
今のうちに、私はどうしても世間に向けて声を大にして言っておきたい事実があります。
見出し画像のホロクー、このドレスを着て「Mahina O Hoku / Aloha Wau Ia'oe」を踊るのは、我らスタジオMのオリジナルです。

このホロクーは青みがかった深いグリーンで、1m程度裾を引きずっているワンピースのドレスです。
胸元のカットは母マミちゃんが手縫いで細部まで指定し、裾の引き方も美しくなるように考案したこだわりのドレスなのです。
今見るとやっぱり8年前だなあというか、今同じものを作ったらシルエットやら生地のチョイスやらもっとずっと素敵に今様に出来る要素がいっぱいあるんですが、まあ8年前の作品ともなればカムエラやオラナさんのようにお洒落なところでさえ時代の変遷を感じるわけですから仕方ありません。
それに、お陰さまで当時は見て下さった方からもご好評を頂きましたし、これを着た生徒さんたちも皆さんお気に召して下さったようで、嬉しい限りです。
8年前とはいえ、きっと多くの方がこのドレスをご記憶下さっている事でしょう。

この衣装自体もウチのオリジナルなら、これをナタリーさんのあの曲に合わせるのもウチのオリジナル。
思い入れのある組合せですので門外不出であり、誰かに著作権を明け渡したり切り売りしたりは一切しておりませんし(つーかそもそもウチはそういう業務はやってないッスw)、これからもそのつもりはございません。
ウチにとってはすでに遠い昔ではあるけれども、俗に言うミッ●ーマウス保護法が切れるほど昔ではないし、第一アレが切れたってミ●キーの生みの親がウォルトさんである事は永遠に不変の事実です。
もし●ッキーの著作権が切れたからって「ミッキ●を生み出したのはワタシ」とか言い出す人がいたらそうとうイタいですよね。
とりあえず言いたい事を真っ先に言ったところで、のらりくらりと一般論に移りましょう。
世の中に存在するデザイン物、たとえば舞台衣装なんかは、必ずしも完全なオリジナルとは限りません。
オリジナルでない物の中には、もうあからさまに特定の元ネタが存在する物もあります。
そういう類の物は「パスティーシュ」「劣化コピー」そして「パクリ」の3種類に大別出来ると私は考えます。
まず一個めの「パスティーシュ」。文学や芸術分野ではよく知られているように、これは作風を模倣する事です。
広義にはパロディもこの一種ですね。
もちろんパスティーシュには何ら問題ありません。まして元ネタが何かハッキリしていたり、ネタ元の創作主の公認のもとでならなお良いです。

身近なパスティーシュの例としてはやっぱり
コレですかね。
何度も言ってますが元ネタは左の方です(笑)。
元ネタより右側の方が遥かに知名度が高いという極めて異例なケースですが、ここに至るまでにパスティーシュした側とされた側同士の円満なコミニュケーションがあったからこそ、あくまでも「パクリ」に転落せず「パスティーシュ」としての位置づけがなされているわけです。
また、決してそっくり同じに真似たわけではなく、独自のアレンジが加えられている事も「パクリ」に落ちぶれていない理由の一つです。
オリジナルには無かった要素が加わっていたり、全く別の曲で使ったりして、そしてそれがオリジナルとはまた異なる良さを持っている、これでこそパスティーシュと呼ばれる資格があるのです。
次に「劣化コピー」。
「劣化」がつくだけあってもちろんコレはマズい…いえ恥ずかしいです(笑)。
元ネタをそのまま真似っこするのではなく、独自のアレンジを加えたのが悪い方向に作用しちゃった場合に劣化コピーが誕生してしまいます。
まぁ、それでも健気に独自のアレンジを加えようとするだけ、ただのパクリよりはまだマシというかプライドがあるともいえますが……。
分りやすい例でいうと、レンジにかけるだけでおいしく食べられる既製の料理に余計な具材や調味料などを足して却ってマズくしてしまったり、レシピに「肉300g」とあるのにケチって100gしか入れなかったりしたものが劣化コピーです。
フラの衣装で例えるなら、数年前の一時期(これまただいぶ昔ですが)みんなが真似していたカムエラの三段ドレスっぽいものをどこの業者さんも先を争って作っていた頃、ある業者さんが「元ネタはあまりに生地を使いすぎるのでウチのは分量を減らした」とおっしゃってまして、そこで生産されていたドレスは完全に劣化コピーです。
