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かなたんの更年期を楽しむブログ♪

ただいま 更年期真っ最中のアラフィフ女デス
自分のこだわり・思うコトなど
独断と偏見で言いたい放題綴ってマス 

父の深すぎる飯山愛

2019年05月06日 08時23分39秒 | 長野

前からちょいちょい飯山ネタをぶっこんでいるワタシですが

ワタシは父も母も飯山の同じ村出身なので

横浜生まれの横浜育ちとはいえ

ワタシの体は生粋のMADE IN 飯山

由緒正しき混じり気のない飯山産でございます 

父は郷土愛が大変深く 実のところ、とんでもない飯山LOVE・・

飯山を心の底から愛しております

定年退職してからは

飯山史の分厚い資料をとりよせ 姉の中学時代の日本地図帳を片手に

飯山の歴史を勉強することをライフワークとしています

人付き合いが華々しくヘタなので

しょっちゅう帰省することも出来ず

彼の有り余る飯山愛は自宅の定位置の机で飯山研究に没頭することで

昇華させております

心の底ではいつでも飯山のことを思いながら生きているので

その愛の重さは ワタシにも重々伝わってきます

それが分かりすぎて ワタクシ 気軽に

「飯山に行ってくる」などと 言えない状態なのです

飯山に娘が行くとなれば自分が行かずにおられるものか!と

頭の中は もう興奮状態で ほとんどパニックです

でも、一方の娘のワタシとしては

父と行くのは ちょっと  ムリ・・・

いや・・ホントに疲れるんですよ・・・"(-""-)"

家を出たその瞬間から 帰ってくるまで

いや帰ったあとでも マシンガントーク炸裂は間違いなし

とにかく父だけが一方的にしゃべるしゃべるしゃべるしゃべる

これ・・相当キツイです

しかも ワタシの要望は全て却下で

どこまでもどこまでもゴーイングマイウェイな行動・・・

しかもしかも 気分でどんどん計画が変わる変わる・・

初めに立てた計画よりも遅れることは絶対に許されないのですが

早まれば早まるほど父はゲームにでも勝ったような高揚感と得した感を

味わう事が出来るようで父の気分が満足すれば 

「もう 帰る」

旅先くらい美味しいものを食べたいのに 

予算も初めに立てたモノより(最低予算)オーバーするのは許されないけど

少ない分にはウェルカムなので 超質素・・・

全然楽しくありません・・・"(-""-)"

ただでさえ 一方的にしか喋らない人間なのに

飯山に帰れるとなればテンションMAX 

最高潮に達した父は通常の5倍増し弾丸トークですので 

考えただけでも恐ろしい

と、いうわけで

父と出かけたらワタクシ1週間は体調不良に陥ってしまうので

母のお墓参りに行きたくても

そうそう行くわけにはいかない・・という状況なのですが

今回、意を決して飯山が一番美しい季節に

お墓参りに行くと決断しました

とはいうものの

一緒に住んでいるので 

違う場所に行くというウソをつくことへの罪悪感・・

まず そこで良心の呵責との闘いが起こり

えきねっとで電車を調べても 予約ボタンが押せない・・・

あんなに飯山に行きたがってるのに

内緒で行くというのも 後ろ髪が引かれる想いがしてしまう・・

父に行くことを告げて 笑顔で「いってらっしゃい」と言ってくれれば

気持ちよく行くことが出来るのですけれど・・

さらに 向こうで 親戚に出くわしてしまった場合

すぐに父の耳に入ってしまうことは避けられません

黙って行ったことがバレたら もータイヘンなことになります

フー

どうするべきか・・・ 

悩んで悩んで そこで既に疲労困憊になってしまうワタクシ・・

と・・そこで!!なんと奇跡的に

ワタクシ見つけてしまったのです!!

父がしぶしぶでも

絶対に送り出してくれる必殺技を!!

それは

今年から始まったらしい 連休のみに運行されるという

飯山観光案内局主催の

おむすびライナーだったのです!




