何色と訊かれて春のいろという
俳句を始めたばかりのころ「山笑う」という季語を知った。春の山の様子を「笑う」と表現したその季語に、初心の私は色づきはじめた春山を思い浮かべ、確かに山は嬉しくて笑っている、なんて素敵な季語なんだろうと、俄然「山笑う」で句を作ってみたくなった。私が思う春の山は芽吹いている植物の色。若葉のうすみどり、花々のももいろ。そして祝福するような真っ青な空の色。どの色も外せない。ならば、と出来た句が『うすみどりももいろそらいろ山笑う』。全部入れてしまった。
掲句は逆だ。とにかくそれらを全て表す言葉として「春のいろ」。こういえば日本人なら同じような色を思い浮かべるだろう。何色かと訊いてこんな答えが返ってきたら、曲者だけど嫌いじゃない。
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我が家の春のいろ達
あっさりしてますけど趣がある句ですよね。色々と言葉を述べてない句、憧れます。
俳句も他芸と同じで、表現の仕方も色々ありますね。自由律はそもそも十七文字ではないので、俳句というより詩の形に近いのでしょうね。
俳句は短いのが何よりの特徴なので、言葉で言おうとすると限界があります。表面的には少ない言葉で、その奥を鑑賞すると、言いたいことがわかる、というのが美しい俳句だと思います。
そのためには余計な言葉は省くという作業は必須。でないと、結局何が言いたいのかわからない、出ている言葉以外のものは見えてこない、という句になってしまいます。
読者としては想像の余地を残して欲しいです。隠れている作者の言葉、それを鑑賞したいと思います。