アレはあの非常識なほどの分量があればこそのデザインなのですぞ。どっちかってーと立ち姿の美しさを求めるドレスではなく、踊っている時の状態がメインなので、そこから分量を減らしてしまったら、もうホントにウォッカ抜きのブラッディマリーと同じです。
あれ、まさか同じと思って買っちゃった人いるのかなあ…他にもそういう業者さんがあるのかなあ……などと考え始めると、今も夜眠れなくなります。
そうそう、衣装をそっくりパクっても、あるいは衣装自体はオリジナルより良くできてさえいても、それを全然あわない曲に使っちゃったらそれもやっぱり劣化コピーです。
たとえばココナッツブラとピカピカ光るセロファンスカートでカヒコを踊るとか、タヒチアンの衣装でフラ用楽器を持って踊るなどがこれにあたります。
うわ、想像してたら猛烈に絵で表現したい衝動に駆られて来たが、それやってるとなかなか先に進まないからとりあえず次の項目に移ろう(笑)。
そして3つめは「パクリ」。
まあ上記二つも広い意味ではパクリの一種と言えるので、それらと区別するならばこちらは>「猿真似」「剽窃」などと呼ぶべきでしょう。
「パクリ」は元ネタと全く同じものを文字どおりそっくり真似っこした代物です。
言うまでもなく、これら3つの中で一番芸が無くてみっともない。ついでに言うとプライドも無い。
パーマンのコピーロボットでさえ自分で動いたりもするのに、なぜ人の真似をして平気なのか、というよりそんな事をして何が嬉しいのか、極めて理解に苦しむ代物です。
ただしパクリの中にも問題の無い例外があります。
それは「オマージュ」。ネタ元との合意があったり、同じものを再現する事自体に意味がある場合にオマージュになります。
フラではこのケースが大変多いですね。自分の師がデザインした衣装をまとい、自分が師から引き継いだ物そのままの踊りを踊る。師をリスペクトする気持から行われるこうした行為は、尊ばれる事こそあれ、パクリとのそしりを受ける事は決してありません。
たとえばイリマフラスタジオの現クム・ラニさんが数年前のメリモで往年のイリマの衣装と演技を再現したMoku O Keaweは完全なオマージュです。某クムが「今はああいうスタイルでは踊らない」的な事をおっしゃってましたが、敢えて当時のままに忠実であったことにこそ意味があったのです。
だがそれは師の合意、公認があってこそだッ。
今言ったイリマのラニさんは、先代のお二人のクムにとって娘であり姪、そして正統な後継者なのですから誰に憚る事もありません。
血縁関係が無くたって、師が認めた弟子がその許しを得て行うのであれば、もちろんれっきとしたオマージュです。
しかし、教室から破門されたとか、師の公認を受けずにそれをやったら、それは完全にパクリでありドロボウです。
「部屋代は払ったもんね~」とか言いつつチェックアウトする時にテレビとか冷蔵庫みたいなホテルの備品を持ち出して、あまつさえそれを人前で使っちゃうのと同じ。メチャクチャ恥ずかしいしそれ以前にそもそも犯罪です。
第一、同じ衣装を持っていたり、同じ振付を学んだりした仲間に対して非常に失礼です。
思い入れのある衣装や頑張って覚えた振付が勝手にパクられているのを見たら、自分の思い出や努力が穢されたと感じるでしょう。
あと、そんな(元)仲間の気持なんぞ知ったこっちゃねえという人は、そもそもフラに必要なモノが根本的かつ致命的に欠如していますので、フラ自体やらない方がいいと思うぞ私は。
フラというのは人の中身がにじみ出る踊りです。
自分のフラを構成するものが上辺ばかりのパクリや劣化コピーでは、中身自体がまったく無い、ただのハリボテになってしまいます。
表面だけ取り繕ったハリボテによって見る目の無い人のことは騙せても、本物を知る人から見ればハリボテなのは一目瞭然です。
確かに、地道に知識や技術を磨いたり、見る目を養ったりする作業よりも、安易にハリボテで取り繕う方がラクです。それによって傷つくプライドがない人であれば容易い事でしょう。
しかしながら、自分の中身を増やして質を高めていく過程こそ、フラを学び踊り続ける事の醍醐味なのです。
それをむざむざ手放してまで自己満ばかりのフラを踊り続ける意味はハッキリ言って皆無です。
