goo blog サービス終了のお知らせ 

かなたんの更年期を楽しむブログ♪

ただいま 更年期真っ最中のアラフィフ女デス
自分のこだわり・思うコトなど
独断と偏見で言いたい放題綴ってマス 

成人式の振り袖にかけたワタシの思い

2018年01月09日 19時13分58秒 | 家族のこと

昨日は成人式でした

新成人の皆様方 おめでとうございます

30年近く前に成人を迎えたワタクシですが

振袖は一度も着た事がありません

姉たちも着なかったし

親も何も言ってこなかったので

「やっぱり振袖なんて買ってくれる気ないんだろうなー」

と、最初から成人式のことは 考えないようにしていました

成人式も出席しませんでしたが 

あの頃の横浜市は太っ腹で 出席しなかったワタシの所にも

お祝いの粗品みたいなものを送ってきてくれました

(子供たちの時はきませんでした)

式には出なかったものの

成人式の日に 物見遊山で横浜に出かけたワタクシ・・

同じ歳の新成人の立派な姿を見て

自分も あんな感じになったんだなーと客観的に

自覚したいと思ったのですが 

まばゆいばかりの振り袖姿に 

ハートをドキュンッと射抜かれました!!

振袖って 

あんなに可愛いものだったの?

なにあの袖の長さ・・・

いつも近所でお茶の会を開いているオバちゃん達が着てるあの姿と

エライ違いぢやないの!!

駅ナカ・街ナカを アゲハ蝶が舞ってるのではないかと錯覚するほど

あでやかで 美しい模様をあしらった長い袖がヒラヒラと舞っていました

うう・・眩しすぎる・・

ワタシはひどく後悔しました

駄々をこねても 何をしても 振袖を着たいと 言えばよかった

いくら姉たちが着なかったからといっても

ワタシは昔から姉たちのおさがりばかり着させられていたのですから

それくらい優遇してもらっても良かったのではないか!!

自分の奥ゆかしい?性格が呪わしい・・・

 

 

娘が生まれて ピーターラビット尽くしで育てたい願望と共に

        👆ピーターラビット参照

絶対に振袖だけは着せたい・・という願望がワタシには

ずっとありまして(ただしレンタル)

娘が高校を卒業してから 事あるごとに

「振袖を頼みに行かないと~」 

「振袖」 「振袖」「振袖~!」

しつこいほどに 言いまくっていましたが

肝心の娘が 全然乗り気でなく

やっと本腰を入れたのが 成人式前年の夏の終わりで

初めは自分でネットで調べたりあちこち出掛けていたのですが

「ここに決めようかと思う」と言われるたびに

ワタシが 「え~ ちょっと生地が良くないわりに高いわねぇ」とか

「え~ なんだか品がない着物ばっかりだわねぇ」

などとダメだしばかりしてしまうので 

随分娘とは険悪にもなりましたが 

最終的に 丸昌でレンタルすることで決着がつきました

     

丸昌って ちょっと高いイメージありますが 

運よく その時は何十周年記念だかで 

考えていた費用よりかなり安くレンタル出来ました

娘を乗っけてバイクでピューっと出かけてみると

もう2年先の成人式に向けてお着物を探している母子が

何組も・・・ 来年用のお着物が残っているか心配になりました

でもさすがは丸昌・・お値段の安いのはそれなりですが

ちょっとグレードアップのお着物は 艶・光沢ともに

重厚感があって文句なし

娘は生地の良し悪しよりも柄重視で

緑だの紫だの青だの派手目な感じの着物を探しており

他の娘さん達も そういう系のお着物ばかり手に取っていました

最近の流行なんでしょうか? 

着付けをして小物をあしらえば すごく上品になりますが

着物だけでぶら下がっていると なんかパッとしなくて

娘が 「これ どお?」というたびに 「・・・」

ワタシの反応に娘の機嫌が一気に悪くなる・・の繰り返し

周りの母上は 娘さんの意思を尊重されて

横でにこやかに頷くだけなのに

ワタシ達だけが戦いのような形相で端から着物とにらめっこ・・

そんな中 ワタクシのイメージピッタリの着物を発見!!

