白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

gismonti

2008-07-06 | 音について、思うこと
7月4日14時15分発のぞみ29号8-4Aに乗車、
発つ鳥跡を濁さず、と、こころかまえて、
積み残した仕事を午前に片をつけたあとの新幹線車中は
午睡のために時間がさっぱり消え飛んで、新大阪、
15時6分に大急ぎで荷を抱えて降り立った。





ハービスプラザで遅い昼食を取り、16時00分。
リッツ・カールトンに到着、チェックイン、3111号室から
生駒から港方向を一望俯瞰して、
蒸しあがる大阪の地と熱から遊離した自身の位置を確かめて
持参したテキーラにライムジュースを注ぎ、氷を入れて、
野趣的に一献、のあと、
サービスに供されたチョコとナッツのチップ入りのクッキーを
頬張ると、汗でじっとりと濡れたシャツを脱ぎ棄てて
シャワーを浴びに浴室へ向かった。





身支度を整え外へ出ようとして、ターンダウンサービスと
かちあったので、後をよろしく頼み、ハービスプラザから
地下通路へ出、西梅田、北新地の各駅前を歩き、15分ほどで
梅田新道フェニックスタワーへ到着した。
エグベルト・ジスモンチを観ようとする客は建物の外延まで
あふれていて、その風采は、学生、音楽家、勤労者、フーテン、
トロピカリスト、飴売爺とさまざまである。
一音たりとも聴き余さず、鬼境ともいうべき水準にある技巧、
それを生み出す身体の舞、作為へ進む思考の痕跡を探らんとする
聴き手の直向な告発のこころがまえが、期待とともに抑えがたく
人々の顔を紅潮させていた。





あたりを吹き抜ける風は乾いた熱をいっぱいに含んでいた。
今日のこれからの音楽には、良い風だと思ったものの、
気がかりなことがあるとすれば、待ち合わせるためにずっと
6時30分から梅田新道に立っていて、7時開演というのに
なかなかフラニーがやってこないことだった。
6時40分、6時45分、6時50分、6時55分、56分、
刻々と時間は過ぎて、ロビーにいた聴衆たちも大方ホールへ
入ってしまったちょうどそのとき、陸橋を渡ってフラニーが
こちらへと駆けてきた。
駅から6分なんて大嘘だ、というフラニーをなだめながら
確かに、梅田駅から6分という会場案内は不親切だと思った。





ホールに入ると、亀甲面の箱で、300人収容の規模にしては
相当に天井が高くつくられていて驚いた。
声や音はささいなものでも会場中に響き渡る。
2F AA列 38番から眺めおろすと、ステージを取り巻く
客席はほぼ満席の具合だった。
係員が、携帯電話の電源を切るように促すプラカードを
客席の全方向に向けて掲げた後、しばらくして会場は暗転した。
やがて下手から、12弦・14弦ギターを高々と掲げながら、
堂々たる体躯のエグベルト・ジスモンチが、上下のデニムに
赤いニット帽をかぶり、灰色の棕櫚箒のような後ろ髪を束ねて
ステージに現れた。
ホールはこれから生み出される音楽への期待と、ジスモンチと
いま、ここで居合わせていることの僥倖への感謝に満ちた、
熱を帯びた拍手に包まれた。





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コンサートは2部構成、第1部はギター、第2部はピアノ、
それは虹彩が鼓膜に蒸着するような音楽だった。
放たれる光が、蛍のように「あわいに明滅」せずに
「光よりも速く」、射抜くように心臓に黒点を穿った。
音の散弾が、花を植えて消えていった。





ギター、右手は弦を弾き、叩き、障り、こすり、
倍音奏法を行い、胴をパーカッションとして扱い、
左手は指盤を抑え、弦を叩いた。
伝統的なギターの奏法からは遠いが、それは破壊性ではなく、
楽器としての可能性の追求に根ざしていた。
一曲一曲が終わる毎に念入りなチューニングを施して、
ジスモンチは、まるでギターに木霊が宿っているかのように
耳を楽器にぴったりと寄せ、
森の、黒緑のさざめく葉をかき分け黄金の燐粉のような光と、
地のにおいに分け入るようにして演奏に入っていった。





