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急行特急は行く…

急行特急THが、気のみ気のままに形創るブログ

Mind Feeling0104-2 未来

2009年01月04日 22時37分52秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
「未来」という2文字。今、これをご覧になっている方々は、どんな風に考えて居られるのだろうか?あるいは、どんな風に、5年先、3年先、1年先、10日先、或は明日でも良い、していきたいとか「こうなったら良いな」とか思うだろうか?
かく訊ねるお前は、失恋でもしたか、ギャンブルで大穴を外したか、だろ?という話になるが、そのどちらも「不正解」である。
私は、いつからだろうか?「未来」に「こうしたい、ああしたいという‘‘意思,,、‘‘意志,,」が、「描けなく」あるいは「描かなく」 なっている。描こうする意志が、想像以上に、弱く薄くなっている。考えられない話だが、「こうしたい」という「冒険的な気持ち」が無い。
言い訳や自己弁護、弁解的に、「時代背景があるからだろ?」というのがあるが、そもそもそこまで私は「敏感ではない」ので、あまり強く、「それだけの所為」という風にも行かない。確かに、
「ご時世がご時世だし、解れよ、この想いを!、伝われ、この想いを!」
という、「きっかけ」や「あしかせ」で、やっている面はあるので、50パーセントという感じだろう。
さて、「未来」。何故に、「何でも良いから自由に」と言われるのに、想い描かなくなったのだろう。1つには、「願ったって叶う物でもない。人生、成功よりも失敗のが確率的に多い。ならば、可も不可もなく、‘‘このまま,,で良いじゃないか」
という結論に至り、「このまま」重視で、先の事は、「知らぬ顔」で、「みざる、きかざる、いわざる」という事で過ごして、一体何年過ぎた事か。それで通ってしまったのもある意味では凄いが、かなり「人と物への依存」、速い話

「甘え」

 が横行する形になった。勿論、これについては、数人の人間から指摘されはしたが、

「さして想い悩むことなく日々を右から左に、要領よくやりすごして心にも無い‘‘美辞麗句,,並べて、まかり通りやがった、お前に、言われたくない!」

の1言で、聞き入れもしなかったが、自分の解らない所で、「図星」さされて、「逆ギレ」していた。
見えないから、描かける、描かれていないからかけるのが、「未来」という時らしい。だがそれは、最も簡単で難しい表現である。簡単にとれば、「何も無いから何かを足せる」。だが、「結果失敗が許されぬ時世」において要求される「中身と意味のある結果」を考えると、それは果てしなく難しい話である。 難しい事には、「立ち向かってこそ意味がある」とされているが、「‘‘失敗,,という‘‘責務,,を負えるか」と詰問されると、やはり2の足を踏まざるを得なくなり、「気力が失くなる」もの。挙句の果てには、「無気力者」呼ばわりで、最悪事の詰まりは「臆病者」扱いとなるのは、口惜しい以外の何物でもない。
それを踏まえながらも、「未来」について考えると、ある意味では、「餅でも良いから何か描いてみる事」が要で、「叶う、叶わない」は、あまり関係なく、先ずは「未来を描いてみる」事が求められる様だ。だが、これも「難しいと易しい」が併存している気がしてならない。
何にしても、闇に光をなんて「無から有を生み出す」みたいで、どうも想像がつかない。
いくら書いても答がでないので、この辺りにしておくが、頭の硬さを思いっきり露呈し、恥ずかしい事この上無いが、事実は事実。

Mind Feeling0104-1 華やか、終わる時

2009年01月04日 14時05分57秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
先週が去年なんて信じられないが、ここまで時間は進行して逝った。
もう華やかな日は、幕を閉じた。長い長い道が目の前に続いている。その先に見えた私の心の信号機の色は、
「 減 速 」

である。これからだらだらと、通勤時間帯を都心方面へ向かう電車達が、「これでもか」という位に「ノロノロ」と「ヘタれ」始める。「前方に電車が居ます」という理由により。
電車の話ばかりしても難なのだが、まぁ往々にして、ありふれた日常とは、そんな物で、差し込まれ差し込まれ、行く手を阻まれる…当たり前の話なので、書いても「そんな物だな」程度で終わるのだが、問題はその先にある。詰まりに詰まった挙句に出る、人間の「行動」にある。それがどんなものであるかは、言わなくても解っている。言葉にするのが、あまりにも醜いので、敢えて書かないでおくが、無くしたくても無くならない自然の摂理とも言えるそれは、1つの宿命である。