京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

盆月の出遇い

2021年08月10日 | こんな本も読んでみた

特設ワゴンに平積みになっているのを見て、概容を確かめることもなく手に入れた『無暁の鈴』。

家族に疎まれ、寺に預けられた武家の庶子・行之助だったが、寺を逃げ出し、村を捨てた。そして出会った同い年の万吉と江戸に向かう。夜明けをひたすら待ち望んだ子供時代の自分と決別する思いで〈無暁〉と名乗り、13歳になっていた。
波乱万丈。19歳で八丈島へ遠島の刑を受け、22年間の島暮らしに赦免が叶うと、出羽へ向かい羽黒山で修業。その後、湯殿山での千日行から即身仏を目指すという展開に、本を閉じるのも惜しいほどの思いで読み継いだ。

貧困、飢饉、疫病、土地や身分に生涯縛られる理不尽、災害に地震、…。人の力ではどうにもならない辛い苦しみの中にも、わずかな希望を見出し、忍耐からくる粘り強さで生きるしかない人たちは、無暁の厳しい行の姿にわが身を重ねるのか。己の生にあえぐ渇きを満たす対象として帰依し、強い感謝の念を持つ。わが身を惜しむ生への執着が生まれたり、選んだ道の険しさ、深さに疲れ、迷い、心を揺らしながら、理解し、分かり合えるものがあることを無暁は感得していく。

あがき、もがき続けた人生の果てに、手には何もない。財も技も子もなすことはなかったと、醜悪ともいえる姿の即身仏と向き合い惨めな心の内をさらした。〈それでよいではないか。それがおまえのあたりまえの姿なら、それでよいではないか〉
人は様々な環境に生き、見るもの触れるものが異なれば、導き出す答えには差異がある。自分にしか出せない答えがある。「いまあるものを有難いと享受することがなければ、どんな幸甚すら輝きようがない」。

入定塚に収まった木棺の中から聞こえてくる鈴の音は、生きている証。外で聞き届ける弟子二人が打つ鈴の音。「ちりん ちりん」「ちりん ちりん」
心を通わすあたたかな出会いもあった無暁の一生が、鈴の音の響きと共に心に余韻を残した。
盆月の出遇いの一冊。
コメント (2)
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