音の向こう側から、土と常緑の葉の匂いが漂ってきた。
それはしかし、あるがままのようにして生まれてきたような
音ではない。
奔放な即興のようでありながら、恐ろしいほど明晰な造形と
構成をもって演奏が組み上げられている。
それはクラシック音楽の奏法や音楽理論に基づいている。
理知的かつ厳格な構成のなかに、ジスモンチの生きている
大地の熱と光が無邪気に戯れているようですらあって、
僕は彼を密林に分け入ったバッハだと思った。





恐ろしく生気に溢れたリズムに乗せられた、多調に基づく
ポリフォニーと旋律の処理や、ポリリズムに則って
進行していく対位法など、
相当高度の技巧と即興力を求められるはずの、演奏不能とも
思われるような作品群をジスモンチはやすやすと演奏した。
眼前の光景と音がどうしても信じられぬうちに、第1部が
終了した。





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20分の休憩ののち、第2部が開始された。
ジスモンチの名曲として知られているものが次々に現れた。
まったく別の曲の中から、トレモロの音の霧が晴れてきて、
まったく別の旋律が奏でられる。
音が鉱物のように渾然と煮込まれた錬金術師の鍋の中から
すくい上げられた瞬間に、結晶化して虹彩となるような音、
かくも美しいキメラがあるものか、と思った。
ジスモンチという主体はいつの間にか消滅していて、
音楽が音楽として生まれ、自律的に、自由に羽ばたいていく。
それは逃走ではなく、飛翔である。





ジスモンチは、中東とラテンの血をひき、ブラジルで育ち、
ナディア・ブーランジェによるクラシック音楽の正統の教育を
受けたという。
一見しても分裂してしまいそうな自らの出自、来歴の流浪性の
覚束なさのなかで、彼は音楽における雑食性というものに
逞しく根を張っている。
怪物のような巨樹でありながら、枝葉は美しい整序に芽吹き
総体としての調和を保っている。





ホール内は音の夢が様々な光の糸を織りなして群れ飛び、
花となり、蝶となり、鸚鵡となり、樹林となり、魚となって、
天衣無縫の線描で織りなす1枚の熱帯のタペストリーとなった。
僕は涙し、微笑み、ヘッドバンギングし、踊った。





終演後、会場は総立ちとなり、大喝采となった。
アンコール曲となり、フェニックスホールのステージ背景の
ブラインドが捲られ、梅田新道から北新地にかけての御堂筋、
ビルの群れやタクシーの車列の電灯があらわになったとき、
走り過ぎる自動車が刻む標準時と、ジスモンチの音が響く
ホールの中の心拍の刻む時間が、まったく次元を異にして
いるのにきづいた。
街の光はホールの中に差し込んでいた。
光は空間を侵食してつなぐことができていた。
しかし、光はホール内の時間を曲げて、聴衆を標準時へと
引き戻すことに失敗していた。
僕は光は時間を創造することはできないのだと思った。
Loroからジスモンチが指を離し、2時間半の演奏会は終わった。





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ほんとうに素晴らしい演奏会だった。
興奮状態がさめないコンサートは、いつ以来のことだったろう。
用事があると聞いていたから、フラニーと梅田新道の交差点で
別れようとしたとき、フラニーは

「え、もうお別れですか?」

と言った。





うなされるようにコンサートの素晴らしさを語りながら、
横断歩道をスキップして、タワーレコードに入り、
ジスモンチの「ソロ」、ラドカ・トネフの「フェアリーテイルズ」、
オスカー・ピーターソンの「ウェスト・サイド・ストーリー」を
プレゼントしたあと、ヒルトンを突っ切って西梅田に出、歩き、
リッツ・カールトンに戻り、バーに入った。
マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」を
リクエストし、冷えに冷えたモヒートで乾杯した。
食事をとっていないフラニーはモヒートやサラダやチーズを
とろけそうな、本当に幸せそうな顔で食べていた。





マティーニとアラスカを飲み終えて、バーを後にして、
3111号室に戻った。
夜景を見ようといって、電気を消した。





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7月5日、正午起床、身支度を整えたのちに
桜橋、かつて旧ブルーノートがあった場所に赴いた。
そこはネットカフェになっていて、僕が立ったステージは
夥しいマンガの陳列棚に変わり果てていた。
寂しかった。





