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変人バンザイ!!

不思議が好きで、立体写真を作ったり、星占いをアレンジしちゃったりする変人。

完全燃焼

2007-12-29 12:09:30 | 人生ネタ
人生の暮れ、笑って死ねたら最高!
途中経過はどうあれ、死ぬとき、幸せなら言うことなし!
それこそ人生の完全燃焼!

食事はお腹がグ~っとなった時、食べるとおいしいです。
それは高級料理でも、おにぎりでも変わりません。
満腹になると、おいしくなくなるので、腹八分目でスパッと止めると良いでしょう。
おいしく食べると、その食事は完全燃焼します。
脂肪が溜まることも無く、不足の栄養を補充する必要もありません。

偉い博士が推薦しても、私は栄養剤で補充するのには反対です。
ちょうど良い量が分かりません。
過剰に取れは絶対、どこかに負担がきます。
お腹に脂肪が溜まるように。

おいしく食べた食事は、口で噛みくだれ唾液で消化され、胃で消化され、小腸で消化され、大腸で消化され、肝臓と腎臓で消化されます。
完全燃焼で、炭水化物とか脂肪とか、たんぱく質とかの見分けがつかないくらいになります。
原子番号1の水素まで消化されて、新たに必要な成分に組み立てられるのが理想です。
必要なところに、必要な分だけ配置されるのが理想です。
食事の量が増えたり、栄養剤で補充したりすると、この組み立て装置がくるいます。
お腹に脂肪が溜まるように。

人間にとって老化は、死という変容の為の消化だと考えます。
死んでから先が、魂の新たな成分組み立て装置だと考えます。
人生をおいしく食べて完全燃焼させることが魂を水素原子までする第一歩です。

以前、三蔵法師のところで人間を体と感情と思考に分けました。
笑って死ぬには、この3っつが同時に老化するのが望ましいです。
体だけが老化すると寝たきり老人になります。
感情だけが老化すると躁うつ病になります。
思考だけが老化すると認知症になります。
同時に老化すると痛みが無く、心の苦しみも無くおだやかに死ねます。

コツは、おいしく、楽しく天寿を全うすること。
あれもこれもという無理な食べ過ぎに注意しましょう。

見方を変えると面白い。

2007-12-20 12:14:51 | 人生ネタ
裸眼立体視をマスターした皆さんは平面の二次元を、見方を変えて三次元に見る面白さを堪能してみえると思います。
では、実生活における三次元の世界はどうでしょうか?

0次元の点「・」は、見方を変えて点の後ろにどんどん点が連なっている状態を想像し,横から見ると一次元の線に見えます。
一次元の線は、後ろに隠れた連なっている状態を想像して見ると二次元の平面に見えます。
二次元の平面は、後ろに隠れた連なっている状態を想像して見ると三次元の立体に見えます。
三次元の立体は、後ろに隠れた連なっている状態を想像して見ると四次元の時間の経過が見えます。
四次元の時間の経過は、後ろに隠れた連なっている状態を想像して見ると五次元の延々と続く循環が見えます。
さらに、さらに・・・。

三次元の実生活において、見方を変えて、今あるもの今起きていることの時間の経過を想像しながら暮らすと面白いのじゃないでしょうか?
偶然、今ここにあるんじゃない。
いろんな人の手から手を渡って、ここに来るべくしてここに来たんだ。
今起こっていることは突然起こったことじゃなくて、ずっと以前から原因があって、時間の経過とともに形を変えてここに起こっていると想像してみてください。
分かるだけでも歴史をたどってみてください。
楽しくなってきませんか?
今まで経験した良いことも悪いことも、無駄なことはひとつもなく、今ここに繋がっていると感じませんか?
これから起きる全てのことも、無駄なことはひとつもないと気づきませんか?

さらに。
今この瞬間が、永遠の循環の中の一瞬だと想像してみて下さい。
出会うべくして出会った、起こるべくして起きたこの一瞬。
すごい事だと思いませんか?
キラキラ光ってみえませんか?

これが一期一会なんでしょう。

快適なドライブ

2007-12-15 12:22:07 | 人生ネタ
快適なドライブに必要なのは?

お気に入りの車を洗車して、タイヤの空気圧などの車体をチェックする。
ガソリン満タンで、オイルやバッテリー液のチェックもおこたりなし。
目的地の選定と、ご自慢のドライブテクニック。
あとは音楽と、助手席にあの娘がいれば。

快適な人生に必要なのは?