「これ!絶対これ!あんた これ絶対似会う!」

取った着物は 白地が基調の最もスタンダードな古典柄

「え?白?」と初めはイヤそうだった娘ですが

その生地の美しさとお値段の高さに

「うーん いいかも」となり

「今って 白を着る子が少ないから 逆に目立つよ!」

とワタシが力説すれば

店員さんも

「こういう着物を着ていただけると 本当にうれしいです

  まぁ~ 上品でお美しいわ~」と

 褒めちぎる褒めちぎる・・

ここまでおだてられて 一気に気分が回復した娘も

「じゃあ これに決める」となり

振り向くと

さっきまで ドギツイ色物を手に取っていた他の母子4ペア全員が 

こぞって白地の着物を探して羽織っておりました

そんなこんなで 念願の振り袖を娘に着てもらうことが

できまして 大満足

👈コレです

しかし・・・ このお着物・・ 当日の成人式では

爆弾低気圧による大雪でびっちょびちょのヨッレヨレ・・ 

みるも無残なことになってしまうのですが・・・

バスもタクシーも不通になってしまい この着物で駅から我が家まで

歩いてお山を登るという悲惨極まりない姿は 

アゲハ蝶どころか 今にも死にそうな蛾・・?

全くもって ひどい目にあいましたが 

自前のお着物だった方が一番悲惨だったと思います・・

レンタルで良かった・・

あの年の大雪(天気予報大ハズレ)には 本当に参りました


・・・という ワタシの思い出を 長々と語ったのは

昨日起きた全く許せない事件のせいです

振袖販売「はれのひ」

絶対にっ

絶対に許せません!!

みなとみらいのコレットマーレなんてところに

しゃあしゃあとお店構えて経営不振なんて 

ふざけんじゃないよって話です!!

晴れ着に身を包み式に出かける娘さんの気持ちは

もちろんのこと

自分が一所懸命育てた子供が成人式を迎えて

美しい振袖に身を包むその姿を

どれだけの親が 楽しみにしていると思いますか?

七五三の比ではありませんよ!!

育てた年数・苦労が違います!!

ワタシも 振袖には並々ならぬ思いがありましたが

それだけでなく 実際に成人式の日に振袖姿の娘を

横浜アリーナに見送ったあと、

肩の荷が下りたというか・・ 

ああ、やっと子育ての終わりが見えた・・というか

親として ここまでやれた・・という

なんともいえない満足感と、やり切った感が沸きあがり

胸がいっぱいになりました

成人式って親子ともに大切な区切りを

意味する大事な儀式だと思うのです

それを よくも台無しに出来たものだと思います

人のすることではありません!!

絶対に絶対に 

「はれのひ」の社長をふんづかまえてもらわないと!!

ホームページも閉鎖されちゃって

社長の顔がよくわからないのも許せない!!

ホントに被害者の方がお気の毒でなりません

一番最悪のタイミングで こんな高跳びみたいなことする

極悪人を警察は絶対に逃がさないでほしいです!

社長も いつまでも雲隠れしていないで

一刻も早く表に出て

1人1人しっかりと向き合って

誠意ある謝罪と償いを果たすべきです!

社長が私のブログを読むわけないけど

でもでも!

自分が したことの罪の重さが

少しでも社長に通じますように!!




 






 






 


越路吹雪で思い出したこと

2018年01月08日 19時00分26秒 | 家族のこと

今日からテレビ朝日で「越路吹雪物語」がスタートしました(*'▽')

朝 グッドモーニングを観ようと思ってテレビつけたら

CMがやってて 

雪国の女学生たちが腕組んでキャッキャしてるような映像が一瞬流れました

それを観た瞬間 ふっと思い出しました

あら? 越路吹雪って・・もしかして?(/・ω・)/

急いでパソコンあけて調べてみたら やーーっぱり・・

越路吹雪さんは ワタシの母の高校の大先輩なのでした

軽く一回り以上違いますが

母が生前

「お母さんの高校には 越路吹雪が通っていたのよ」

と、よく自慢していたのです

ど田舎の僻村地の高校からあんな有名人が出るなんて

それはそれは誉れ高き出来事だったに違いありませんが

ワタシは この越路吹雪さんについて 一切存じあげません

そして 

越路吹雪と聞きながら

今日の今日まで朝丘雪路の顔を思い浮かべておりました( ゚Д゚)

調べてみると 越路吹雪さん・・

ハッキリ言って母の故郷とは ほとんど縁もゆかりもない感じ?

