白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

待ち合わせ

2006-09-29 | 音について、思うこと
指を最も適切な位置へ運び、最も適切な音量で
発音し、その連関として生み出される旋律について
最も適切なニュアンス、アーティキュレーションを与え、
あるいは和音について、色彩感や質感、寒暖、明暗を
与えることを、当意即妙に行うことを可能にするように。




あるいは、こうした意志を自ら剥ぎ取って、
思い出すようにして、あるいは探るようにして、
これから奏でようとする未出現の演奏を
中空に発見すること、
その演奏の全体の「映像」を瞬間において
網膜裏に撮影することを試みて。




それすら不可能であれば、手癖、クリシエへ
逃避し、蓄積された知識を理論的に構築する。
(あるいは、記憶された軌道へと自らを矯正する)
それは一部の例外を除き、往々にして弛緩し、
空虚な額縁として惨めな音像を結ぶ。





大地に陰影を引きずらせて、生命として音を呼べ。




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コード進行なるものが邪魔で仕方がなくなり、
ジャズを進んで弾くことを止めてからというもの
音像の連鎖の中に、律動、旋律、和声がひとりでに
聴き手のなかに想像力を以って立ち現れることを
常に念頭において演奏を試みてきた結果、
演奏している自分自身が、それを聴くひとりめの
無名の聴衆としてそこにいることについて
極めて自覚的となり、それに対する切迫感も増してきた。




運指のなかに、世界各地のあらゆるジャンルの
音楽史を見出しつつ、
これを手に映して伝える、という行為そのものに
宿る、石臼のような責務に出くわして面食らいつつも、
空気、記憶、欲望、美的感覚、物語性、
これらを刻む時間の複数性を、「いま、ここ」の1コマに
落とし込み、それを映画フィルムのように連続撮影して
瞬時にそれを鍵盤に映写することによって
「音の連なり」を「演奏」とし、
聴衆の存在によってそれを「音楽」にすることに賭ける。




聴衆との遠近感のやりとり、生成と消滅のキャッチボール、
この絶望的な隔絶があって辛うじて「音楽」足りえる
音の羅列群。




ピアノを弾き始めて15年を経て、
最近やっと、自分が行うべきことを
身体と思考の両面を相互に往復しながら
音にする感覚について、理解でき始めた。





何を弾くべきか考えることと
実際の発音とのあいだを、無理せずに
飛躍する技術を、ほんのわずか体得できた。




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音に対するある種の身震いを伴った期待、
沈うつな不安のみならず、
音というものの底に流れる基調的な響きへの
懐かしさ、
多面的な心情がもつれ合うことによって、
演奏の場に居合わせるひとびとのそれぞれに
それぞれの音楽が編みあがる。




形状と色彩の差異にのみ眼を奪われるのではなく、
より大きな類概念としての音楽に
抱かれているわれわれのあり方について
思いを寄せることの可否が
音楽を音楽足らしめる重要な要素となる。





なんということはない。
ただピアノの前に座り、音に苦しみ、
音を楽しみ、音に微笑み、音に涙し、
発音し、弾き止める。
ピアノを用いて音を出すひと、の
ひとりとして、
いま、そこにいて、行う、という
自分の生のありさまが
音へと投げ込まれて放射されていくのを
誰がどう見ようと勝手なのだ。




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音がうまれ、音が消えた。
そのあいだにあるものが何なのかがわからずに、
ひとはそれにひきつけられる。




音の中にいるうちは、
音の外に行くことは出来ない。




音の外から音を聴くとき、
(間違いなくそれは狂っているのだが)
音が指し示していた何者かの位置に
自分がいることによって、
はじめて音との、あるいはそれを生み出した
生命との等価関係にあることができるだろう。




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試みに、たまたま落とした指が
鍵盤を叩いて発した音を
連鎖させてみればいい。
音を奏でることに夢中であれば
音など聴けるわけがないのだから。
音を頭蓋に見て、それを時間をかけて
空間に描きこむ、
けれど、描きこんだ端から、それは
空中にす、と消滅する。




音楽などどこにもない。
音など、どこにもない。




どこにもないからこそ、虚空から
つかみ引きずり出そうとする。
それならばひとりでに、す、と
虚空からうっかり、音が姿を見せるのを
待つほうがいい。




待たずとも、音がひとりでに現れてくれることなど、
ほんのわずかなのだから。




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そうした音との待ち合わせが、キース・ジャレットは
抜群に上手いのだ。
憎らしいほどに。

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