 





 






そしてワタシは行ったのです 

2019年05月05日 11時18分14秒 | 長野

今日は端午の節句 「こどもの日」ですね(*'▽')

と、いうことで鯉のぼりの画像で始めます

ワタクシ、飯山の菜の花祭りに念願かなって行くことが出来ました(≧◇≦)

ということで

そんな話を 数回に分けてブログに上げたいと思います

昨日、日帰りで行ってきました(*´з`)

計画を練り始めたのが

  なんと一昨日の午後2時半

           ・・からの強行手段( ゚Д゚)です

それについては 次回に回し

とりあえず 今日は2回目の更新なので

昨日の長野県飯山市の菜の花の開花状況など

画像で少しですが ご覧いただければと、思います

もし、ゴールデンウィーク最終日、余力のある方は

ぜひとも行ってみてはいかがでしょうか

関東からでも日帰りで行けます(*´▽`*)

ワタシは行きました!!

 👇こちら 「道の駅花の駅千曲川」の堤防をまたいだ所の菜の花畑です

👇こちらは菜の花公園です

👇千曲川を挟んで 向こうに見えるのが一番上の画像の「道の駅花の駅」そばの

 菜の花畑です(*´▽`*) 菜の花公園から撮った画像です

とにかく広くて 

スケールが大きいデス!!

ネモフィラどころの

規模ではありません!!

地元の人いわく

今年は特にキレイだということです!!

ホントにものすごかったです(≧◇≦)

今が バッチリ見頃ですよ~(^^♪



飯山の春をみに行く決心をしたワタシ

2019年05月05日 06時16分42秒 | 長野

令和時代です(*'▽')

せっかくの10連休というのに 今年は天気が悪くて困ったものですね

1日くらいどこかに行きたい・・と考えているのですが

この時期 毎年気になっているのが

飯山なのはな祭りでございます

http://www.iiyama-nanohana.jp/#mce_temp_url#

随分前から ぜひぜひぜひ1度行ってみたい・・と

思いながら一度も叶わず・・・

ワタシの両親は この地域の出身で

母は生前いつも

ゴールデンウィーク頃の田舎の美しさを 

夢見る少女のように思い出しては熱弁しておりました

母は決して饒舌ではなかったし 

父には逆らえない昭和の専業主婦そのものでしたけど

老後は田舎に帰りたいと熱望していた父に

悲鳴を上げながら

「あんな寒い所に帰るのは

  絶対にイヤです!!

と、頑ななまでの断固拒否態勢を崩しませんでした

母は結婚を機に長野から東京の三鷹にある父の会社の社宅で

4年ほど過ごしたあと、横浜のこの地に移り住みました

坂のある生活をしたことのなかったので「げ・・」と思ったようですが

実際に住んでみたら横浜の気候が大変お気に召したようで

ここでの暮らしを終生気に入っておりました

母曰く、横浜は海風が吹くので夏が涼しい(とくにここは山の上)

三鷹にいた時は夏が暑くて困ったけれど

こっちに越してきたら東京よりも風が涼しくて

意外にも夏が快適なことに大変驚いたそうです

そして雪の積もらない冬 

特別豪雪地帯育ちの母にとって 

雪がふらない冬の体験は

まさにここは天国(・・?ここ楽園(・・?

と、いうほどに快適なものだったようです

今は飯山もそこまで雪は降らないようですが

両親が育った時代は 本当にとんでもなく

雪が積もって積もって積もって大変だったそうです

二度と飯山で暮らすのはイヤ(/・ω・)/ と

常々口にしていた母が唯一自慢していたことが

この「飯山の春の美しさだったので

ワタシは子供の頃から ぜひ一度みてみたいと

思いながら育ちました

地球温暖化の進む昨今ですので

母がいつも語っていた春の様子は 

もうないかもしれませんが

とりあえず 母がいうには

飯山の春は 3月ではなく5月の初め

この時期に一気に全部の花が一斉に咲き乱れるそうで

梅に桜にりんごの花にツツジに菜の花と

ありとあらゆる花が どっと咲き誇り 

雪が解けた土色の大地から一斉に新芽が吹き出してくる

その息吹の合唱が 凄まじくとにかく圧巻で

この世にこんなに美しい世界があるのかと

思わず踊り駆け出し歌いだしたくたくなるくらいの絶景とのこと

そんなに素晴らしいなら

子供にも見せたい・・とか少しでも思ってくれてもいいのに

そういう思考にたどり着かないのがワタシの母の母たるところ

ワタシが小3の頃

病気療養のために母は田舎に一時期帰省していた事があるのですが

ちょうど飯山に帰ったのがゴールデンウィークで

ワタシは上野駅まで母を見送りに行きましたが

大人はとても嘘つきなので(特に父は)