ウィキペディアを見る限り

生まれは東京だし お父様の転勤で伴った所は新潟だし

どこでどうして 母の高校に入学することになりましたの(・・?

全くのナゾです・・・

名前の越路は新潟にちなんだものだそうですが

これが長野ならば信濃吹雪になっていそうなものですよね

        👆これはこれでいい感じ?

越路吹雪さんは 母の母校を中退し宝塚に入学しているらしいので

果たして どのくらい在籍していたのでしょうか?

まさか1カ月とか(・・?  そんなんだったら笑っちゃいますが・・

どんな経緯で 一時でも高校に通っていたのか

ドラマで明らかになるのか・・・・ スルーかなぁ・・・

まぁ 母が生きていたら きっと喜んで

観るに違いないので 母の代わりに観てみようかなぁ~ と思います


母はとっても変わったヒトでした

ちょっと常人離れしている父との生活に疲れ果てて

ワタシが物心ついた頃にはすでに

精神疾患を患っていたので 

元々の母が どういう人だったのか サッパリ分かりません

精神疾患と言っても ずっと言動がおかしいというわけではなく

周期的におかしくなってしまうというサイクルを持っていて

春先とか秋口とか 季節の変わり目などは 調子を崩しやすかったりとか

何となく 最近 目が二重になって ボーっとしてるなぁ・・と思うと

突然

「ご飯 作れなくなっちゃった・・」とか言い出すので

それが簡単な料理ならいいんですけど・・

一度 おでんを作ってる最中に そう言われたときは

子供のワタシには 

「おでんって何で味付けるの(・・?」

 サッパリ分からず 途方にくれました

作りはじめから すでにメンタルがヤバい状態だったので

いつもの3倍量くらいのコンニャクとか竹輪とかが 

お湯の中に浮いていて 肝心の練り物はないし

分からないまま しょう油だの 砂糖だの 自分の舌だけを

頼りに味付けしても 全然おでんの味になりません

そのうちに父が帰って来て 大量のまずいおでんに激怒するし

あの時は味が全く染みていないコンニャクをかみしめながら

涙が止まりませんでした

(おでんの味付けは 市販のおでんだしを

入れれば簡単に出来ると知った時は 愕然としました)