結論。
まず、とにかくあからさまなパクリや劣化コピーをネタ元に無断でやるのは恥ずかしいのでやめましょう。
具体的には、「今現在自分が所属していない先生や教室」の振付や衣装などを勝手に使ったらそれはパクリです。
元々所属していた事があっても、最初から赤の他人であったとしても同じ事です。
(ちなみにワークショップなどで正式に得た振付を踊るとか、公式に売り出してるカムエラのメリモドレスを買って着るのはパクリではありません。まあそれを「自分のデザインだ」と称して転売とかしたら話は別ですが…)
もちろん、どれほどクリエイティヴな人であっても完全なるゼロから物を生み出す事はほぼ不可能です。ですが、だからといって元ネタそのまんまのパクリや劣化コピーに走ると、元ネタを知る人からはこの上なく白い目で見られる事必至ですし、何も知らない人たちから何らかの賞賛を得られたとしてもそれは決してあなたのものにはなりません。そんなの空しいじゃないですか。
第二に、ドロボウさんやニセモノがうようよしていようとも、自分自身は「根拠あるプライドを持てるフラ」が踊れるように歩んでいきましょう。
「他人がやっているから自分もやっちゃえ」というのはいたずらに自分を貶める行為です。そこはぜひ良識に鑑みて、誰にも恥じる事ないフラが踊れるダンサーでありましょう。
内面から美しいフラは必ず分る人には伝わるものです。
逆に、ひどいドロボウを見たからといって、必要以上に義憤を感じたり傷ついたりする必要もありません。
パクリや劣化コピーしか出来ない人というのは、自分の中身が無いからこそそうせざるを得ないのであり、この先も一生「本物のフラ」に触れる事のない、ある意味可哀想な人達なのです。
ただ自分がそうならないように心がければ十分です。
さらに、そういうドロボウさんを見抜けるよう、常日頃から見る目を養っておく事が大切です。
このケースは一般的な窃盗や詐欺などと違い、ある意味「騙される方も悪い」のです。
他人の著作物をパクってあたかも自分のオリジナルであるかのように装ったり、虚言によって自分を大きく見せようとしたり、本物じゃないのに本物のフリをしようとしたりする人でも、見る目のある人が踊りを見ればかなりのところまで馬脚を顕させる事が出来ます。
どれだけ大言壮語を並べられても、上辺だけ本物っぽく取り繕われても、それらに惑わされずに中身を見極めることさえできれば、ドロボウやニセモノに騙される心配も無くなるのです。
たとえば私が記事冒頭に挙げたホロクーおよびそれを使用した曲とその振付、それらはすべてウチのオリジナルであり、他の誰も勝手に使う権利を有しない事がここでハッキリしたわけですから、この記事をお読みになってそれを知っている方であれば、少なくともこれに関してパクっている人がいたとすれば即座に「ドロボウだ!」と見抜く事が出来ます(もっとも、まさかそこまで恥も外聞もプライドも無い事が出来る人が実在するとは思えませんが…)。
同じように、さまざまなフラを見聞きしていけば、おのずと本物と偽物の違いがみえて来るはずです。
もっと突き詰めていくと、どこかのパフォーマンスを見た時に「ああ、この衣装の元ネタは何年のメリモのどこのチームだな」とかそういう事まで見えてきます。
もちろん、振付からフォーメーションから何から全部パクったのでもない限り(笑)、衣装のヒントを得る程度ならいちいち目くじらを立てる案件ではありませんが、そのくらい自分の中のフラの引き出しが増えていくと、それまで見えていなかったものがかなり明らかになって来る=「見る目が養われた状態」になります。
見る目を養う事は、ドロボウを見抜くだけでなく、自分自身の向上にもつながりますので、必ず自分の役に立つ事でしょう。
あ~、久しぶりに説教じじいモードに入ってしまった(笑)。
しかも、最初から「フラをリスペクトしている人」「プライドを持って踊っている人」にはまったくもって釈迦に説法の内容ですよね。
「んなの当然だわ!」という方はほんと長々とすみません、そして最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました
というか、すべてのフラ・ダンサーが「んなの当然だわ!」と思って下さる世の中になって欲しいものだと切に願ってやみません。
