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かなたんの更年期を楽しむブログ♪

ただいま 更年期真っ最中のアラフィフ女デス
自分のこだわり・思うコトなど
独断と偏見で言いたい放題綴ってマス 

ジュリーで思い出したワタシの担任

2018年10月22日 17時14分54秒 | 思い出話

先週、ジュリーこと沢田研二さんの

ライブドタキャン騒動がありました

久しぶりに沢田研二さんを見たなぁ・・

随分おじいさんになっちゃって・・なぁんてノンキに

テレビのインタビューを観たら

「僕にも意地があるからね」

なんだか、 この一言で 思い出してしまいました

ワタシの小学校時代の担任を・・・(/・ω・)/

ワタクシ小学3,4年と5,6年

この2学年ずつ 超個性の強い・・てか強烈な先生が

担任でした

小3,4年の担任も かなりすごかったんですが

とりあえず、ジュリーで思い出したのは5,6年の担任です

この先生・・今だったら完全にアウト!です

アウトなんてもんじゃない! ノックアウト!完全に黒!!

まず、子供に自分の考え押し付けすぎ!

団塊の世代生まれで学生戦争真っ只中を過ごしてきたせいか

なんだか分かりませんが

とにかく天皇が大嫌い 天皇のバカヤロー発言はしょっちゅうで

現首相の安倍さんのおじいさんである岸さんについても

まー悪口雑言、罵詈罵倒 これでもかってくらい語る語る・・・

小学生にですよ!!

日の丸だの君が代なんて大大大っっ嫌いっっっ!!

「オレの目の黒いうちは 卒業式も入学式も日の丸なんて掲げさせない!

と、息巻いておりました

そんなわけでワタシ達の卒業式は君が代の音楽も流れず

壇上にも日の丸はなく

校章のみが掲げられておりました

左に寄り過ぎ・・・なんですが

まあ、これくらいの教師は 

昭和時代、そう珍しくもなかったかもしれません

問題は この先生の性格です

先生はジュリーが大好きで、ジュリーが宣伝してる赤い車に乗って

毎日出勤してきました

そしてサングラスに初期の金八先生みたいな髪型、

ときには盛り盛りのアフロヘアだったり

とにかく外見からして自己主張が強い・・・

たまに記憶もないほど、飲み過ぎて どっかの階段から落ちたのか

ケンカしたのか本人も覚えてないというのですが

顔にものすごいアザ(人相かわるほど)つくってきたこともありました

当時、沢田研二は どちらかというと ちょっと変わり者で

派手すぎて、 ハッキリと賛否両論が分かれるタイプ

ちょっと時代が早すぎるんじゃないかっていうか・・・

そんなジュリーを崇拝している先生は

授業中にそのジュリーの行動を常に肯定しまくっておりました

もちろん、今回のジュリーの行動も賛同していることでしょう・・

そして 多分、先生も きっと 同じ立場になったら

絶対に

「僕にも意地があるからね」

と、いってかたくなに自分の意見を通したに違いありません!!

数年前、クラ〇ツー〇ズムのツアーでたまたま先生ご夫婦と

同じバスに乗り込んでしまったことがありました

あの時はビックリしましたが

そのツアーはお台場散策&羽田空港でお昼などを食べて

ビール工場見学とビールの試飲、そんな感じのものでした

先生はビール工場を一番の楽しみとして参加したようでして

お台場の時点で事故渋滞のため

工場まで行けないという情報が流れました

そしたら 添乗員さんに

「僕はね、はじめからムリだと思ってたよ、

こんな詰め込み過ぎな行程、

無理にきまってるじゃないの。

行けないんだったら僕が初めから参加しなかったよ」と、

ジュリーのように穏やかに

傍からみたら文句をいってるようにはみえないのですが

明らかに文句を並べ立て

「僕は帰るよ」といい まだ日が高いのに

電車で帰ってしまいました

その後、添乗員さんが皆にビールを配ってくれました

ワタシは先生の家を知っているので よっぽどビールを

持って行ってあげようかと思いましたが

かかわりたくないのでやめました

かくして・・その夜・・

先生から電話が来まして

あのあと、「ビール工場は行けたのか?」と・・( ゚Д゚)

「行けませんでした」

というと

またまた、

「僕はね」から始まって 持論を展開する始末・・・(-_-メ)

てか・・・先生・・

ムリだと思って なぜ申し込んだんですか?( ゚Д゚)・・・

行程どおりに出来ないなら僕にも意地があるからね

これ以上バスには乗れない。たとえ最後に最寄り駅まで乗っけてくれても

自腹を切って僕は帰る!!