日々の健康チェックと体力維持。
喜怒哀楽の激しい感情の平静さを保つ。
世渡りテクニックと、生きがいを持つこと。
あとは心地よい環境と、愛する人がいれば。

桃太郎の犬が体で、猿が感情、キジが思考なんてどうでもいいこと。

孫悟空の豚が体で、猿が感情、カッパが思考なんてどうでもいいこと。
三蔵法師が、体と感情と思考の蔵で、それを教える先生なんてどうでもいいこと。
西遊記は経典を求める旅行記だが、その物語自体が経典なんてどうでもいいこと。
豚の八戒が八つの戒めで、食欲や色欲の怪物とどう戦うかなんてどうでもいいこと。
空の悟りなんてどうでもいいこと。

日々の点検を忘れずに、快適に人生ドライブを楽しみましょう。

桃太郎のパロディー

2007-12-14 12:12:28 | 人生ネタ
昔々、あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでいたんじゃと。
世間の仕打ちに耐えられんで、逃げるように山奥に引きこもったそうじゃ。
じゃが、山の草を刈ったり川で洗濯するようになってから、すさんだ気持ちがだんだん和らいできたんだそうじゃ。

あるとき、木や花や鳥を包んでる霧みたいなのを見つけて、家に帰ってから二人でその話をしたんだそうじゃ。
いろりの火を見ながら、お婆さんはお爺さんに言ったんじゃ。
「お爺さんにもついとるよ。桃のような丸い形の霧みたいなのが。」
「おお、これが噂の『気』というもんじゃな。生きもんには、みんなついとるわけじゃ。」
目からうろこが落ちて、改めてそれを気太郎と名前を付け、いつも見るように心がけたんじゃそうじゃ。

今日も気太郎は元気かな?なんて見てるうちに、しだいに大きく、はっきり見えるようになったんじゃ。
おかげで、毎日、気太郎の形が変わってる事に気づいたそうじゃ。
丸だったり、四角だったり、三角だったり、ときには鬼の角のように、トゲトゲしとったらしい。

忠実な犬が啼いて教えるように、その形で体の調子が悪くなりかけてるのが分かるようになったんじゃと。
お婆さんは、見えない空気を両方の手のひらで団子を練るような仕草をしたんじゃ。
昔、気の団子の作り方を習ったことがあったそうで、この気の団子を体の悪いところに当てると、調子が良くなり、気太郎の尖った角も丸まったそうじゃ。

ところがじゃ、お爺さんとお婆さんが昔、受けた世間の冷たい仕打ちが、怒りとなって、時々、猿のように暴れ出すそうな。
その時、気太郎はきまって角張り、見えなくなりそうになるんじゃが、やっぱり、気の団子を練って胸の心に当てると、すぐ元に戻るそうな。

心も体も穏やかになった二人じゃが、寝ている間は、どうにもならんかったそうじゃ。
夢は鳥のように自由に飛び回り、昔の悪夢にうなされる事が、たびたびあったんじゃと。
お爺さんとお婆さんは、できるだけ助け合って、どちらかがうなされたら気の団子を練って、額に当てるようにしたそうな。

それから二人は、気太郎と共に、ずっと仲良く幸せに暮らしたそうじゃ。

                        ゲッ、ゲッ、ゲゲゲのゲ~。

求めない

2007-12-13 12:18:10 | 人生ネタ
詩集「求めない」がベストセラーだそうです。
老子とタオを研究された加島祥造氏の本です。
こういう組織力ではない宗教系の本がベストセラーになるのは、喜ばしいことだと思います。
日本もまだまだ捨てたもんじゃないな!

人間は求める存在だからこそ、余分なことを求めないようにしよう。
そうすれば、体の中にある別のものが動き、喜びにつながってくるという主旨だそうです。
もっとも、私はまだ読んでなく女性週刊誌からの受け売りです。

大筋で同感です。
ほとんどの宗教も欲を捨てるように説いています。
でもね、



どうしても理解できないことがありました。

「無欲」と「怠惰」の違いと線引きです。
無欲ならホームレスの人だって大宗教家です。
宗教家の中には、怠惰から無欲な人がいるかもしれません。
どこまでが無欲?
どこまでが怠惰?