突然 カミサマの声が聞こえる・・とか

石のように動かなくなっちゃったりとか 

とにかく いつでも見てて不安な母でしたけど・・

子供たちの受験などの節目節目には 必ずおかしくなって

入院してしまうサイクルなどを考えると

やっぱり原因は父だったんだろうなー と今なら分かります

父の不安やストレスが母を追いつめて

正気でいられなくさせてしまっていたんだと思います

母なりの防御だったのでしょう

母は子供が甘える事を一切許さない人で

「おかあさーん」なんて飛びつこうものなら

「やめてちょうだい!みっともない!」と拒絶されました

母が療養のため、実家に帰されていた時期があるのですが

もう帰ってこないのではないかと不安になったワタシは

毎晩 母の実家に電話をかけました

何日目かで

「もう かけてこないでちょうだい」とキッパリ言われ

もし離婚するならワタシは母についていきたいとお願いしても

「やめてちょうだい それはムリ」とハッキリ断られ

ワタシ自身が母親になった時に

初めて

「ちょっと  おかーさんて 

   ひどくない? ( ゚Д゚)」

と、思いました

ワタシは 不安な気持ちになってる我が子に

こんな粗塩対応 断じてできません

ただ・・

思い返すと 母は最低限のことは きちんとしてくれました

かなり一方的でしたけど

かなり義務的でしたけど

母なりに母としての努めは果たしてくれました

寝相の悪いワタシの為に 

毎晩必ず2回は布団のかけ直しにやってきてくれたし

風邪を引かないように これでもかってくらい厚着させてくれたし

何も言わずに 黙々と ワタシを気に掛けてくれてました

母が息を引き取るとき 誰も看取る事が出来ませんでした

ワタシは 母は亡くなる日、ほぼ一日ずっと側にいたのに

かんじんの最期の時を 側にいることが出来ませんでした

母は癌で亡くなりましたが

亡くなる日は 相当苦しそうで 前日は眠る事が出来なかったと

朝、病室に行ったワタシにそう言いました

でも精神疾患の既往歴のせいで 

病院の対応は ものすごく冷たく 

呼んでも来てくれない

食べれる状態じゃないのに フツーにご飯が出されて

フツーに内服薬の錠剤が出て

飲めるわけないのに飲まなきゃいけないとか

父が無理やり飲ませたら 

喉に詰まってしまい

看護師が へんなチューブを口に少し突っ込むマネだけしたら

「もう少し様子みよう」とか言って すぐいなくなっちゃうし

最後まで先生も現れないし

モルヒネも打ってもらえませんでした

それでも何も言わず 最後まで耐え忍んで

1日中病室にいたワタシに気付くたびに

「いてくれるの? ありがとう」と言いました

「1人じゃさびしいでしょ?」とワタシが言うと

それまで 絶対に口にしたことがない

「さびしいよ」という言葉が出たので驚きました

母は いつでも ワタシがまとわりつくと

「お母さん 一人になりたいから」と言って

背を向けてしまうところがあったので

母に こんな感情があるなんて とても意外に思いました

そんな言葉を確かに聞いたのに

1人で逝かせてしまったことは

今でも 悪かったなぁ・・と思いだしては後悔してます

てか 

なんで最後の最後で

そんな人間らしい

優しい言葉を語る?( ゚Д゚)

めちゃめちゃ後味悪くなっちゃって

12年も引きずってるんですけど

おかーさん(>_<)










 





 

































 

 

















君の名は。 your name ワタシ版

2018年01月05日 12時52分24秒 | 家族のこと

一昨日 ついに地上波放送となった 「君の名は。」

これ 映画館に観に行きました(*'▽') 

内容全然知らなかったんですけど 

RADが主題歌歌っているので

画像がとにかくキレイで まービックリ

新海監督すごいですね

この映画観て 色々 驚いた・・っていうか 

ワタシの経験に どことなく似てるっていうか・・

いやいや 全然似てないんですけど 

入れ替わりなんてあるわけないしね

とにかく ワタシも 「君の名は。」体験あるのです

こういう人 結構いると思います ワタシに限らず・・

そんなわけで ワタシ版「君の名は。」を今日は 公開致します


小学校4年生のある日のことです

ワタシは、恐ろしいニュースを目にしました

宮城沖地震の映像です

地震で町がこんなになっちゃうの? と恐怖におののきました

新聞にも1面でデカデカと建物半壊の写真が挙げられており

それは もう 街が壊滅してしまったかのような すごい写真で

戦争でもないのに街がこんなになっちゃうの?

とワタシは恐怖に包まれました

当時の新聞て 印刷もどす黒いし写真も白黒の濃淡具合が怖い感じで

多分現場で見るよりも もっともっと凄惨に映し出されていたと思いますが

こんなになっちゃって 生きてる人いるの?

宮城県は、もう復興できないんじゃないの? と

もとに戻るには軽く100年はかかるのでは・・・と

物凄い衝撃を受けました 

それ以来 ワタシの中で宮城といえば 地震があったおそろしい所・・

そのイメージがつきまとい

姉が仙台に旅行に行くなどと聞けば

「え? 大丈夫?」と本気で心配になったり

独眼竜正宗で 萩の月がブームを巻き起こし

お土産に頂いたとしても 

「よくぞご無事で・・」

味より そっちの方に気持ちが行ってしまう有様で・・

自分が宮城県に行くことは 生涯ないだろうと

本気で思っていました・・

ワタシに衝撃的なインパクトを与えたこの宮城沖地震ですが

この被災地に 将来 自分と家族になる人がいるとは 

この時のワタシは夢にも思っていませんでした

なぜあんなに恐ろしく感じたのでしょうか・・・

もしかしたら あの時ワタシは潜在的に知っていたのかもしれません

この中に 自分が将来 会わなければならない人がいるということを

    (だから怖かったのは当時の写真技術のせいだってば・・・)

まだ見ぬ将来の伴侶の安否を 

知らず知らずに心配していたのかもしれません

       (そんな感じの演出を入れた方がいいの?)

