平成27年9月27日の網走マラソンでは、残念ながら29K第二関門までの走りとなってしまいましたが、このコースのハイライトでもある、網走刑務所前の見返り橋、そして第一関門のあるノトロ岬までのオホーツク海沿い、さらに景色のよいノトロ湖沿いを第二関門29Kまで走ることができました。 ここ網走市は網走湖、能取湖、そして近くには100Kウルトラマラソンで有名なサロマ湖もある、とても風光明媚なところで、レピーターとして来年も是非挑戦したいと思いました。 ただし厳しいアップダウンの連続する第一関門までの14.4Kを克服することが必須です、充分トレーニングを積んで臨むようにしたいと思います。
平成27年9月27日 晴れ、気温17度、有名な網走刑務所前を午前9時2700人のランナーがスタート、刑務所を出たら二度と戻るなと戒める幅3メートルの見返り橋を渡って走り出し、その橋のいわれの通りゴールは刑務所へは戻らず、近くの大曲公園でした。網走刑務所と聞くと高倉健主演の映画網走番外地が思い出され、受刑者は過酷な環境で刑に服しているものと思っていましたが、今は冷暖房完備3食テレビ付きの快適な生活を送っているとのこと、そのため服役希望者が順番待ちするほど好評だそうです、脱獄など昔の話で、今や人気の刑務所とのことです、所内はきれいに整備され、あたはりチリ一つなく草花が咲き乱れ、自然豊かに、まるで天国のような環境です。 マラソンコースは前半の5Kから第一関門の14.4K地点までが厳しいアップダウンの繰り返しでした、2時間5分の制限時間をぎりぎりでクリヤーして、次の関門29K地点に向かいましたが残念ながら4時間10分の制限時間に数分遅れてタイムアウト、それでもこの区間は能取湖沿いに澄んだ空気の大自然を満喫しながら快適に走れて爽快でした、残り13Kも何とか走りたかったのですがルールを守って無念のリタイヤーとなりました。 来年第二回からは、できればハワイのホノルルマラソンのように時間無制限大会にしてはどうか、などと大会関係者にアドバイス?
第31回巨峰の丘マラソン参加が、ランナーとしての大会参加200回目になったこともあり、過去のラン歴を整理してみました。
1998年3月20日に初めて参加した多摩ロードレースのことは今でも鮮明に覚えています、テニスで痛めた膝のリハビリで通っていた病院の若いスポーツドクターの勧めで、恐る恐る5Kの部に参加したのがランナーになったきっかけでした、しばらくは5Kと10Kの大会に参加、初めてハーフを走ることになったのは、2003年7月6日のゴールドコーストマラソンでした、数人の仲間と一緒でしたが私以外はフルマラソンへの参加でした。
無事完走しましたが、頂いた完走メダルの大きさと立派さがフルマラソン完走者のほうが格段に良かったのに発奮し、来年のフルマラソン参加をひそかに誓ったことを思い出しました。
初めてのフル参加は、2003年12月14日のホノルルマラソン6時間41分18秒の苦闘でした、ゴールした時の感激は今でもはっきりと記憶にあります。
以来2015年までの17年間にフルマラソン参加回数34回、ハーフマラソン43回、10Kが59回、5K16回、さらに2009年からはトライアスロン8回、ウルトラマラソン7回、トレイルラン2回、その他巨峰の丘20K、山中湖一周13.5K、青梅マラソン30Kなどの変則が31回で合計200回となり、巨峰の丘が記念すべき大会参加となりました。
1998年3月20日に初めて参加した多摩ロードレースのことは今でも鮮明に覚えています、テニスで痛めた膝のリハビリで通っていた病院の若いスポーツドクターの勧めで、恐る恐る5Kの部に参加したのがランナーになったきっかけでした、しばらくは5Kと10Kの大会に参加、初めてハーフを走ることになったのは、2003年7月6日のゴールドコーストマラソンでした、数人の仲間と一緒でしたが私以外はフルマラソンへの参加でした。
無事完走しましたが、頂いた完走メダルの大きさと立派さがフルマラソン完走者のほうが格段に良かったのに発奮し、来年のフルマラソン参加をひそかに誓ったことを思い出しました。
初めてのフル参加は、2003年12月14日のホノルルマラソン6時間41分18秒の苦闘でした、ゴールした時の感激は今でもはっきりと記憶にあります。
以来2015年までの17年間にフルマラソン参加回数34回、ハーフマラソン43回、10Kが59回、5K16回、さらに2009年からはトライアスロン8回、ウルトラマラソン7回、トレイルラン2回、その他巨峰の丘20K、山中湖一周13.5K、青梅マラソン30Kなどの変則が31回で合計200回となり、巨峰の丘が記念すべき大会参加となりました。
平成27年9月20日快晴、気温28度20Kのゴール記録2時間40分12秒でした、後には数人のランナーがいたようですが大会運営関係者の皆さまには2時間30分の制限時間を超えての対応誠にありがとうございました、完走証とお土産の巨峰を頂きました。 このコースはスタート地点で海抜520M、最高地点で820M、高低差は300Mにもなり、アップダウンを繰り返しますから手元のガーミンでは上昇高低差は482Mにもなる厳しいレースですが地元の皆様の温かい声援と名物の巨峰が楽しみな大会です、今年で参加6回目になりますが、私のマラソン歴では、なんと通算200回目の記念ランとなりました。 第一回目1998年3月20日多摩ロードレースに始まり、100回目は2008年11月9日の横浜マラソン、150回目は2012年3月18日の板橋シテイマラソン、そして記念すべき200回目が2015年9月20日の巨峰の丘マラソンとなりました。