と、まあ こんな感じです・・

この先生について語るとキリがないのですが

こんな人格でありながら 

実は ものすごく授業は分かりやすい

そして子供達に本気で向き合うカリスマ教師だったりするから

驚きです・・

その本気度は とんでもなく

例えば、クラスでいじめが勃発するとします

男の子がカツアゲされたりとか、女の子が仲間はずれにされるとか・・

そんな事件が1つでも起こったら もうタイヘン!!

授業なんて平気で何時間も潰します!!

皆の気持ちが1つになるまで 何時間でも語ります(先生が・・)

全員が納得するまで 俺は何回でも何時間でも教えるし(勉強を)

語る(クラスがまとまるために)

その姿勢は ホントにすごかった・・・

誰かが、何かに悩んでいたら もータイヘン

その悩みについて 

やっぱり何時間でも授業をつぶして語る語る(先生が)

お家が火事で全焼してしまった子や、ボーイスカウトのキャンプで

顔に大やけどを負ってしまった子、 いろいろ事件がありましたが

そのたび、朝一番に

「〇〇がこーなった」と、詳細をクラス全員で共有し

みんなの気持ちが1つに向くまで語る語る(先生が)

子ども1人1人の個性を見抜く力にも長けていて

一歩間違えれば「ひいき」ともとれるような行動も

先生にかかれば、それぞれの得意分野を引き出す手段となるだけで

みんなが それを納得してるから不思議でした

先生は遊ぶの大好きで

「遊ぶ時間を作りたいから授業を早めに進めたいんだ!

 いいか おまえら全員ちゃんと真面目にうけろよ!!

 じゃないと遊べないんだからな!」

こんな感じで鬼のように厳しく授業を進めては

「今日は1時間目から4時間目まで全部遊びだ!」

なんていうサプライズを言ってきたこともありました

この遊びっていうのも 陣取りやら泥警やら

クラス全員が間違いなく楽しめる遊びで

先生が一番本気で遊んで本気で怒るという大人げない行動を

常に率先してやってました

一番遊びたかったのは先生なんじゃないの(。´・ω・)?てなくらい・・

いつもいつも超本気で遊んでました・・・

ワガママだし自己中だし我が強いし・・・(-_-メ)

とんでもない先生だったのに

いまだにクラス会なんて言われると

みんな こぞって出席しようとするのは

やっぱり先生のおかげなのかなぁ・・なんて思ったりも

するんですよね・・

ジュリーのファンの方々も

そんな感じなのかなぁ

わがままに振り回されちゃうけど

なんか許しちゃう

みたいな・・・







 






夏休みの宿題

2018年08月27日 17時29分37秒 | 思い出話

う~さ~ぎ追いし~♬

でおなじみの「ふるさと」なんて歌がありますが

母方の遠縁?だか知り合いだか よく分かりませんが

そんな感じの関係の方が作詞したそうで

母は大変な音痴でしたが 生前よく歌っていました

母の十八番は長野県歌とこの「ふるさと」

そしてなぜか「ハクション大魔王」・・・

よくこの鼻歌を歌いながら野菜の皮むきをしてました

それから 母は

有り得ないほど絵が下手でした(-_-;)

子供のころ、何度お願いしても

絶対に絵を描いてくれませんでしたが

1度だけ当時赤ちゃんだった初孫のために

こっそり紙切れに絵を描いてあげた事があったのです

それを姉が見つけて爆笑しているので

「何?」とのぞき込んだら

この世のものとは思えない 

動物なんだか人間なんだか よくわからない

不思議な生き物がヨレヨレの描線で描かれていました

あんまりスゴイので これは家宝に取っておかなくては!

