「谺(こだま)」 西條八十
心が寂しくなったとき、
心が小さくなったとき、
僕は山へ登るんだ。
長い草を踏みしだき、
暗い並木を駆けぬけて、
僕は山へ登るんだ。
……
梅雨が明けた。朝から強い日差しがそそぐが、からっとしていて蒸し暑さがない。そこいらじゅうに干し物を広げた。
生活のリズムが変わり、孫が近くにいる楽しさを味わってはいるものの、何か常に気持ちの中に抱えるものを持った気分だ。孫娘を昨日は大阪まで送り届けた。
少し疲れを感じているだろうか。休まないようにね、と娘から念を押されもしていたが、昼から光田和伸先生による「芭蕉と旅する『おくの細道』ー旅の真実に迫るー」を受講し、終了後、京都御苑ではなくて下鴨神社糺の森を抜けて歩いてみることにした。
左手のこんもりした森を目指して…。
京都家庭裁判所に近いこのあたりの狩野宅で、漱石は「社頭に鶴ヲ夢ミ」たのかも…。
漱石は夜7時に七條駅に到着。車で狩野宅へ直行し、すぐにお風呂に入って就寝。就寝直前に「春寒く社頭に鶴ヲ夢ミケリ」と詠んだ。「糺の森のなかに寝る人は夢迄寒く候」。『京に着ける夕』は「車に寒く、湯に寒く、果ては布団にまで寒かった」とあって、何度読み返してもおかしみを感じる。
下鴨神社は出雲系の神を祀る。付近には「出雲橋」がかかり「出雲通り」の地名もあって、出雲の出の人たちが多く住まっていたと講義で触れられ、帰りには歩いてみようかと、実は講義中から思いついていたのだった。好きな場所。「僕は大きく、怒鳴る」けど、歩くことで気持ちを整えることもできるんだ。
8月11日からはここで下鴨納涼古本まつりが開催される。
今こんなことを思えている気持ちの余裕…。まあ、こんなものだろう。いろいろ工夫しながら日は繰り返される。
心が寂しくなったとき、
心が小さくなったとき、
僕は山へ登るんだ。
長い草を踏みしだき、
暗い並木を駆けぬけて、
僕は山へ登るんだ。
……
梅雨が明けた。朝から強い日差しがそそぐが、からっとしていて蒸し暑さがない。そこいらじゅうに干し物を広げた。
生活のリズムが変わり、孫が近くにいる楽しさを味わってはいるものの、何か常に気持ちの中に抱えるものを持った気分だ。孫娘を昨日は大阪まで送り届けた。
少し疲れを感じているだろうか。休まないようにね、と娘から念を押されもしていたが、昼から光田和伸先生による「芭蕉と旅する『おくの細道』ー旅の真実に迫るー」を受講し、終了後、京都御苑ではなくて下鴨神社糺の森を抜けて歩いてみることにした。
左手のこんもりした森を目指して…。
京都家庭裁判所に近いこのあたりの狩野宅で、漱石は「社頭に鶴ヲ夢ミ」たのかも…。
漱石は夜7時に七條駅に到着。車で狩野宅へ直行し、すぐにお風呂に入って就寝。就寝直前に「春寒く社頭に鶴ヲ夢ミケリ」と詠んだ。「糺の森のなかに寝る人は夢迄寒く候」。『京に着ける夕』は「車に寒く、湯に寒く、果ては布団にまで寒かった」とあって、何度読み返してもおかしみを感じる。
下鴨神社は出雲系の神を祀る。付近には「出雲橋」がかかり「出雲通り」の地名もあって、出雲の出の人たちが多く住まっていたと講義で触れられ、帰りには歩いてみようかと、実は講義中から思いついていたのだった。好きな場所。「僕は大きく、怒鳴る」けど、歩くことで気持ちを整えることもできるんだ。
8月11日からはここで下鴨納涼古本まつりが開催される。
今こんなことを思えている気持ちの余裕…。まあ、こんなものだろう。いろいろ工夫しながら日は繰り返される。
お孫さんが近くになられて生活のパターンは
がらりと変わられたことでしょう。
私は、ほとんど会えない孫ですから
たまには会いたいと思います。でも会うたびに
大人になってしまいます。小さな頃の孫と
もう少し接していたかったです。
そんな機会に恵まれて、日々大事にしたいと思います。
けど、案外疲れますね。
細切れに動いてはいますが、やはり歩くことを意識して取り込んで何やらすっとしました。
忙中の閑もなく、自分を見失いがちなところ、「京の辻から」の充実した日々に勇気づけられています。
講義を散歩で温める豊かさを思いました。
そちらの梅雨が明けたことも知りませんでしたが、こちら雨降りです。ちょっと自分を取り戻したい気持ちです。
夏休みに入って孫の来宅が増え、パソコンを開く時間もありません。
頭の中ではあれこれ練りつつ…、孫と遊んでおります。
俳句短歌と幅広く話題提供があって楽しみな講義です。
古典文学が好きな私には最高の時間です。
まだ梅雨明けではないようですね。
責任あるお立場でご多忙のご様子ですが、雨が上がればまた一息つける散策もありそうですね。
お身体大事にお過ごしください。