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このホロクーは青みがかった深いグリーンで、1m程度裾を引きずっているワンピースのドレスです。
胸元のカットは母マミちゃんが手縫いで細部まで指定し、裾の引き方も美しくなるように考案したこだわりのドレスなのです。
今見るとやっぱり8年前だなあというか、今同じものを作ったらシルエットやら生地のチョイスやらもっとずっと素敵に今様に出来る要素がいっぱいあるんですが、まあ8年前の作品ともなればカムエラやオラナさんのようにお洒落なところでさえ時代の変遷を感じるわけですから仕方ありません。
それに、お陰さまで当時は見て下さった方からもご好評を頂きましたし、これを着た生徒さんたちも皆さんお気に召して下さったようで、嬉しい限りです。
8年前とはいえ、きっと多くの方がこのドレスをご記憶下さっている事でしょう。

この衣装自体もウチのオリジナルなら、これをナタリーさんのあの曲に合わせるのもウチのオリジナル。
思い入れのある組合せですので門外不出であり、誰かに著作権を明け渡したり切り売りしたりは一切しておりませんし(つーかそもそもウチはそういう業務はやってないッスw)、これからもそのつもりはございません。
ウチにとってはすでに遠い昔ではあるけれども、俗に言うミッ●ーマウス保護法が切れるほど昔ではないし、第一アレが切れたってミ●キーの生みの親がウォルトさんである事は永遠に不変の事実です。
もし●ッキーの著作権が切れたからって「ミッキ●を生み出したのはワタシ」とか言い出す人がいたらそうとうイタいですよね。
とりあえず言いたい事を真っ先に言ったところで、のらりくらりと一般論に移りましょう。
世の中に存在するデザイン物、たとえば舞台衣装なんかは、必ずしも完全なオリジナルとは限りません。
オリジナルでない物の中には、もうあからさまに特定の元ネタが存在する物もあります。
そういう類の物は「パスティーシュ」「劣化コピー」そして「パクリ」の3種類に大別出来ると私は考えます。
まず一個めの「パスティーシュ」。文学や芸術分野ではよく知られているように、これは作風を模倣する事です。
広義にはパロディもこの一種ですね。
もちろんパスティーシュには何ら問題ありません。まして元ネタが何かハッキリしていたり、ネタ元の創作主の公認のもとでならなお良いです。

身近なパスティーシュの例としてはやっぱり

何度も言ってますが元ネタは左の方です(笑)。
元ネタより右側の方が遥かに知名度が高いという極めて異例なケースですが、ここに至るまでにパスティーシュした側とされた側同士の円満なコミニュケーションがあったからこそ、あくまでも「パクリ」に転落せず「パスティーシュ」としての位置づけがなされているわけです。
また、決してそっくり同じに真似たわけではなく、独自のアレンジが加えられている事も「パクリ」に落ちぶれていない理由の一つです。
オリジナルには無かった要素が加わっていたり、全く別の曲で使ったりして、そしてそれがオリジナルとはまた異なる良さを持っている、これでこそパスティーシュと呼ばれる資格があるのです。
次に「劣化コピー」。
「劣化」がつくだけあってもちろんコレはマズい…いえ恥ずかしいです(笑)。
元ネタをそのまま真似っこするのではなく、独自のアレンジを加えたのが悪い方向に作用しちゃった場合に劣化コピーが誕生してしまいます。
まぁ、それでも健気に独自のアレンジを加えようとするだけ、ただのパクリよりはまだマシというかプライドがあるともいえますが……。
分りやすい例でいうと、レンジにかけるだけでおいしく食べられる既製の料理に余計な具材や調味料などを足して却ってマズくしてしまったり、レシピに「肉300g」とあるのにケチって100gしか入れなかったりしたものが劣化コピーです。
フラの衣装で例えるなら、数年前の一時期(これまただいぶ昔ですが)みんなが真似していたカムエラの三段ドレスっぽいものをどこの業者さんも先を争って作っていた頃、ある業者さんが「元ネタはあまりに生地を使いすぎるのでウチのは分量を減らした」とおっしゃってまして、そこで生産されていたドレスは完全に劣化コピーです。
