『もうひとりの自分-true myself-』
どこまでも碧くあるいは深緑の葉で覆い尽くされた樹海の1本道。
歩き続けていると、自然と道に迷ったような錯覚に襲われる。
まっすぐに進んでは居ても、本当にまっすぐに進んでいるのか自分自身を疑いたくなってくる。
ただ広がるは、無限に広がる樹木。
そして残されるは自分自身と進んでいるのを忘れさせる時間だけ。
(ここは?)
いつか歩き疲れたのか、或いは、樹木の錯覚に惑わされたのか、バティストはその場に倒れこんでいたようだ。
(うん?あれは?)
立ち上がると目の前には、家があった。
(‘‘バー、フォーレスト,,ありがちな名前だな)
その家の屋根の部分に、そう描かれた看板があった。
(こりゃ、物語の世界にいよいよ来ちまったようだな)
バティストはフッと笑う。
(よし、ここはシナリオ通り、その店に入ってみようじゃないか)
そうするのがスジだろう、とバティストは思い、何のためらいもなく、‘‘バー、フォーレスト,,に入った。
「誰か居るかい?」
太陽も高い時間から営業している訳は無いかもな、という不安がほんの一瞬、彼の心の中に過ぎった時、パッと暗かった店内がローソクの火で灯されて、周囲が見える様になった。
(これは、歌の中の世界か?)
一度入ったら出られない宿の歌と深い人生への哀しみにかられた時はいつでも来いよ、という夜の砂漠に現れるカフェテリアの歌がバティストの頭の中で思い浮かんだ。
(グラスを磨くマスター1人に、暗そうな雰囲気をまとう客がカウンターに1人か。こいつは出来すぎてるな)
あまりに有り得過ぎている夢幻舞台にバディストは、肩をすくめてフッと笑うとそのままカウンターの席に着いた。
「どうぞ」
すると行き成りマスターが深い赤色の液体が入ったグラスをパティストの前に置いた。
(一体、いつの間に?)
今さっきまでグラス磨いてたんじゃ?と思ってマスターを見れば、確かにグラスを磨くマスターがそこに居た。
(どうなってんだ?)
戸惑っているパディストを見てなのか?或いは物語の筋書きからなのか、マスターが
「あちらからです」
グラスを磨く手を止めて、先ほどの暗い雰囲気をまとった客を指差した。
「よぉ、待ってたぜ」
片手を挙げて挨拶した客は、パディスト自身そのものだった。
「俺が、誰かって?他ならないお前さ。もう1人のパティストさん」
(へぇー、よく出来た物語じゃないか)
カウンターに座る客が自分自身。あまりにありがちな展開とくだらなさに、どう対処してよいやらバティストは解らなかった。
「そう呆れ返るなって。ここはお前の思っている通りの世界だ。主人公のお前がそんな風に呆れ返って、馬鹿にしくさったんじゃ、話が進まないぜ」
もう1人のバティストは、全てを知っていた。だからこそ、自身有り気にグラスを持ち上げてそう言ったようだ。
「そうなら話が早い。一体、これはどういう事なんだ?」
バティストがもうひとりのバティストに問い掛ける。
「どういう事って、こういう事さ。お前が見ての通り。見たまま、感じたままが形になっているってだけさ」
答えを曖昧に濁すもうひとりにバティストは少し苛立ちを感じた。
「ここはもう1つの世界、もう1人の自分が居る場所って訳か。狐だか狸だか小悪魔だかなんだか知らないが、俺をだまして何になる?」
「何もならないさ。ただ、全てがここにあるだけさ。今日はもう飽きた。マスター、店じまいにしようぜ」
もう1人のバティストがそう言うと、目の前の空間が消えた。
「ん?」
気が付けばバティストは自室自宅のベッドに眠っていて、窓の向こうはすっかり夜が明け、昼間になっていた。
「むなくそ悪い夢だったな」
思わず言葉にしてしまった。
憎たらしい自分自身と対面したのだからたまらない。
(あんなのは有り得ない)
パティスト自らが望んであんな夢など見るはずも無い。一体、何がどうやって悪く作用したのだろうか?あんな夢2度と見たくない、ただそれだけが彼の胸の中に残った。
だが、1度始まってしまった物語がこんな簡単な意思で終わる筈も無く、バティストは
数日後再び、同じ場所へと迷い込んだ。
「またかよ」
声に出して、不快感を露にした。
目の前には、‘‘バー、フォーレスト,,の建物。
入ればきっと、あの男が居る。
そうと解れば何も、この建物へ入る必要も無いか、とバティストは思い立ち建物に背を向けて歩き出した。
(って、ここは樹海だったんだよな)
歩けば歩くほどに迷う場所。
そんな危険な場所に足を踏み入れて、幾ら夢の中とは言え、冥府の入口に片足を突っ込むような真似しても、また物語チックな感じでバティストは苛立ちを感じた。
(何がどうなってんだよ)
こんな夢を見て何になる、そう言葉にしようとした時、タイミングよく樹海を抜けると今度は、視界一杯に砂漠が広がった。
(今度はこれかよ。よく出来てんな)
引き返せば、‘‘バー、フォーレスト,,にたどり着くのみ。
そうなれば、進むしかない。
バティストは砂漠の1本道を歩き出した。
(流石夢の中だな、暑くも寒くも無い)
歩いても歩いても何も体感的なものは感じない。
コマ送りの中を歩くが如くに、ただただパティストは前へ前へと進み続けた。すると、
(あれは、オアシス?)