療養とか言ってるけど もう2度と帰ってこないんじゃないかと

思うと不安で不安で

母を乗せた特急あさまが見えなくなるまで

ホームの端で泣きながら見送りました

一方の母ときたら、一緒に帰る祖母と自由席の椅子取りに必死で

なんとか窓際の席をゲットしたにもかかわらず

ワタシが開かない窓ごしのホームから

一所懸命母に手を振ってるのに 祖母とお弁当の用意やら

荷物の上げ下げやら2人で興奮状態

発車間際に祖母と慌ててメモ帳を出し

「ここに電話して下さい」という殴り書きを

窓ごしに見せたものの列車はさっさと速度を上げて走り出していったので

父もワタシも電話番号など覚えられるわけもなく

どこにかけて欲しかったのやら40年以上経った今でもナゾのままですが

とにかくワタシは母と今生の別れになってしまったのではないか・・

という不安がぬぐいきれず毎晩、母の実家に電話しました

が・・・5日目くらいで

「毎晩かけてこないでちょうだい」

と、冷酷にあしらわれてしまったのでした

母の実家には母の弟(長男)家族が住んでいたので

従弟はワタシより年下だし 

どうやらワタシは

甘えん坊の寂しがり屋と、バカにされてしまっていたようでした

母から拒絶され仕方なく母の枕を抱いて寝る日々を

数カ月ほど続けていると 

ナニゴトもなかったかのように母は帰ってきました

その間、電話はおろか手紙ひとつ寄こしてはくれませんでした

この時は ただ寂しかっただけで特に母に対して思う事もなかったのですが

自分が「母親」というものになってから

母に対して 

「ちょっとひどいんじゃないの?

とちょいちょいワタシはだいぶ遅ればせながら怒り心頭にくることが

多くありました

統合失調症を患って

世捨て人みたいになってたので仕方無いのですけどね

帰ってきた母は

久しぶりに5月に飯山に帰って

素晴らしい春の花々を観ることが出来た

やっぱり飯山の春は本当にキレイだよ。と語っていました

両親の村には今では大きな街道が出来てしまい

ワタシが子供の頃に観た村の光景から

随分様変わり超過疎化が加速中のようですが

かわりに菜の花畑で町おこしに力を入れているようで

     👆野沢菜が有名です

母の墓参りに行くなら

この時期に行きたいなと思いながら13年

一度も行けず・・・

と、いうのも父が厄介な性格なので

簡単に「行ってくる」と言えないのです

ワタシが行くといえば父も一緒に行きたがる

そうすると父はJRの大人の休日倶楽部で行きたいとか言い出し

そうなるとゴールデンウィークは使えない

使えないとなると

菜の花なんてゴールデンウィークには

まだ咲いてないと言い出し

時期を延ばせと詰め寄る始末

さらには

親戚がたくさんいるので

田舎に帰る為のお土産の用意がどーのこーの

あの家に挨拶に行かないといけないとか 

新幹線の切符は自由席じゃなきゃイヤだとか

でも座りたいとか

とにかくめんどくさいしうるさいしドケチだし

そんなこんなで 全く行けない状態で・・・

行くなら父に内緒で

この過疎化の進んだひと気の無い村に意外にも沢山いる親戚

はち会ったり見つかることなく

地味~に行って帰ってこないといけないわけなのです

さて・・・

そこで迎えた令和元年の今年!

改元記念といってはナンですが!!

ワタクシ ついに意を決して

春の飯山に訪れてみようと 

決心したのでした!!(>_<)

 

 

 













 














 






 





 








 

 

 


1年前(/ω\)

2018年03月21日 19時39分55秒 | 長野
 
3月21日 雨ふり
☝私の両親の故郷でございます (夏の風景)この村に 今は母が眠っております 冬はお墓が雪に埋もれてしまいます父は定年後、田舎に帰って暮らしたいと言ってましたけど 母は......
 

