前日の「野の花論」の後日談です。
人出の少ないローカルなお祭りに出かけました。
久しぶりに見たい人がいたのですが、残念ながら見れませんでした。
帰り道、小雨の中、自転車のペダルを踏みながら思わず「野の花論」の唄を口ずさんでいました。
歌いながら、この唄は理想論だと思いました。
「見たくなったらいつでも、見に行けばいいじゃない。」
現実は、野の花は誰かに摘まれてしまったり、成長して飛んで行ってしまったりするものです。
だから皆、必死に手の内に入れたくなるのでしょう。
でも、
わたしは、いつまででも理想論者で良いと思っています。
野の花は、やっぱりずっと野の花でいてほしい。
たとえ、見れなくなってもです。
わたしの理想は理想論者になることです。
現実主義の人から見れば、「何を馬鹿げた事を言うのか?」と思われるでしょう。
確かにそうです。
生活がある、食わねばならない、責任がある、義務がある、仕事がある、勉強がある・・・。
理想だけでは生きていけない。
でもね、
現実社会には、ただ行ったり来りの迷路しか見えない事を知ってしまいました。
夢想と幻想のラビリンスです。
理想は理にかなった想いです。
迷路から抜け出すには、理にかなった想いで行き先を暗示してもらわないと、ダメになると知ってしまいました。
理のかなった道は必ず抜け道に通じる道です。
現実社会にどっぷりと浸かっていても、理想に顔を向けるだけでもいいんです。
それのお手伝いをしたい。
理想への抜け道がある事だけでも書きとめたい。
だから・・・、
だからわたしは理想論者が理想なんです。
人出の少ないローカルなお祭りに出かけました。
久しぶりに見たい人がいたのですが、残念ながら見れませんでした。
帰り道、小雨の中、自転車のペダルを踏みながら思わず「野の花論」の唄を口ずさんでいました。
歌いながら、この唄は理想論だと思いました。
「見たくなったらいつでも、見に行けばいいじゃない。」
現実は、野の花は誰かに摘まれてしまったり、成長して飛んで行ってしまったりするものです。
だから皆、必死に手の内に入れたくなるのでしょう。
でも、
わたしは、いつまででも理想論者で良いと思っています。
野の花は、やっぱりずっと野の花でいてほしい。
たとえ、見れなくなってもです。
わたしの理想は理想論者になることです。
現実主義の人から見れば、「何を馬鹿げた事を言うのか?」と思われるでしょう。
確かにそうです。
生活がある、食わねばならない、責任がある、義務がある、仕事がある、勉強がある・・・。
理想だけでは生きていけない。
でもね、
現実社会には、ただ行ったり来りの迷路しか見えない事を知ってしまいました。
夢想と幻想のラビリンスです。
理想は理にかなった想いです。
迷路から抜け出すには、理にかなった想いで行き先を暗示してもらわないと、ダメになると知ってしまいました。
理のかなった道は必ず抜け道に通じる道です。
現実社会にどっぷりと浸かっていても、理想に顔を向けるだけでもいいんです。
それのお手伝いをしたい。
理想への抜け道がある事だけでも書きとめたい。
だから・・・、
だからわたしは理想論者が理想なんです。
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