京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

右手のポーズは

2024年06月03日 | 日々の暮らしの中で

クチナシの花が咲きました。まだ木は小さく、たった一輪。鼻を近づけると甘い?濃い香りがします。雨が降ったりやんだりのような天気の日にはいっそう匂うのかもしれない。

最近、奈良時代の僧行基に関心が行くことがあって、井上満郎氏が地元紙で毎日連載されたコラム「渡りくるひとびと」(2021.4~2022.3)のスクラップを取り出してみた。
行基は和泉(大阪府南部)に居住した古志氏という渡来人の出身であること。
仏教の救済から取り残されていた民衆の救済にほとんど一生をささげ、架橋や救済施設の建設などに取り組んだ。行基のこうした事業の背景には、渡来人に特徴的な技術伝統があったのかもしれない ―ことを記している。

飛鳥寺の学僧だった行基は寺を飛び出し、数々の社会事業を始めた。
澤田瞳子さんの『与楽の飯』では、大仏造立にあたる庶民とともに汗する行基が描かれ、彼の蒔く仏法の種が一役を担って人物に影を落としている。81歳になった行基の呆けた姿も描写される。これはあくまでも物語。

では西山厚さんは何か書いてなかっただろうかと『語りだす奈良』のページを繰っていたら、東大寺の大仏さまの写真が現れた。


東大寺にはさまざまな障害を持つ子供たちのための施設・整肢園がある。彼らのために話をしてほしいと頼まれた西山さん。
両足をあげた状態で車椅子に固定された男の子が、大仏さまの右手の形の意味をたずねた。
右手の形は施無畏印(せむいいん)といい、畏れを取り除くポーズである。

「あれはね、だいじょうぶ、心配しなくていい、だいじょうぶ、っていっているんだよ」

西山さんはそう語りかけながら形を真似た右手を男の子の胸にそっと当ててみた。
彼はとても嬉しそうにしていたという。

何度か読み返している本なのに、どうしてこの言葉が心にとどまらなかったのだろう。
西山さんの優しさとともに、あらためて今、とてもしみじみと良い話だと心に留めおく。忘れないように、なくさないように。
行基のことは後回しになったけれど。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、心配いらないよ だいじょうぶ」
手当ですね、まさに。
何か不安に駆られる人がいたら、そっと胸に手を当てて、こうささやいてあげたいね…。

         (大仏さまの写真は2019年、娘家族と奈良を訪れたときのもの)
コメント (10)
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