大きな水溜りと小さな草原と数本の木が見えたので、そのまま進み行くと、
「よぉっ、待ってたぜ」
そこにはもう1人の自分が砂地に座り込んで居た。
「またお前かよ。綺麗な美女の1つも出てこないのかよ」
「残念でした」
もう1人のバティストが嬉しそうに笑った。
「不愉快だな。どうなってんだよ」
「こうなったんだよ。よし、今日はこれでおしまいだ。またな」
苛立っているバティストを余所にもう1人のバティストが言葉を発すると、いつかのバーの如く目の前がパッと消えた。
「何なんだよっ!」
大声と共にバティストは目覚めた。
「馬鹿にしてんのかっ!!」
一体誰に向かって怒っているのか?端で見たら今のバティストは単なるオカシイ人にしか見えないだろう。
(一体、何がどうなってるんだよ)
不可解な夢。
景色こそ違うが出てくるのが同じ自分。
何かの暗示にしては、特にこれと言う変化も無い日常。
この夢をバティストはあと2回みる事になった。
始まりはやはりあの‘‘バー、フォーレスト,,の目の前。
後ろと前が駄目ならと1度目は右へ行き、たどり着いた先は、誰も居ない海岸。そして2度目は左に行き行き着いた先は崖の突端。そして最後に出会うのはいつももう1人の自分だった。
「へぇー、4回ももう1人の自分に会ったのかい?そいつは傑作だね」
たまらなくなったバティストは友人のヒューに見た夢の話をしてみた。
「4方向どちらに行っても、最後は自分に会うか。う~む、興味深いね」
「そうでもないぜ。会うたんびにいらいらするんだぜ」
夢ならもっとマシなものが見たい、と嘆くパティストに、ヒューは冷静に言った。
「まぁ、そう言うなって。出来すぎ、有りがちなストーリー。でもそのキーワードが出てるじゃないか」
「キーワード?それは?」
ヒューにバティストは問う。
「うん。言うまでも無く、‘‘お前自身,,だよ」
「はぁ?何だよそれ?」
そんな夢なんか有り得ない。いや、有り得て欲しくない、というのが彼の本音だった。
「簡単なことさ。お前がそのお前自身から話を聞けば良いだけの話さ」
「そうは言うけど、あいつは何も教えちゃくれなかったんだぜ」
どういう事か?という問いに、こういう事だ、と天邪鬼に答えたあいつにそんな大きな鍵がある様にバティストは感じられなかった。
「それは、どういう事か、が問題じゃないって事だよ」
「何だよそれ?」
訳の解らない話にバティストの苛立ちは高まるばかりだった。
「そう答えを急がない事がポイントだよ。焦っても解決する問題じゃない。でもきっと次にその夢を見た時に、話が進展しそうだよ。だから、騙されたとか筋書きとかそう言うのを無視して、夢を続きを見ろ、って事なんじゃないかなって思う。話を聴いてる限りだと、気分的に焦ると、その夢が終わる傾向にあるみたいだから」
簡単にして実に難しい事をヒューに言われも、バティストの訳の解らないという気持ちに変化は無かった。
「美辞麗句並べても始まる様な話じゃないって事みたいだから、バティストが1番良いって思えるやり方でその夢を終わらせれば、良いんじゃない?」
まぁ、やってみなよ、とヒューはそれ以上の事を語ってはくれなかった。
(何だかなぁ)
求める答えが入らない事へのフラストレーションがたまる結果になり、バティストのもやついた心の中の霧みたいなものがより深みを増した。
そして。
(またかよ)
‘‘バー、フォーレスト,,の前にバティストは居た。
(右も左も前も後ろも駄目だったしな。どうしろってんだ)
動きたくない。
それがバティストが今、一番したい事だった。
「よっ、元気だったー?」
声の主は、背後を振り向かなくても解った。
「また、お前かよっ」
しつこい奴だな、とバティストは思う。
「立ち話も難だ。‘‘バー、フォーレスト,,へ行こうぜ。歩いて25秒。こんな近い所はないぜぇー」
上機嫌なもう1人のバティストの勢いに押されて、2人は店の中に入った。
「いらっしゃいまし」
最初の時の同じくして、マスターはグラスを磨いていた。一体、この店には幾つのグラスがあるというのだろうか?