ダンナ様は生きていました 

てか・・ そこまで悲惨な状況でもなかったようで・・

当時 彼は高校3年生でした

放課後、部室でトランプをして遊んでいた時 地震が起きたそうです

グラグラ揺れたので「なんだなんだ」と部室を出てみると 

グランドがパックリと地割れを起こしてたとのことで 

その地割れに一番驚いたと申しております・・

 

さて ここから一気に10年以上の歳月をワープします

ダンナ様がワタシの住む街にやってくるまでも

運命としか思えない奇遇の連続なのですが

同じ街にやってきても 出会うまでに

ワタシの方でも また奇遇の連続・・・

このへんは長くなるので割愛しますが

ワタシは ダンナ様を 初めて観た瞬間

「やっと会えた!!」

本当に そう思いました

ずっと待っていた人  

間違いなく この人を待っていたの!という

わけのわからない確信!

初めてなのになぜか懐かしい! 

今までの過去は

全てがこの人に会うために出来た道だったんだと

一瞬で理解しました

それからのワタシは 一気に結婚街道まっしぐら

ダンナ様の方は ワタシに対してそこまでの感情が

沸きあがらなかったそうですが

それに対しては

あんたバカじゃないの?ホントにわかんないの?

でも大丈夫よ

あんたが分からなくてもワタシはが分かってるから

ついていらっしゃい カモン!

8歳も年下が ついてこいも何もありませんが

出会った瞬間の 直感 それだけでワタシは結婚したのです!

彼の家族構成や性格や人柄・・経済力や包容力の有無

偏差値40の高校卒とか・・ 

2浪してやっと あの大学に入ったとか・・

勤務先とか・・・

彼に付属するモロモロの肩書きなど 一切無視で

とにかく 自分のインスピレーション 

信じるモノはそれだけでした

独身者でしたけど

もしも すでに結婚していたとしたら

「相手を間違っとる!! 別れてちょうだい」と言ったかもしれない

それくらいの勢いが ありました

なんで あそこまで思ったのか・・(-_-メ) 

てか・・・ 自分の運命の相手って

このレベル・・?( ゚Д゚)

 がちょーん・・・

そこに ちょっと・・・なんとゆーか・・・(--〆)

まぁ・・ 自分がこんなレベルなので

仕方ないといえば仕方ない・・・・

のですが・・

もーちょっと 頼りになるっていうか・・

頼もしい人が よかったっていうか・・・(/ω\)しくしく


こんな衝動で結婚までしたワタクシ・・

運命の人と巡り合えて幸せに暮らしました・・

と なるわけないのが現実ってものです・・(-_-メ)

              (☞ハルミって誰なのさ 参照)

とゆーか これには続きがありまして

結婚した翌年にワタクシ長女を出産致しました

この子が2カ月くらいの頃だったでしょうか・・

お部屋の隅の壁際でこの子を抱いてあやしていた時

(今でも情景ハッキリ覚えています)

再び 天からの啓示?がおりました!

ホントに突然 頭がクリアになって 

ビビビッと電気が走ったような気がしました

「そうだ!! ワタシ!

 この子に会うために

    結婚したんだ!!

そうなのです ワタシが出会う本当の運命の相手は

娘だったみたいです!・・・

おかしなことに息子の時に この啓示はおりませんでした

 (いやいや息子も娘と同じくらい大事ですよ!)

でも我が人生で こんな衝撃が走ったのは 

後にも先にもこの2回だけなのです

不思議な事があるものですが・・・

さらに不思議なのは

なんとなく ワタシと娘の関係が

どうも・・

平安時代の貴族の姫と その姫に使える女房みたいな(・・?

なんか そんな錯覚が・・たまに・・するんですよね・・・

まさか前前前世?・・・・(・・?