ある出来事から、今ではその違いが解るようになりました。
でも、ここで書くことは控えようと思います。
またの機会に書かせてもらいます。

時の揺らぎ

2007-12-11 12:20:19 | 人生ネタ
パソコンをお使いの皆さんはよくご存知だと思います。
どんなに優れた高級パソコンでも、フリーズして動かなくなることを。
丁寧に、ていねいに使ってもです。
昔のパソコンは、Ctrl+Alt+Delキーを一度に押して強制終了したものでした。
その為、作業の途中のデーターは消えてしまいガッカリしていました。
いまの私のノートパソコンは、かなり改良されていて、マウスポインタのフリーズぐらいはしばらく待っていると動き出します。
その他でも、スタートボタンを長く押すと強制終了します。
面倒なのはロゴマークが出たままフリーズしたときで、今まで2回ありました。
ボタンを押そうが何をしようがついたまま消えないんです。
あわててメーカーに電話しても、話中ばかりで通じず、あたふたしていました。
長く待ってやっと、バッテリーを取り外すという荒業を教えてもらいました。(説明書に書いとけよ!)

これらを私は「時の揺らぎの仕業」と考えます。
自然は、自転公転の円の動きです。
機械は、計算式の直線です。
円周率のように円を直線で割ろうとしても永遠に割り切れません。
1年を月の12で割っても、週の7で割っても割り切れません。
365日としても余りがでます。
うるう年やうるう秒で調整しても、まだ狂ってきます。
割り切れない余りの時間が「時の揺らぎ」です。

人生にも「時の揺らぎ」はあります。
何をやってもうまく行かないフリーズの時です。

子供のころ、近所の川に通称「ザーザー」と呼ぶ堰があり、まだ泳げなかった私は、タイヤチューブの浮き輪でその堰を越すのが好きでした。
ある時、時の揺らぎのタイミングで脇の渦につかまってしまいました。
手でいくら水をかいでも、なかなか抜け出す事ができません。
そのうち、浮き輪が立って、あわや、溺れそうに・・・。
じっと動かず、力をためて、イッキにかいだら幸いにも、自力で抜け出すことができました。
だけど毎年、一人ぐらい溺れる人が出て、この川は遊泳禁止になりました。

マウスポインタぐらいの人生のフリーズでしたら、あたふたしないで、このようにしばらく動かず待てばよいでしょう。
もっと大きな人生のフリーズでしたら、取り掛かっている作業を強制終了しましょう。
ロゴマークのフリーズのような絶体絶命の時は、バッテリーを取り外す荒業を使います。
検査入院とか、修行の山ごもりとかの意味になるのでしょうか。

人という字は

2007-12-06 12:28:22 | 人生ネタ
私は考えます。
人という字は二本の足で大地に足をつき直立する姿の象形文字だと。

金八先生の言う「共に支えあう形」には反対です。
それは「人」ではなく「入る」です。
互いに依存しあう形です。
SEXの肉体面だけでなく、借金する金銭面、居候などのプライバシーまで侵害する生活面、常に人に頼って責任転嫁する精神面などがあります。

どこかで耳にしたことですが、人の先祖の猿はとても臆病でずる賢かったそうです。
生き残るために高い木に登ったりしました。
一部は大きな川辺に暮らし、敵が来たら川に逃げ込みました。
浮力で顔だけ出して立っていたことから立って歩けるようになり、手が自由に使えるようになり、道具を発明したのが始まりだと聞きました。
その象形文字が「人」なのではないでしょうか?

複数の人間が同じ道を歩むとき、まず、自立ありき!だと思います。
臆病でもいい。
ずる賢くってもいい。
元々そうだったんですから。
どんな手を使ってもいい、とにかく二本の足で自立しましょう。
それで初めて一緒になって一の力が二にも三にもなり、出来そうもないことが達成できるんだと思います。

ピカピカのスプーン

2007-12-04 12:19:10 | 人生ネタ
喫茶店を営業しているとき、よく、お客さんに質問されました。
「ここのスプーンは、いつもピカピカなんだけど、どうして?」って。
消毒をかねて金物類は、煮沸することなどを教えてあげました。
次の日早速「試してみたらすごかったよ!くすんだスプーンがピカピカになっちゃった。」とのこと。
ちょっとコツがあるんで、ここに書きます。

1..3分ぐらいスプーンを煮沸します。
2.やけどに注意して、乾いたタオルの上に取り、すぐ水気をふき取ります。
3.何もしないで、手も触れず、そのまま自然に冷まします。

たったこれだけです。
コツは、2番目のすぐふき取るところと3番目の自然に冷ますところ。

これに普通は気が付きませんし、なかなか出来ないところです。
拭き忘れたり、片付けたくなったり、使う用事が出来たりします。

この方法は、体や心の増強とか、健康、性格、人生、オーラの輝きなどにも応用できるのではないでしょうか?

