

2013年の篠原美也子のナンバー、『きれい』、セルフカバーアルバム『青をひとつ、胸に抱いて』(2013年)より、聴いてみる。
始まりを見た後の、終わって、流れる泪で、街が綺麗に見える。

昨日と今日の狭間で膨らんだものが、一気に、萎んでいる、始まるが、終わる夜に。

1993年篠原美也子のナンバー、『前夜 ~Heavy Night~』を、1993年のアルバム『満たされた月』より、聴いてみる。
今日1月1日と言う明日が、具現化し、終わり行こうとする時に 生まれるは、青き重苦しき、鬱色。

2011年の篠原美也子のナンバー、『一輪』を、アルバム『花の名前』(2011年)から、聴いてみる。
このナンバーにある、「昨日まで、確かに、そこにあった」、と言う詞の部分に、ひかれてピックアップ。
昨日12月31日に咲いた、1月1日の到来に、熱くなって、彩ったもの、今は 、もうどこにもない。

金曜日の夜なので、月も出ている……ようなので、ピックアップ。

回帰する為に、産み出した、使い捨ての想いの塊が、天使、となって、今夜の街を、満たすだろう。傷ついた姿で。

ほーら、やっぱり、と、昨日を知っている鬼が、私を笑っている気がしたので、ピックアップ。
12月31日から1月1日を迎える高揚感も特別感も、やっぱり一瞬で、ため息。

篠原美也子の1993年のアルバム、『海になりたい青』より、『愛してる』を聴いてみる。
夢の果ての1曲。冷めて、また、ただ、くすみ色で、満ちた日常に、戻る。

明日を、待ち焦がれた、昨日の想いは、秒針が、進んで、今は、もう何もない。