いやいや・・

そんなハズ あるわけないですよね

ちなみに 娘の名前はワタシがつけました

そう 

君の名は ママがつけました

・・・

 













 






 
























 


 

 






 










 

 

 

 


ハルミって誰なのさ・・(-_-メ)

2017年12月28日 05時26分03秒 | 家族のこと

昨日は ダンナ様について

ちょこっと話しましたが(*'▽')

今日もダンナ様についてのお話

去年 今年と文春砲が炸裂し

政界・芸能界・競馬界?と様々な分野でお騒がせ報道が

取り沙汰されましたが

ワタクシ 先日(クリスマス前)

ダンナ様の枕元にあった携帯

    (ガラケーでパケホ出来ません)

を、ちょろっと見てみたら

メールの受信ボックスに

「ハルミ」からのメールが複数件・・・(-_-メ)

寝ていたダンナ様に

「ハルミって誰?・・・(-_-メ)」と聞くや否や

もっのすごい勢いで起き上がって携帯奪い返されました

クリスマスシーズンですからね

「ハールミヤッ♪ ハールミヤッ♪ 

   ハルミヤッハルミヤッ ハルゥ~ミィ~ヤァ🎶♬」

違う! これは「ハレルヤ」です

「ハルミ屋のごはんですよ」

違う違う( ゚Д゚) 丸美屋です

花見は4月だし ハラミは肉です

じゃあハルミって

  なんなのさ( ゚Д゚)

カタカナで下の名前だけ つまり呼びつけで呼ぶ相手(年下)

しかも メールの内容は誕生日がどうのこうの・・

ワタシの誕生日は 悪魔の日とか言って

朝から 「あー今日はイヤな日だなぁ」とか言い散らしてるくせに

子供たちの誕生日にお祝いメールなんてよこしたこともないのに

だれの誕生日だってぇの? キリストですか?

うちのダンナ様は スナックだのサークルだのカラオケだの

いろんなところに出向いて行って やいのやいのと騒ぐのが大好きで

家族より自分・・

外にお友達をたくさん作って 

しかも その場にワタシは出禁らしく

ワタシの愚痴を盛りに盛りまくり

自分の都合の悪い所は全カットで

好き勝手にいいふらして同情をかっているらしく

実にムカつく奴なんですけど

こんなことは よくあることなので 

またか・・(-_-メ) 

とゆー感じなんですが・・

まー 男ってのは ホントに 

すぐにバレるのに なんでロクでもない事ばかりするんでしょう

社交ダンスを習いたいとか平気で急に言いだして

「あら そう」なんてスルーされるとでも思ってるわけ?

ホントにバカとしか思えません

何年か前も

「今日飲んでくるから」

「誰と?

「加藤さんと」

こんなやりとりが週に1~2回ペースで続きました

とある休日 ワタシが

「そういえば加藤さんの娘さん 就職決まったの?」

と聞いてみると

「最近会ってないからわからない」

 ・・・(-_-メ)

ダンナ様の電話番号登録に

「Ave8号店」なんて名前があったこともあります

仕事の取引先なのかな?と思っていましたら

この「Ave8号店」さんに

「誕生日おめでとう」ってメール送ってるんですよ・・

(-_-メ)・・・ 

「遅くなっても必ず行くから」とか打ってるし

お店の誕生日ってパーティーするんですか?・・・

セールするなら分かるけど・・(-_-メ)(-_-メ)


「Ave8号店」さんの登録は消去して頂きましたが

ワタクシ この「Ave8号店」さんの電話番号を控えておいたのです

後日 「Ave8号店」さんと同じ番号の

「吉野川」とかいう名前が新規登録されておりました

(-_-メ)・・・


ハルミに話を戻しますが

その日の夕飯は 

「ハルミに作ってもらったら?」

と言って作ってやりませんでした

翌日の夜 ダンナ様からメールがきまして

「まさか 今日の夕飯もハルミに作ってもらえって

  いわないよね?」

などと書いてあるので

「作ってもらいなさいよ」と返すと

「信じて下さいよ。不倫なんてあなたさまが怖いし無理です

 早く帰りたいです

 今、サンマルクカフェにいるんです 

 明日も仕事早いんです・・」

 ・・・・・( 一一)

 それから1時間くらいして 忍び足で帰ってきましたが

ワタシは 彼から生活費をもらっている身なので

さすがに2日も続けてご飯を作ってやらないわけにはいかず

テーブルにご飯を置いといてあげたんです

少しは反省して 皿まで洗うくらいしたかな?