と思った矢先

ワタシ達の爆笑を聞きつけた母に気づかれ

ものすごい剣幕で

「返しなさいィッ!!」と突進され

家じゅうグルグル

それはもう

ちびくろサンボとトラの追いかけっこさながらに

ワタクシ逃げ回りましたが

己を忘れる勢いで追いかける母に奪い返され

その場で 証拠隠滅とばかりに

ビリビリに破かれてしまいました

ワタシは・・というと

実のところ 絵は得意です

得意なんですが・・・

学校の先生と相性が悪いので

中学も高校も美術のお点は とても悪いです

小学5、6年の時の担任は

ワタシの絵の才能をものすごく評価してくれました

「お前は本当に絵が上手いな!」と

ワタシの後ろでワタシが描く姿をじっと観察してくれるほど

大絶賛してくれました

自分でも・・

かなり上手いと思っていたんですけど

中学の美術の先生には

「この色合いはナンなの?真面目に描きなさい」

とため息をつかれたりしたものです・・

ワタシの娘はワタシの母似で

絵心がまるでなく

破滅的にヘタでして

それは もう・・ どこをどう見たら

こんな絵になるの? と聞きたくなるくらい

遠近感覚も 物の位置関係もまるでヘン・・

神奈川県は主要5教科だけではなく

実技4教科の評価も高校受験には欠かせないので

絵がヘタなだけで高校のランクを下げなきゃいけないのも

ちょっと気の毒だなぁ・・と思い

中3の夏休みの美術の宿題はワタシが描いてあげました

三浦あたりののどかな道路の四つ角風景を描いただけですが

これが美術の先生に大絶賛されてしまい

それから学校での美術は 授業中に下書きを描くフリをして

家に持ち帰ってワタシが描く・・

という大変苦しい状況に追い込まれる事となってしまい

おおいに困りました

しかも

一度 先生が

「この生徒は絵が上手い!」とイメージづいてしまうと

例え娘が半分以上自力で描いて

有り得ない色合いの作品に仕上がっても

そのまま最高評価で返ってくるという

なんとも不思議な現象まで起こるのでした

息子は どちらかというと絵が得手な方でしたが

「お姉ちゃんだけズルい!」と言ってきたので

中2夏休みの宿題の絵を描いてあげました

娘の美術とは違う先生だったのですが

これまた大絶賛!!

伊豆の白浜の海を描いたんですが

担当しているクラス全部に

この絵を掲げて

「みなさん!!どうやったら 

こんな海の色と空の色になると思いますかッッ!!」

と力説しまくっていたそうです

さすがに

「かあちゃん・・やりすぎ・・マジでヤバい・・・」

と、息子も焦っておりました・・・(-_-;)

ワタシの中高の美術のお点は とても悪かったのに

なんなんでしょう この違い・・・( 一一)

絶対 先生たちは 

ワタシを

色眼鏡で見ていたに違いない

子供の宿題を親がやってあげるのは

いけないことです

でも・・・

このように何十年もかかって

自分自身の

本当の評価を得る事が

出来たことにワタシは

大満足致しました

かといって

別に絵がちょっと上手いから

それでお金をもらえるわけでもないし

まさしく

「それがナニ?」

今のワタシの生活に何の得にもなりゃしないのでした・・・














 

 

 


子供の頃のワタシ

2018年08月25日 15時52分55秒 | 思い出話

ワタシは昔から

どこの場所においても何かと目立ってしまう子供でした

なぜ 自分は目立ってしまうのか

原因が全然分からないので随分悩みました

気持ちの赴くままに自由気ままにしたいのですが

目立ってしまうと

それが出来なくなるので

目立ちたくなかったのです

と・・ここまで書いてチョットだけ原因が分かりました

結局のところ・・

空気を読まず、自由気ままに好きにしてたから

目立ってしまっていたのかもしれません

子供の頃は 自分の感情や思いが 

自分の体に納まりきらなくて

それを どうしまえばいいのか、

どう表したらいいのか 持て余してばかりいました

大人になって やっと自分の器に

納まるようになりましたが

大なり小なり 子供のうちって

みんな そんなものだろうと

思っていたら

意外とワタシの子供達は 

穏やかで、そんなに猛烈に感情をあらわにするタイプではなく

嬉しいとか悲しいとか そういう気持ちも

淡々と表していました

子供達を見て

自分の子供時代とは随分違うなぁ・・・と

実はずっと思っていました

2人とも ちゃんとフツーに集団に交われる良い子ちゃんで

息子は 若干お調子者(かなり・・)ですが

それでも先生にカンカンに怒られるほどではなく

成績表にはずっと「ムードメーカーです」と書かれ続けましたが

それと同時に「穏やかな性格です」とも書かれ続けていました

ワタシのような子供だったら

イヤだったなぁ・・・( 一一)