アレはあの非常識なほどの分量があればこそのデザインなのですぞ。どっちかってーと立ち姿の美しさを求めるドレスではなく、踊っている時の状態がメインなので、そこから分量を減らしてしまったら、もうホントにウォッカ抜きのブラッディマリーと同じです。
あれ、まさか同じと思って買っちゃった人いるのかなあ…他にもそういう業者さんがあるのかなあ……などと考え始めると、今も夜眠れなくなります。
そうそう、衣装をそっくりパクっても、あるいは衣装自体はオリジナルより良くできてさえいても、それを全然あわない曲に使っちゃったらそれもやっぱり劣化コピーです。
たとえばココナッツブラとピカピカ光るセロファンスカートでカヒコを踊るとか、タヒチアンの衣装でフラ用楽器を持って踊るなどがこれにあたります。
うわ、想像してたら猛烈に絵で表現したい衝動に駆られて来たが、それやってるとなかなか先に進まないからとりあえず次の項目に移ろう(笑)。
そして3つめは「パクリ」。
まあ上記二つも広い意味ではパクリの一種と言えるので、それらと区別するならばこちらは>「猿真似」「剽窃」などと呼ぶべきでしょう。
「パクリ」は元ネタと全く同じものを文字どおりそっくり真似っこした代物です。
言うまでもなく、これら3つの中で一番芸が無くてみっともない。ついでに言うとプライドも無い。
パーマンのコピーロボットでさえ自分で動いたりもするのに、なぜ人の真似をして平気なのか、というよりそんな事をして何が嬉しいのか、極めて理解に苦しむ代物です。
ただしパクリの中にも問題の無い例外があります。
それは「オマージュ」。ネタ元との合意があったり、同じものを再現する事自体に意味がある場合にオマージュになります。
フラではこのケースが大変多いですね。自分の師がデザインした衣装をまとい、自分が師から引き継いだ物そのままの踊りを踊る。師をリスペクトする気持から行われるこうした行為は、尊ばれる事こそあれ、パクリとのそしりを受ける事は決してありません。
たとえばイリマフラスタジオの現クム・ラニさんが数年前のメリモで往年のイリマの衣装と演技を再現したMoku O Keaweは完全なオマージュです。某クムが「今はああいうスタイルでは踊らない」的な事をおっしゃってましたが、敢えて当時のままに忠実であったことにこそ意味があったのです。
だがそれは師の合意、公認があってこそだッ。
今言ったイリマのラニさんは、先代のお二人のクムにとって娘であり姪、そして正統な後継者なのですから誰に憚る事もありません。
血縁関係が無くたって、師が認めた弟子がその許しを得て行うのであれば、もちろんれっきとしたオマージュです。
しかし、教室から破門されたとか、師の公認を受けずにそれをやったら、それは完全にパクリでありドロボウです。
「部屋代は払ったもんね~」とか言いつつチェックアウトする時にテレビとか冷蔵庫みたいなホテルの備品を持ち出して、あまつさえそれを人前で使っちゃうのと同じ。メチャクチャ恥ずかしいしそれ以前にそもそも犯罪です。
第一、同じ衣装を持っていたり、同じ振付を学んだりした仲間に対して非常に失礼です。
思い入れのある衣装や頑張って覚えた振付が勝手にパクられているのを見たら、自分の思い出や努力が穢されたと感じるでしょう。
あと、そんな(元)仲間の気持なんぞ知ったこっちゃねえという人は、そもそもフラに必要なモノが根本的かつ致命的に欠如していますので、フラ自体やらない方がいいと思うぞ私は。
フラというのは人の中身がにじみ出る踊りです。
自分のフラを構成するものが上辺ばかりのパクリや劣化コピーでは、中身自体がまったく無い、ただのハリボテになってしまいます。
表面だけ取り繕ったハリボテによって見る目の無い人のことは騙せても、本物を知る人から見ればハリボテなのは一目瞭然です。
確かに、地道に知識や技術を磨いたり、見る目を養ったりする作業よりも、安易にハリボテで取り繕う方がラクです。それによって傷つくプライドがない人であれば容易い事でしょう。
しかしながら、自分の中身を増やして質を高めていく過程こそ、フラを学び踊り続ける事の醍醐味なのです。
それをむざむざ手放してまで自己満ばかりのフラを踊り続ける意味はハッキリ言って皆無です。
結論。
まず、とにかくあからさまなパクリや劣化コピーをネタ元に無断でやるのは恥ずかしいのでやめましょう。