「いつもの料理酒2つね」
もう1人のバティストがVサインを見せながらマスターに言う。
「おいおい、料理酒は飲むもんじゃねーぞ」
飲んでも塩辛いのがオチなそんなものを飲んで何をしようと言うのだろうか。
「細かい事は気にするな。ここはそんな場所なんだ」
無理やりカウンターに座らされると、マスターは料理酒と書かれた瓶を取り出すとグラスを2つ用意し注ぐと、2人の前に差し出した。
「さーて、今日は逃げらんねーからな。何しろ、出口は縫い尽くされちゃったもんねぇ~」
アヒャヒャヒャヒャヒャーッとどこかのラジオ番組のDJの高笑いをもう1人のバティストはすると、料理酒を旨そうに飲み干した。
「訳わかんねー」
バティストはカウンターを立ち上がって出口を向かおうとすると一向に出口が近づかなかった。
「無駄だよ。幾ら行こうとしたってその出口は単なる‘‘絵,,だもんねぇ~。さっきいったろ、縫い上げたって。往生際が悪いねぇ~」
言いながら、もう1人のバティストはマスターに料理酒、もう1杯、とグラスを差し出した。
「どうだい、もう1人の自分に会うって言うのは?」
「はっ?」
陽気だったもう1人のバティストが不意にシリアスな表情に変わった。
「誰しも、いきなり自分自身に出会うと逃げたくもんさ。なぁ、マスター」
と言うと、マスターはまたもグラスを磨きながらゆっくりと頷いた。
「自分自身と話すなんざ、出来るこっちゃない。もっとも話した所で、何かの結論が出る訳でもない。自分の望む様な答えなんか特に」
「……」
何を言っているんだろうとバティストが思った時、言いようの無い恐怖心に襲われた。
「そうさ。そういうもんさ。見たくも無いようなものが全部見えてくる。自分自身と会うってのはそう言う事さ。何しろ、嘘はつけないからな」
バティストは躰がその時動かなくなっていた。
「簡単に人は言うよな。自分自身と向き合えって。しかしそれがどんなに恐ろしい事か本当に解ってるんだろうか?曇りなき目で全てを見るなんざ、並みの人間が、いや、そう多くの人間が出来る事じゃない。ましてや、必ずしも見る必要なんかないんだからな」
もう1人のバティストの表情は、この世のものとは思えない程の形相をしていた。
「バティスト。お前は自分を見てどう思う?怖いよな。嘘偽り無く全てを見えるんだもんなぁ。今までの記憶。その記憶はいつだって、悪いものばかりだもんな。良い事なんてこんな時に出てはこない。ましてやこうして作為的に見ようなんてする時はなっ」
夢・現実を閉じる最後の手段である目さえ、躰が動かぬバティストには出来ず、もう1人のバティストに映る自分の悪事や自分の短所が描かれた文字達がぐるぐると回っていた。それは本当に、もう1人が言うが如く、見てはならないものだった。
「バティスト。これを見てる意味が解るな。お前は選ばれし人間だ。だが、その選ばれしは、悪い意味で選ばれたという事。お前はこれからずっとその事を気にしていくだろう。それを知らせる為にここへつれて来た」
もう1人のバティストはそう言うと、グラスを空けた。
「これがこの話の結論だ。選ばれし者バティスト。お前に血筋は生涯ずっとこの事を背負うだろう。4回も自分自身から逃げた報いとしてな。あばよ」
その言葉が出た瞬間、今度は目の前が暗くなった。
(うん?)
気が付くとバティストはいつもの如く、ベッドで眠っていたようだ。だが、全身汗まみれだった。
(嘘だろう、おい)
こんな事になるなんて、と思ったもののもはや怒りや苛立ちの気持ちすら起こらず絶望という気持ちにバティストは呑まれた。
もうひとりの自分。
それは、本当の事を告げる者。
本当に偽りは無い。
本当というまっすぐさは時に人に恐怖を与える事にもなる。
その全てをバティストは受け入れる事が出来たのだろうか?あるいは出来るのだろうか?