と、自分で思うくらいなので

やっぱりワタシはヘンな

・・というか個性の強い子供だったのは間違いないだろうと

思います

1つのことで たくさん感じてしまうので

とにかくしゃべるしゃべるしゃべる・・・

しゃべらずにはいられない

大変なおしゃべりでした

授業中でも どこでも

思ったら とにかくしゃべってしまう

自分の中では、つながっているのですけど

他の人からしたら 「え?なんでその話?」

ということもしばしば・・・

先生のハナシの中でも 先生のハナシから

感じたこと、疑問に思った事を

「先生!」と挙手して発言すると

たいてい爆笑の渦・・・(/・ω・)/

ほとんどの先生がお手上げ状態となり

翌年ワタシの担当教科を外れたがりました・・・

今みたいに ネットがつながっていて

何でもすぐに調べられる時代だったら

もう少し 

大人しく・・いられたかもしれませんけど

あの頃のワタシは学校の先生は

何でも知ってると信じて疑わなかったんですね・・

ホントにバカな子供だったなぁ・・

と、今になって やっと思います

そんな自分を振り返ってみて

ワタクシ・・父を自閉症じゃないか?

アスペルガーじゃないかとか

散々言ってきましたが

自分について不安になってしまいました

というのも・・・

先日、職場でたまたま

自閉症についての読本をちょろっと拝見したところ

「掃除機の音を怖がることもあります」

という文にギョッとしたからなんです( ゚Д゚)

実は 

実は

ワタクシ・・・

子供の頃 掃除機が怖くて怖くて怖くて

そりゃもう 怖くてたまらなかったんです

掃除機の音も怖かったのですが

掃除機のお尻部分の、排気口? 

あれが ものすごく怖くて怖くて

ものすごい音と一緒に あの排気口に

吸い込まれそうで 母が掃除機をかけるたびに

「ウッギャー!!」

と泣き叫んでいました

ワタシは3番目の子供なので 

母は そんなワタシの泣き叫ぶ姿なんて

気にも留めず 

「ガーッガーッ」と

掃除機をかけまくっていました

今でも 掃除機の色まで覚えていますが

本当に怖かったです

全てにおいて

繊細で感受性が強い育てにくい子だったと思いますが

ただでさえ 

ものすごく鈍感で大ざっぱな性格な上に

上に年子をかかえた母は

ワタシのことは ほぼ惰性で育てていたので

こんなワタシに

「しつこいよ」のほか

「神経質でお父さんそっくりだ!」

という世界一ワタシが言ってほしくないセリフを

言う程度で あとはほったらかし・・

家庭訪問や個人面談で 先生から色々言われても

「先生があんたの事、これこれ こう言ってたよ」

と、言うだけした

結論をいうと・・

父はもちろん

母も結構へんな人だったので

この親にしてこの子ありな感じの

ただヘンな性格の人間

それがワタシ・・

のような気がします

母にも いつもけむたがられていましたが

「あんたは 核心ついたこというね」

とも よく言われました

それと

「あんたはホントに鼻がイイねぇ」

母から言ってもらった褒め言葉はこれだけです

ホントに生涯で、これだけでした・・・( 一一)


 


 




 











 



 


台風の今昔

2018年06月16日 12時28分44秒 | 思い出話

懐かしい宮古島の海デス ホントに美しい・・・

今は

台風6号が沖縄接近中ということです(/・ω・)/

海も大変なことになっているのでしょうね・・(/ω\)

ワタシは小学生の頃、

社会科で

沖縄は台風が、ものすごいので

1階建てのどっしりした家屋しか建てられず

どの家もぐるりっと屋根と同じ高さの石塀で

覆われています

と、習いました

そんな感じの古い家屋もたまに見かけますけど

今は 建築も随分進化して 

本州(あちら言葉で本土?)と 

ほとんど変わりませんね

特に那覇なんて 

もー全く違いが分からないほどです

オレンジ色の典型的な沖縄のおうちは

たまに見かけますけど。

子供の頃に住んでいた家は 

とにかく揺れました

学校で地震が来たときなんて

「家だけつぶれてたらどうしよう・・・

と、よく心配したものです

横浜は 台風の直撃を受ける事は

あまりありませんけれど

それでも夜に台風が付近を通過すると

雨戸が一晩中ガタガタと

猛烈な音を立てるのと一緒に

オマケのようについていた2部屋しかない2階は、

ゆりかごのように揺れまくりました

そういえば 最近は 

オマケのようについている2階建ての家も

見かけなくなりました

1階と同じ箱型で建つ家が多くなりましたね

あれはあれで 屋根の上にすぐ乗れるので

楽しいといえば楽しかったですけど(天体観測とか)

(ドラえもんの、のび太の家とかは 今どんな形(・・?)