具体的には、「今現在自分が所属していない先生や教室」の振付や衣装などを勝手に使ったらそれはパクリです。
元々所属していた事があっても、最初から赤の他人であったとしても同じ事です。
(ちなみにワークショップなどで正式に得た振付を踊るとか、公式に売り出してるカムエラのメリモドレスを買って着るのはパクリではありません。まあそれを「自分のデザインだ」と称して転売とかしたら話は別ですが…)
もちろん、どれほどクリエイティヴな人であっても完全なるゼロから物を生み出す事はほぼ不可能です。ですが、だからといって元ネタそのまんまのパクリや劣化コピーに走ると、元ネタを知る人からはこの上なく白い目で見られる事必至ですし、何も知らない人たちから何らかの賞賛を得られたとしてもそれは決してあなたのものにはなりません。そんなの空しいじゃないですか。
第二に、ドロボウさんやニセモノがうようよしていようとも、自分自身は「根拠あるプライドを持てるフラ」が踊れるように歩んでいきましょう。
「他人がやっているから自分もやっちゃえ」というのはいたずらに自分を貶める行為です。そこはぜひ良識に鑑みて、誰にも恥じる事ないフラが踊れるダンサーでありましょう。
内面から美しいフラは必ず分る人には伝わるものです。
逆に、ひどいドロボウを見たからといって、必要以上に義憤を感じたり傷ついたりする必要もありません。
パクリや劣化コピーしか出来ない人というのは、自分の中身が無いからこそそうせざるを得ないのであり、この先も一生「本物のフラ」に触れる事のない、ある意味可哀想な人達なのです。
ただ自分がそうならないように心がければ十分です。
さらに、そういうドロボウさんを見抜けるよう、常日頃から見る目を養っておく事が大切です。
このケースは一般的な窃盗や詐欺などと違い、ある意味「騙される方も悪い」のです。
他人の著作物をパクってあたかも自分のオリジナルであるかのように装ったり、虚言によって自分を大きく見せようとしたり、本物じゃないのに本物のフリをしようとしたりする人でも、見る目のある人が踊りを見ればかなりのところまで馬脚を顕させる事が出来ます。
どれだけ大言壮語を並べられても、上辺だけ本物っぽく取り繕われても、それらに惑わされずに中身を見極めることさえできれば、ドロボウやニセモノに騙される心配も無くなるのです。
たとえば私が記事冒頭に挙げたホロクーおよびそれを使用した曲とその振付、それらはすべてウチのオリジナルであり、他の誰も勝手に使う権利を有しない事がここでハッキリしたわけですから、この記事をお読みになってそれを知っている方であれば、少なくともこれに関してパクっている人がいたとすれば即座に「ドロボウだ!」と見抜く事が出来ます(もっとも、まさかそこまで恥も外聞もプライドも無い事が出来る人が実在するとは思えませんが…)。
同じように、さまざまなフラを見聞きしていけば、おのずと本物と偽物の違いがみえて来るはずです。
もっと突き詰めていくと、どこかのパフォーマンスを見た時に「ああ、この衣装の元ネタは何年のメリモのどこのチームだな」とかそういう事まで見えてきます。
もちろん、振付からフォーメーションから何から全部パクったのでもない限り(笑)、衣装のヒントを得る程度ならいちいち目くじらを立てる案件ではありませんが、そのくらい自分の中のフラの引き出しが増えていくと、それまで見えていなかったものがかなり明らかになって来る=「見る目が養われた状態」になります。
見る目を養う事は、ドロボウを見抜くだけでなく、自分自身の向上にもつながりますので、必ず自分の役に立つ事でしょう。
あ~、久しぶりに説教じじいモードに入ってしまった(笑)。
しかも、最初から「フラをリスペクトしている人」「プライドを持って踊っている人」にはまったくもって釈迦に説法の内容ですよね。
「んなの当然だわ!」という方はほんと長々とすみません、そして最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました

というか、すべてのフラ・ダンサーが「んなの当然だわ!」と思って下さる世の中になって欲しいものだと切に願ってやみません。

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