舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

ひぐらしのなく頃に

2009-06-07 23:43:11 | ぼくはこんな本を読んできた
『ひぐらしのなく頃に』
竜騎士07 著
講談社



さて、本日は久々に本の話題です。
この『ひぐらしのなく頃に』は、大人気の同名サウンドノベルを小説化したものです。
...って、偉そうに説明してるけど私自身が一番「サウンドノベル」が何なのかよく分ってません(笑)。
何でもゲームの1ジャンルらしいです。ゲームと言っても、どうやら自分で操作して展開や結末が変わるタイプではないらしいのだな。ゲーム型小説とでも言うべきか。

とにかく、『ひぐらしのなく頃に』は私の畏友に勧められたのがきっかけで読み始めました。
正確には勧めてくれたのはゲームの方だったのですが、Macでウィンドウズ用のゲームをやるにはなんだかよくわからない装置を入れなくちゃいけないと聞いておとなしく諦め、身の丈に合った(?)紙製の本で読むことにしたのでした。

にしても。『ひぐらし』で初めて知ったんですが、講談社は「講談社BOX」といういっぷう変ったシリーズを出版していたんですねぇ。
サイズは新書くらいで、本屋さんで探してみると茅田砂胡さんや荻原規子さんのノベルスを出してる新書シリーズなんかと同じようなエリアにありました。

しかし装丁が非常に特徴的です。
講談社BOXシリーズはすべて銀色のカバーに入っており、表紙や背表紙の代わりにステッカーが斜めに貼られ、帯の代わりに丸いシールがついています。
その分、中身の本の表紙は非常にシンプル。無地の赤(または緑)で右上にタイトルや著者名が書かれているのみです。

私個人的には、本とは本来職人のプロの技でもって精緻な装飾が施された一種の芸術品であるべきものであり、現代の本はあまりにも廉価化・軽装化しすぎてチャチいと思っているので、この仰々しい装丁もけっこういい感じです。

とはいえ、肝心なのはやっぱり中身ですよね。
本屋さんで一目見るなり長大なシリーズであることに気づいて軽い目眩を覚えましたが、それを無視して一巻目のみゲット。
あ、私のジンクスとして、面白いことが保証されている作品であっても、分冊されている場合はかならず一巻ずつ買うことにしています。
そうすれば万一面白くなかった時に痛手を最小限にすませられますので。というより、なぜか思い切ってまとめ買いしたのに限って面白くなくて上巻しか読まなかったりする.......。

この作品の主人公は前原圭一という少年です。
彼は東京から雛見沢というのどかな村に転校してきたばかりですが、非常に気の合う仲間達に恵まれ、村への愛着も早々に芽生え、充実した日々を送っています。
それなのに、その充実した日々は些細なところでつまずき、そこからどんどん綻びが生じ、最終的には惨劇の渦中に飲み込まれてしまうのです......。

つまりこの小説、前半(おもに上巻)のひたすら楽しい情景と後半(上巻ラストから下巻いっぱい)の惨劇が見事なコントラストをなし、このエピソードだけ読んでも十分に面白い作品です。
これだけで一個のホラー?ミステリー?作品になっているのですね。舞台がちょっと昔(昭和58年6月)の日本の村というのも、怪談っぽさを際立たせています(時代考証に対しては言いたいことが多々ありますが)。

しかし、「あぁ面白かった」と終わらせてしまうにはあまりにも謎めいた部分が多すぎる。そこで次の作品、つまり3巻目にあたる本を手に取ります。

すると、何とも奇妙な感覚に囚われることになる。
なんと物語は同じ雛見沢という舞台で、同じ主人公と同じ登場人物によって前話の惨劇など無かったかのように再び語られるのです。
ご丁寧に「昭和58年6月」という時代設定までまったく同じ。これはどうしたことでしょう。

といっても細部は微妙に異なります。起こる出来事が微妙に違い、それによって展開が変ってきます...が、幕切れはやはり惨劇。前回と違うとはいえ、救いようの無い悲劇であることに変わりはありません。

こうなれば想像がつくとおり、3話目(つまり5巻目と6巻目)も同じ構成です。前半は前原圭一君と彼を取り巻く楽しい日常が描かれ、中盤に物語が暗転し、惨劇で幕を閉じる。
そして4話目も同じ。いえ、これだけは少し前の時代が描かれていますが、やはり「昭和58年6月」に雛見沢で惨劇が起きることは同じです。

ここまで読んだだけだと正直、若干凹みます(笑)。
だってどのエンディングも救いが無いんだもの。謎は相変わらず謎のままですし。物語の随所に謎があるけれど、とりわけ大きな謎、「なぜ雛見沢の惨劇が繰り返し起きるのか」が一切分らないというのは、短気な人なら挫折しそうな状況です。

しかし、4話目のラストあたりから謎の片鱗が垣間見られ始めます。このへんの答え(あるいはヒント)をチラつかせるタイミングがうまいね。いや、伏線は実は1話目からずっとあったわけですが。

さて、濃霧の中を手探り状態だったのが少し晴れてきた4話目までが「出題編」であり、それ以降は「解答編」と位置づけられます。
つまり、いよいよ謎が明らかになってゆくのが5話目(=解答編の第1話)以降なんですね。