とにかく 揺れまくる部屋とガタガタうるさい雨戸の音で

こういう日は ほぼ一睡もできず

寝不足の朝と台風一過を迎える事になりました・・・

寝不足といえば

熱帯夜!!

これも 聞かなくなりましたねぇ・・・

とにかく寝苦しい!!

扇風機回しても もはや熱風しかこない夜・・・

窓を開けても 何しても

暑くて暑くて仕方ない夜・・

もちろん眠れず 夜明けを迎え

学校に行くと

クラス全員・先生までもが

「寝れなかったっ~!!

という話で持ち切りでした

テレビのニュースでも

アナウンサーが

「昨日は寝苦しかったですねぇ!!」

と、困った顔で訴えてましたし・・・

あれはあれで

皆がそうだから

という連帯感があって 

周りとの親近感が沸くメリットも

あったような気もしますが・・・

眠れない夜ほど 苦しいものはないですね

ワタシが高校生の頃は

まだ 電車の冷房普及率が100%ではなくて

下校の時なんて

友達が

「あ・・冷房車じゃないから次のを待つわ・・」

なんて言って1本遅らせたりしてましたけど

今は どの電車に乗っても快適です

車もそうですね

エアコンのついてない車に乗ってる人は

全開にした窓から

ぐったりした顔をのぞかせていました

ボタンじゃなくて

グルグル回して開ける窓も懐かしい・・・

そうそう・・!

台風が来た夜なんて!!

暑いわ

蒸すわ

風うるさいわ

揺れるわ

窓開けられないわの五重苦でしたね!!

今思い出しました

あれは ホントに苦しかった!!

そう思うと

昔の琉球に住んでいた人なんて

もっと

暑いわ

蒸すわ

風うるさいわ

飛ばされるわ

食べ物ないわ!

水ないわ!

とんでもなかったでしょうね



 





 














童話が大好きだったワタシ

2018年02月04日 13時02分14秒 | 思い出話

         👆ランドマークタワーです(*'▽')

こーやってみると やっぱり すごい建物だなーと 改めて実感

桜木町が こんな観光地になるなんて 

中高生の頃のワタシは思いもしませんでした

だって 海だったんだもん・・・このへんぜーんぶ(/・ω・)/

横浜の観光地といえば 関内から山下公園 氷川丸 マリンタワーに

中華街・元町から外人墓地へと続く山・・ ついでに三渓園 

そんな感じでしたけど

桜木町の景色、夜景は特に キレイだな~ と

いつも見惚れてしまいます

「みなとみらい」 この名にふさわしい景観ですね

その反面

山下公園方面が だいぶ廃れた感が否めませんが

あっちはあっちで 

昔からの異国情緒の風情を まだまだ 

そこはかとなく残しつつあるので

自分の中の「横浜」観光のオススメは

圧倒的に 関内方面かなぁ・・と思います(*'▽')

昔からの造りの県庁とか 銀行とか 会館とか

よく見て歩くと ちょっと面白いですよね

山下公園の通りは 外国の物語に出てくるような

異国チックなお店が軒を連ねていて 

子供のころは そこを歩くだけで

ワクワクしたものですけど・・

異国チックといえば

ワタシは子供の頃、童話が大好きでした

日本昔話も好きですけど

やっぱり外国の童話がなにより好きでした

でも父が へんな教養本ばかりワタシに読ませようとするので

童話は あまり読ませてもらえませんでした

それでも学校の図書室とかで 

童話を読んでは思いっきり空想の世界に浸るのが

最高の幸せな時間でした


1つ1つのお話が すごく短いけれど 

その短さの中に 教えがギュっとつまっている

その素晴らしさに感動したのは 

なんといっても 「イソップ童話」です

どのお話も

ことわざみたいに 教訓が きちんと組み込まれていて

1つのお話を読み終わるごとに「ハッ」とさせられる

子供ながらに この作者はスゴイ・・天才だわ!と

どれだけ思ったかしれません 

過去から未来まで語り継ぐべき童話の筆頭

子供には絶対に読ませたい

教科書以上に大事な書物だと思います


異空間の出来事みたいなSFチックさを感じたのは

「グリム童話」でした

グリム童話は

ディズニーアニメにも何作か起用されていますけど

元祖SFファンタジーなんではないかと思います

ありえない話だけど夢がある 

女の子なら この世界

絶対好きなんじゃないかな~

て、いう感じがします

 

