

思春期真っ盛りの40人の生徒は ほぼそう思いました

この曲 ものすごく長くて

最初はラブソングらしく明るい曲調だったはずが

どんどん ヘンテコな曲調に変わっていくのでした

ただでさえ馴染みのない関西弁に加えて 

曲に乗った歌声で どうなってるのかよく分からないのに

突然

「ほっといてんかっ!

「( ゚Д゚)・・・」

かと思えば

「ヤッホ―♬」「ヤッホー♬」

なんですか? この目まぐるしく変わる心情は・・・

もしかしたら 思春期の私達の心の不安定さを 歌で体現してほしい

そんな願いが込められた先生の深ーいお考えの上での選曲なの?

と 思い始めた次の瞬間



「チコタン死んだー」

しかも チコタン殺したの誰やー

誰や~誰や~誰や~

と恨み節が続き とどめは

「アホーーーー」


教室中 ドン引きでした・・・

静まり返る生徒を前に先生は しみじみした顔で

「どうかな?」

どうかな?もこうかな?も

全員が ドン引き状態で

さすがに空気を察した先生は

何も言わずカセットデッキをしまい

「なら君たちで選べばいい!!」

とふてくされて 教室の角で腕組んで座ってしまいました

こんな恐ろしい曲を 生徒と信頼関係も結べてない6月に

自信満々に 君たちに歌ってほしいと懇願されても・・

この曲 本当にインパクトすごくて

たった1回聴いただけなんですけど ずっと忘れられません

ほんとにスゴイ曲だったなぁ・・・

ぜひ 歌詞を検索して欲しい なんなら動画で聴いてほしいくらいです

「チコタン」で検索 ポチっ👆

さて この先生とのエピソードは他にもあって

2月頃の土曜日の夕方 

ワタシが部活を終え 職員室前の廊下を歩いていたら

「かなたん、ラーメン食いに行こうか」と呼び止められました

その瞬間 ワタシはピンっと来ました

この先生

ラーメンでワタシを釣って 説教する気だ!と・・・

日頃の生活態度について コンコンと説教するために

金八先生みたいに フレンドリーで歩み寄って

ガツンと叱る! 新米教師が いかにも考えそうな策略です

でもラーメンは食べたい・・・

そこでワタクシ 思いっきり

「わーい!やったー!」と 先生の前で喜んでみせました

先生が

「職員室玄関で待ってろ」

と言って職員室に入っていくやいなや

ワタシは 猛ダッシュして部活仲間の所へ舞い戻り

「先生がラーメン奢ってくれるって!」と言いふらし

7人の友を連れて職寝室玄関前で待機

玄関から出てきた先生は

「・・・な、なんだっ!!

    この数は!

キャーキャー喜ぶ女子生徒に囲まれ

一番遠くで小さくキャッキャッしているワタシを 

恨みがましい目でにらんでおりました・・・

ラーメン屋のカウンターに 先生(♂)と女子生徒7人

ワタシと先生は見事に端と端 

先生が 肩を丸めて財布から4000円出していた姿も

チコタン同様 強く思い出に残っています

ちょっと悪かったかな~ (いや だいぶ悪いデショ・・)

と さすがに ワタシも反省しましたが

この先生! 見事にワタシに復讐をしてきました

3月のある日の掃除の時間

先生が ほうきとちりとりでゴミを拾いながら

ワタシに詰め寄り そっと小声で

「かなたん・・・成績10個落ちたぞ・・」

と ものすごい神妙な声で囁いたのです

テストの点数より授業態度が成績を大きく左右するので 

確かにそれくらい落ちてもおかしくないかも・・

心当たりがあるだけに・・ 血の気がサッと引きました

中学2年の成績は内申書に加算されるので ヤバい・・・

10個も落ちたら 高校いけないじゃないの・・・

修了式までの10日間・・ドギマギしながら過ごしてしまいました

当日 先生がワタシに

すごく気の毒そうな なんともいえない表情で成績表を渡してきました

ますます心臓に悪い・・・

恐る恐る開くと

・・・( ゚Д゚)・・1個しか下がっていませんでした

考えてみたら ワタシの授業態度が悪いのは 

3学期だけに始まった事ではないので

もともと下げられた状態なんだから変わるハズもないのでした

見事に騙されました