もちろん5話目でいきなり真相には直結してくれません。じらすじらす~。
では5話は読んでも仕方ないかといえばそうではなく、物語の核となる「謎」とは違うけれど、前原圭一君の視点で語られていた第2話をある別の人物の視点から語り直すことにより、今まで隠されていた真実が明らかになります。

そしていよいよ、6話目から核心的な謎がベールを脱ぎます。
我々読者はそこで初めて、物語のキーパーソンが出題編の語り手であった前原圭一君ではなく、第5話で語り手となった重要な人物ですら無く、今まで物語の要所要所で意味深に関わりながらも決して主人公にはならなかった人物であることを知るのです。
さらに7話目になるに至って、惨劇の黒幕(これまた思いもよらない人です)も発覚します。

しかし、これで終わらないところが『ひぐらし』の白眉です。
謎は解けた。黒幕は分った。「では、どうすれば惨劇を克服できるのか」に、主要登場人物達が闘いを挑むのです。
この惨劇と闘うプロセスこそ、『ひぐらし』の最も面白い部分です。具体的には7話と8話ですね。
普通のミステリーなら、謎が解けたところで犠牲者は生き返らないし、犯人の罪は贖われません。
そこに登場人物達の努力と運で立ち向かい、(結果を敢えてバラしてしまえば)勝利するまでの話が加わっているところが、今までのミステリーには無く、また既存のミステリーより優れている点だと私は思います。

尤も、『ひぐらし』はミステリーとして論じるにはたしょう無理があります。
ミステリーで一般に禁じ手といわれていることをボコボコやってしまっているため、謎解きとして読んでしまうと後出しジャンケンをされたような「そりゃないぜ」感が漂ってしまい、この作品独自の面白さを味わうことは出来ないでしょう。

だからどちらかというと荻原規子さんの「西の善き魔女」シリーズの「ベタなファンタジーとばかり思っていたら実はコテコテのSFだった感じ」を思い出しながら読むと、アレに一番近い気がします。
どうも世の中にはこの手の小説があんがい沢山転がっているな。「見た目はケーキ・味はステーキ小説」とでも呼ぼうかしら。...長いか。
でもまあまあ的を射ているネーミングな気もします。だって、ケーキと思って食べるから「エッ!?!?」となるのであって、冷静に考えればケーキもステーキも美味しいのに変わりはないのですから。

7話目と8話目の痛快さを思うと、最後の第9話は蛇足だったかなという気もします。
でもまぁ、著者さんとしては、8話までの冒険で得た勝利は物語の「キーパーソン」が最も望むものであり、他の何物にも代え難いのだということを重ねて強調したかったのでしょうな。

そういえばフィリップ・プルマンさんの「ライラの冒険シリーズ」あたりもそうだったけど、著者があまりにも強い思い入れをもって描いた作品の場合、最後の方でついその愛情が深まり過ぎ、作品との別れを名残惜しんでいるとしか思えない蛇足が加わることがしばしばある気がします。
そりゃ、終わる頃にはもう著者の頭が次回作でいっぱいになっていてナオザリにされている結末(※実はこっちの方が多い)よりかはずっといいけどね。


さてさて。ここからは『ひぐらし』をすでに知っている方への私信です。未読の方には訳が分からない上、ネタバレにも繋がるのでお気をつけ下さい。

私は登場人物の中で詩音さんが一番好きですね。外見と性格の総合点で(笑)。
そもそも長い髪と大人な体型の女性が好きですし、あのチャラけた敬語遣いも、ひねくれてるくせに内面はまっすぐな性格も大好きです。それが災いしてあんな展開になっちゃったんだろうけど...。
しかし彼女について何より好きなのは悟史君への恋心!!
何が好きって、彼女の恋路はありとあらゆる点で不幸なのに、「そもそも彼女の恋は片思い」だってことを一切悲観してないとこが大好きです。
片思いイコール不幸ではないことを体現している人ですね。
最も幸せな恋とは、相思相愛の関係ではなく、相手が存在しているだけで幸せを感じられる関係です。
物語ラストにおける詩音さんは究極的にその状態ですね。どうか彼女の幸せが長く続きますように。

この物語に出てくる女性はみんな好き(詩音さんの母上もたまりません)ですが、一方で男性陣はどうかと申しますと、まぁ前原君は明らかに私の範囲(だから何のだ)より若すぎるからなぁ(笑)。
口先の魔術師な人は大好きなんだけど。
赤坂さんはカッコいいですが、私ゃああいうストレートなヒーロー像はどうも...。なんせスーパーマンには目もくれずクラーク・ケントに熱を上げた女だからなぁ。
「本当は実力があるのに、ほとんどそれに気づかれてない人」がツボらしいです。
あと妻帯者には一切手を出さないことにしてますので(笑)。

そんななかでダントツの好みなのは葛西様ですね。うっとり。
私が惚れたのはもちろん8巻の「散弾銃の辰・再臨のくだり」です。丁寧な口調で物騒なことを口走っている時も素晴らしかったですが、堪忍袋の緒が切れてからの彼、最高です。
ただキレてる男はブザマのひと言につきますが、「築いてきた屍の高さが違う」方のマジ切れはむしろ惚れ惚れいたしますわね。ゾクゾク。

つまり、詩音さんと葛西さんコンビの話(※これは妄想カップリングとかではなく本当の組合せです、しかも二人は主従関係にあり、詩音さんの方が主人なのが激ツボです)だけで私ゃご飯10杯いけるってことです。
炭水化物の摂り過ぎには要注意。

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