ブログの運営サイトから1年前の今日の自分のブログが送られてきました(/・ω・)/

写真の線路は 鉄道オタの間では人気を博してる?飯山線です

日本一長い信濃川(千曲川)に沿って走っているので

車窓の景色がとても素晴らしい電車です

6,7年くらい前に一度だけ

三姉妹で夏にお墓参りに行ったことがあります

田んぼばかりで

お寺までの目標物もないし

人も歩いていないし

見つけるのに手間取り

やっとお寺について墓を探しあて

掃除を始めようとすると

鬱病の治療中だった次姉が(今も通院してはいますが)

「私ダメ・・疲れちゃってムリ・・」と

木陰に座りこんでしまい使い物にならない状態に・・

長姉と2人で やたらに大きい墓石を洗うのに時間がかかってしまい

            👆なぜか他の墓よりひと際デカいんです・・

墓参りを済ませて 駅に戻る道を歩いていたら

障害物が全くない隣駅方面から電車が走ってくるのが見えました

この電車を逃したら次の電車は1時間以上あと!

新幹線にも乗れなくなります!

「やばいっっ急いでっ!」

走って間に合うか分からない距離でしたが 

とにかく走らないと!!

その時

真っ先に先頭切って ものすごい速さで

駅に突進していったのは

墓場で ずっと木陰に座り込み 

へたれていた次姉でした

ワタシも長姉も追いつけないほどの勢いで

線路を飛び越えて 

「行かないでぇ!!」

と声も割れんばかりの勢いでホームまで駆け上って行きました

姉が間に合ったおかげで 乗り遅れずにすみましたけど・・

てか・・

お姉ちゃん・・

  元気じゃない・・

この写真みるたび

あの日のことを思い出します

 


















 

 











 






りんごがぼける

2017年11月16日 06時29分13秒 | 長野

最近 気づくと長野のことばかり考えているような気がします

なんなんでしょう

考えてみたら美ヶ原高原も長野県でした

長野県は大きな内陸県なので たくさんの県に囲まれています

長野県歌には 「信濃の国は十州に境連ぬる国にして♬」とあります

 👆この歌詞が書かれたのれんが子供の頃、家にありました・・・

    確か県歌になった記念とかで親戚が送ってきたような・・

母が「十州に囲まれているのよ!!」と得意満面によく歌っていましたが 

音痴なので なんだかよく分からない平たい歌だったという印象しかありません・・

なんでも高校生の時 上級生になると体育祭で この曲に合わせて踊る演目があったらしく

それを踊るのが女学生の夢?だったとか

へんな帯?みたいなものをもって新体操のリボンみたいに振り回すとか?

そんな感じのマネをしてましたけど・・ 

母が通ってた学校だけでしょうか? 今は やらないですよね

長野はとにかく大きいし山でいくつも隔てられているので

飯田やら松本やら佐久・上田に長野と、東西南北信

かなり地域性に違いがあるように見えますけど 

みなさん同県の意識はあるのでしょうか?

と県外のワタシなどは思ってしまいますけど・・

以前働いていた職場で長野出身者が2人いまして

1人は長野市内、もう1人は松本出身で

昼休みに 誰かがリンゴを持ってきたので 切り分けてみんなで食べたのですが

ワタシが そのリンゴを食べて

「暖かくなってきてるから ちょっとボケてますね」と言ったら

長野出身者の2人に

「やっぱり言ったわね。かなたんはご両親が長野だから~」と笑われました

この指摘を受けるまで 「リンゴがボケる」は一般用語だと思っていました

「ボケる」以外に 

この状態をどう表現するんですか?

と ワタクシ かなりビックリしたのですが・・

考えてみたら 「ボケる」・・確かにおかしい表現ですね・・

なんで この食感が「ボケる」というんでしょう? 

このボケるは どういう語源なんでしょう? 

認知症のボケる? 味がぼやける? どっち?