例えば受験勉強です。
熱く苦しい煮沸のときです。
輝きを増す第一段階です。
合格、不合格にかかわらず、変に浮かれすぎず、逆に落ち込み過ぎず、速やかに汗や涙をふき取る第二段階です。
周囲の賞賛とか慰めに左右されず、遊びや酔わせるものに走ったりせず、自然に熱を冷ます第三段階。

それができた君は今、ピカピカに輝いています。

北まくら

2007-12-01 12:28:50 | 人生ネタ
「北まくら」についてちょっと一言。

亡くなった人を頭を北にして寝かすことから、北枕は忌み嫌われています。
私は時々、北枕で昼寝をします。

地球の公転や自転から考えると、風の流れは西から東ですから、北枕はそれに抵抗しています。
安眠は望めないかもしれません。
だけど、
地球の磁力はN極からS極へ流れています。
気の流れを考えると、北枕のほうが同調するとも考えられます。
要は、

昔からの言い伝えに縛られて断固、北枕を否定するより、まず試してみること。
試してから体の反応を見ること。
良ければ良し、悪ければすぐ改める。
臨機応変。


人生も、政治も、こんな風に臨機応変に行けたらな~なんて思っています。

理想論者

2007-11-18 12:12:35 | 人生ネタ
前日の「野の花論」の後日談です。

人出の少ないローカルなお祭りに出かけました。
久しぶりに見たい人がいたのですが、残念ながら見れませんでした。
帰り道、小雨の中、自転車のペダルを踏みながら思わず「野の花論」の唄を口ずさんでいました。
歌いながら、この唄は理想論だと思いました。

「見たくなったらいつでも、見に行けばいいじゃない。」
現実は、野の花は誰かに摘まれてしまったり、成長して飛んで行ってしまったりするものです。
だから皆、必死に手の内に入れたくなるのでしょう。
でも、
わたしは、いつまででも理想論者で良いと思っています。
野の花は、やっぱりずっと野の花でいてほしい。
たとえ、見れなくなってもです。

わたしの理想は理想論者になることです。
現実主義の人から見れば、「何を馬鹿げた事を言うのか?」と思われるでしょう。
確かにそうです。
生活がある、食わねばならない、責任がある、義務がある、仕事がある、勉強がある・・・。
理想だけでは生きていけない。
でもね、

現実社会には、ただ行ったり来りの迷路しか見えない事を知ってしまいました。
夢想と幻想のラビリンスです。
理想は理にかなった想いです。
迷路から抜け出すには、理にかなった想いで行き先を暗示してもらわないと、ダメになると知ってしまいました。
理のかなった道は必ず抜け道に通じる道です。
現実社会にどっぷりと浸かっていても、理想に顔を向けるだけでもいいんです。
それのお手伝いをしたい。
理想への抜け道がある事だけでも書きとめたい。
だから・・・、


だからわたしは理想論者が理想なんです。

野の花論

2007-11-17 12:25:11 | 人生ネタ
いとしいのなら ただそっと
  見つめるだけに しませんか?
野山に咲いた 花のように
  自然の側に 置きましょう
思わず手出ししたくなるが 
  それをしたとき 野の花じゃなくなるよ

正しいだとか ないじゃなく
  あるべきだとか ないじゃなく
野の花はただ そこにあり
  可憐な花を 咲かせてる
誰かが植えた 訳じゃないが
  世話がなくても 立派に花が咲く

ホントの愛は 何もしないで
  ただひたすらに見ることと
わずかながらの 経験から
  わたしの学んだことはこれ
神様などじゃないんだから
  人を導くなんてこと できやしない


いとしいのなら 我が生き様を
  見せるだけに しませんか?
野山を愛でる 純なハートを
  野の花だって  気づくはず
心ならずも 別れがきても
  持ち帰ったりなんかしちゃ 枯れちゃうよ

見たくなったら 何度でも
  会いにくれば いいじゃない
野の花はいつも そこにあり
  可憐な花を 咲かせてる
摘んで帰るより その場で生かそう
  自然の力は はるかに偉大なり

ホントの愛は 何も言わずに
  ただひたすらに 見せること
わずかながらの 経験から
  わたしの学んだ ことはこれ
そうすれば花だって より生き生きと輝いて
  あなたの愛に 答えてくれるから