1時間ほど、インターネットを見た後で堂島アヴァンザに移り、
インデアンカレールーライス大盛り卵を食べたあと、
書籍を漁り、ノヴァーリス、吉増剛造、古井由吉を購入した。
阪神百貨店で酔心純米大吟醸とトカイ5プットを購い、リッツに
戻って昼酒のあと、酔い醒ましにホテル内のプールに行き、
1000mほど泳いだ。





プールサイドに横たわるうら若き西欧人の、ばん、きゅ、ばん、
という美しいビキニ姿に目を奪われものの刺激が強すぎて、
これはまずい、と、屋外のジャグジーに移った。
見上げる先の高層ビル群と碧空が、倒れた日に見たそれに似て、
大地が天空へと陥落していきそうで怖かった。





再び身支度を整えて、ホテルを出、大阪駅から笹山口行快速に
乗り、伊丹にて下車、STAGEに赴いて後輩の演奏を聴いた。
終演後、車に同乗させてもらい、久々に大阪大学の構内に入り
文学部・法学部・経済学部付近の変貌に驚きつつ、
山を下りて、馴染みの居酒屋に行き、
1時半頃まで、戦友や後輩としばし語らった。
美空ひばりの興行の話など貴重な話を主人から聞き、
騙されてはいけない、というような助言をもらい、
どうしようもない、という意見で一致して、
見送りを受けてタクシーを拾い、ホテルに戻った。
運転手は、若造がリッツ・カールトンに滞在しているのが
甚だ気に食わぬようであったため、中途喧嘩になったが
高速道路上では降りることも叶わず、
甚だ不快な支払いを済ませて部屋に戻り、そのまま眠った。





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7月6日午前8時起床、身支度を整えてチェックアウトを
済ませ、そのままホテル内のリラグゼーションサロンで
2時間半、パーフェクトケアを受けた。
フットバス、角質ケア、足底マッサージ、全身マッサージ、
スクラワンオイルマッサージからなるもので、
施術をしてくれたひとは、OL、派遣社員を経て今に至る
異色の経歴の人だった。
ピンポイントで僕の身体の不調箇所をケアしてくれる上に、
世界経済の情勢や文学にも明るいという不思議なひとで、
なぜ今この仕事をしているのかはついぞ判然としなかった。





随分研究熱心なようで、かの「人体の不思議展」を見に
何度もスカイビルに足を運んだのだそうだ。
人体の筋肉の付き方などを、実際に目で見て確かめて
自分の仕事に生かすのだ、と話していた。





しかし、彼女の「人体の不思議展」にまつわる話が
展示方法の詳細に至るにつれ、彼女の口ぶりが次第に
熱を帯びてきたのに気づき、
どうやら彼女の興味はすでに自分の仕事に生かすという
目的を逸脱して、「人体の輪切り」そのものに対する
常ならぬ関心を抱いているとしか思えなくなり、
ひょっとして、今マッサージを受けているこのぼくも
彼女の中で輪切りにされてはいないだろうか、
この部屋にナタやノコギリの類はないだろうな、と
空恐ろしくもなったのだが、
彼女の丁寧かつ適切な施術によって、喉元を撫でられた
猫のように、いつのまにかすっかり眠ってしまった。
安らいで骨抜きにされた男など、そんなものである。





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施術を終え、着替え、ホテルを後にして新大阪へ向かうと、
サミットにからむ警備で、警官の数が天安門広場並みの
多さだった。
土産を買い、13時37分発のぞみ29号8-7Dに乗り
14時29分名古屋着、安全装置の作動による急停止という
おまけ付きであった。





それにしても、エグベルト・ジスモンチの凄絶な演奏、
思い返すと、身体の微弱な部分がざわめきだすように感じる。





ポール・ヴァレリーが「夢の化生が魂の中に目覚める」と
言ったように、からだの奥の奥の底の、ほんとうにかすかな
場所で、ジスモンチの音の種の胚芽がさざめいているように
感じる瞬間がある。





身体はやがて熱帯の色彩の音の森に飲み込まれるのだろうか。



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