と 思いながら朝 起きて台所に行くと

用意しておいた夕食は そんままの手つかず状態

怒 (--〆)

 

真正面の

ホワイトボードに 下手くそな文字で

「カフェラテ2杯飲んでしまったら

お中いっぱいになって 夕飯食べられませんでした」

👆字も違うッつーのっ!

  

 








 


 





流れ星に願いを☆彡

2017年12月10日 17時24分34秒 | 家族のこと

もうすぐふたご座流星群です(^^♪

ピークは14日の15時とのことですが

この時間には さすがに見えませんけど

13日と14日2夜連続で楽しめるとのことです

放射線状みたいに上から降り注ぐ感じで

流れていくみたいです

ちょっと楽しみですね わくわく(#^.^#)

ワタシは夜が とても弱くて

流れ星を あまり見る事が出来ません

そうでなくても横浜に住んでいるので

流れ星なんて そうそう見る事は出来ません

そんな横浜の この自宅で

初めて流れ星を見たのは小6の初冬でした

この時も ナントカ流星群がやってくるとのことで

それを知った当時高校受験を控えていた姉が

「流れ星をみつけてなんとしても〇高校の合格祈願するわっ!」

と並々ならぬ意気込みで宣言するので

「流れ星なんて早いんだから3回も言えないとおもうよ・・」と

助言したワタシは なぜか強制的に付き合わされて

一緒に屋根の上に毛布で体をくるみ 寝転がりながら

1時間くらい・・寒い中・・流れ星を待つことに

子供の頃の家は2階の間取りが1階より小さかったので

部屋から屋根に出れました。

1階の座敷部分に出れるのですが

山型屋根の形をしているので 

その傾斜が危険といえば危険・・

ワタシが母親だったら夜に 

あんな傾いた屋根の上に寝そべるなんて

絶対に許しませんが 母は よく分からないところで寛大でした

流れ星はおろか星もろくに出てなくて

「お姉ちゃん・・・流れ星なんてホントに流れるの(・・?

  星も見えないけど・・・」

「絶対流れるよ! 流れなきゃ高校行けないっ!!」

流れ星が見えなかったら志望校を下げる

というような勢いです・・

いや・・こんなことしてる この時間に勉強した方が・・・

だいたい この姉 少し前にブログで書きましたが

天体望遠鏡を捨ててワタシに小学生用教材の星座早見表を

持ってきたくらい天体に興味のない人間なんですけど・・

30分くらい経ったか1時間経ったか・・

星もみえない明るい空をずっと見続けるのに飽きて来て

持っていた10倍の双眼鏡で 

「UFOでも見えないかなぁ~」

なんて見上げると 

双眼鏡の丸いレンズの中を 火の玉のような球体がヒュッと

流れました

「あっ!」とワタシが叫ぶのと

姉が

「〇高!〇高!〇高!!」と叫ぶのとほぼ同時!

「お姉ちゃん!今 双眼鏡の中を火の玉が!!」

「流れた!!! 

 すごくゆっくり大きく流れたから言えた!

 3回言えたわっー!!(≧◇≦)

姉は涙を流さんばかりに感激と興奮で 

屋根から落ちそうでした

でも・・

「〇高」しか言っていませんでしたけど・・

 👆学校名を3回叫んだだけ・・ 

それで叶うの?おねえちゃん・・

と・・水を差すのは止めときました

それはともかく

ワタシは人生で初めての流れ星を 

なんと双眼鏡でみたのでした

双眼鏡の小さな範囲によく流れ星が入ったなぁ・・と

運がいいのか悪いのか

姉はいうには 素晴らしく大きい 

しかも長い軌道の流れ星だったそうです

このあと30年以上見れなかったので

出来れば・・・あのとき肉眼で観たかった・・

流れ星って短いのはシュッって一瞬です

逆に横浜では そんな短い流れ星を見るほうが

難しいです

さて その後・・姉の高校受験はどうなったか・・

流れ星のご利益があったのかどうか分かりませんが

ちょっと背伸びして受けた志望校は

なんと定員割れの

まさかの全員合格!!

受けたモン勝ち!

流れ星恐るべし・

てか・・

〇高受けた全員が合格

「〇高」👈これが良かったの?(・・?

 不特定多数にご利益アリみたいな・・