たぶん・・・認知症のほうに近いような気がするんですよねぇ・・・

だって 「このリンゴはダメだ!ボケてる!」ていう表現と

「じいさんはボケてるからダメだ!」ていう表現は なんか似てるし・・

旬が過ぎ去ってスカスカ モシャモシャになっちゃった状態をいうので

うーーーん・・・ 追究しないほうがいいかも・・・

でも いろんな人に この状態をなんていうのか聞いてみたところ

「うーん 歯ごたえがない?」「もしゃもしゃ?」かなり曖昧でした

というか みんな リンゴの食感なんて美味いか不味いかくらいしか考えてない感じ?

りんごに厳しい県だからこそ!の、この表現なのかのもしれませんね

りんごを擬人化して りんごと人の一生をリンクさせる・・・ 

晴らしいりんご愛といえるのではないでしょうか・・

りんごは毎年 田舎から買い付けていたので 

近所のスーパーで買ったことがなく

母が亡くなって買い付けをしなくなってから

たまに父がスーパーで買ってくるのを今は食べたりしますけど

歯ごたえが全然違う・・

ホントに美味しいフジりんごは

シャキッと噛んだ先から汁が吹き出し

お菓子のように甘いです 

凄くあまいのに スッキリ爽快な後味

あれがフツーと思って食べてた自分・・もっと感謝して食べるべきでした・・

鮮度がスゴイのでボケ始めるとすぐわかります

「ん!ぼけはじめた 早く食べなきゃ」となります(*´з`)


この他にも 標準語と信じて疑わなかった言葉に

「水くれる」 

「花に水くれてやった」とか「花にに水くれてくれや」とか使います

  👆過去形(自分がやった)  👆お願い(相手に頼む)

「飛んでいく」 これも

「とんとーんと飛んでってくれや」とか「ちょっと飛んでってくるから」と使います

 これは速くとか 急いでいく そんな感じで こう言われると 

走って行かないといけないような気がします 

このあたりは 全然地方の言葉って気がしませんけど・・

 

余談ですが 松本出身の方に 

長野県の県庁所在地ってなんで あんな北にあるんですかね?松本あたりの方がずっと都会だし

 松本城もあるのに」と言いましたら

「そうなのよ。 きっと善光寺があるせいよ!」

「・・・」

うちの両親もですが・・長野県民にとって善光寺は どうも特別な寺・・?

というような気がするのはワタシだけでしょうか?(*_*;


と、長野県歌のように 我が横浜市にも横浜市歌というタイヘン立派な市歌がございます

ハマっ子で この歌を嫌いな人はいないんじゃないか・・というくらい

カッコイイ曲です 作詞はなんと あの森鴎外なので 歌詞も素晴らしい!!

1番と3番が同じ曲調で2番だけが違うのも またグッとくる感じでイイんです

うちの子供たちは高校まで市立だったので 

入学式卒業式では この歌を毎回斉唱しました

私自身も子供の頃から運動会やらなにやらでも常に歌ってきたこの歌を

歌うコトに何の不思議も感じたコトはなく 

ピアノのイントロが流れてきた時点で 気持ちはアゲアゲ テンションMAX

国歌と同様 保護者にも斉唱を促されるので 気持ちよく歌いあげるわっ

「わーがーひ・の・も・と・は」とごくフツーに口ずさむと ワタシの後ろの母集団が

「え、え、え、 なにこのうた? なんでみんな歌えるの? やだ わかんないわ!」と

ささやく声が聞こえてきたことが何度かありました。

こんな名曲を知らない横浜市民がいるなんて と正直ワタクシびっくりしたのですが

それと同時に 生まれてから死ぬまでずっと同じ場所で過ごす人なんて

ホントに一握りなんだろうなぁ・・ と なんかしみじみ・・な気分になってしまいました

ワタシの子供たちも いずれは横浜を離れて どこかに定住するのかもしれません

確かに私自身は全く動いていないけど ワタシの周りはどんどん入れ替わっています

ワタシなんて幼稚園から学校も就職先も全て横浜市内だったので 

改めて・・

行動範囲が狭すぎな半世紀じゃないの・・・

なに この狭さ・・ この時代にこんな人います?・・

高らかに横浜市歌 歌い上げてる場合ぢゃないでしょ・・・

ということに 今気づきました・・