そして アンデルセン童話

アンデルセン童話は 

この童話をもとにして作られた

手塚治虫のアニメがありました

ワタシの中では そのイメージが物凄く強いです

アニメの世界観が

それはもうワタシのイメージぴったり

なおかつ 進行係の妖精をだしてくることで

知らない国を一緒に覗いてるみたいな

不思議な気持ちにさせられる演出で

キャラも可愛いし 出てくる街並みとか服装とか

全てが自分の思い描く世界と違和感なし!

お話は かなりデフォルメされていましたが

大好きなアニメの一つでした


童話って

子供用に お話を分かりやすく書かれれているものが

ほとんどですが

童話が好きすぎるあまり

作者が書いた文章そのままのものが 

とても読んでみたくなってしまいました

とくにアンデルセン童話を 

もっと深く読んでみたい

そんな気持ちになったのは

小学4年生の時でした

ワタシは勇気をふりしぼって父に頼みました

「お父さん・・アンデルセン童話を買ってほしいの

すると父は

「童話なんて もう読む年齢じゃあないだろう」

「でも 読みたいの どうしても」

懇願するワタシをよそに

本居宣長はどうだ?偉い人なんだぞ」

と、童話とは ほど遠いちょんまげの

武士なんだか学者なんだかよくわからない人の

本を勧めてきました

「・・・・・」

当時、伝記モノに凝っていた父は

福沢諭吉とか 野口英世とか 二宮金次郎とか・・

そんなものばかりワタシに勧めていました

しかも かなりマニアックな男性モノばかりで 

唯一の女性モノといえば

キュリ―婦人くらい・・・(--〆)

偉人の生き方に学べ 

言いたいことは分かります・・

でも 当時のワタシは空想癖が旺盛な女の子

伝記モノは ワタシの空想が全く広がらない分野そのもので

人の一生なんか読んで何が楽しいの? と思っていました

伝記モノばかりが本棚の場所を埋めていく中で

ワタシは来る日も来る日も 

「アンデルセン」「アンデルセン」と父にせがみまくりました

すると 根負けした父が ある日 

一冊の本を手に持って帰ってきました

「はい」

「え?」

手渡された本は

「アンデルセン」でした

きゃー

まさか父が買ってくれるとは思っていなかったので

ワタシは 天にも昇る気持ちで本を抱きしめ

「おとうさん!ありがとう!!

 本当にうれしい!!」

と 心からお礼を言いました

あの時ばかりは 父が とってもいい人に見えました


心躍らせながら さっそく目次をめくりました

アンデルセン童話の中の どんな話が収録されているのかしら・・

ワタシの知らない童話はあるかしら・・・

この本を枕元に置いて今日は眠ろう

そうしたら今日の夢はアンデルセン童話かもしれない

早くも頭の中は空想でいっぱいです

目次には ワタシの知らない題名が連なっていました

「なになに・・・靴屋のハンス?合唱隊の夢?」

どんな話なのかしら・・・

早速本編を読み進めると

貧しい靴屋に生まれたハンスは 歌が大好きな少年で・・・

でも 歌手にはなれなくて 深い絶望と悲しみに打ちひしがれて・・

なにやら暗ーいお話が1冊まるまる続いていました・・・

こ・・・これは・・・

これは・・

アンデルセン本人の

  伝記ではないですか・・


おとーさん・・・

どれだけワタシに伝記を読ませたいの・・

(/ω\)しくしく・・


もちろん父は 伝記を買ってきたつもりはなく

ワタシの望む童話を買ってきた気になっていました

「どうだ?面白いか?あんなに欲しがってたんだからな」

と、ニコニコ顔でワタシに言い寄ってくるので

「違う」とも言えず

「う・・・うん・・」と 

ツラすぎる返事をするしかありませんでした

なんで伝記・・?

 アンデルセン

これ・・

伝記を探す方が

よっぽど難しいと

思うんですけど・・

苦すぎる思い出です・・・