「身体で感じることを避けるようになり、特に内的感覚を感じないようになります。自分自身のコアの感覚を忘れ、周囲の人に多くを定義づけられた視覚的、概念的世界に生きるようになるのです。キネシスは視覚に取って代わられ、感じることは失われます。」(エド・モーピン)
「動きが、しくみを決め、かたちを整える。かたちが先なんじゃない。目に見える限りの話でもない。生きてるってのは、くらがりで渦巻く、理屈をこえた衝動からはじまってる」
『第三火葬炉』いしいしんじ
三田文学123号 pic.twitter.com/qfPYkfa1PF
生命とは至るところで耐久性を使い尽し、消耗させ、消滅させる過程だ。そして、死んだ物体は(中略)一切を含む自然の巨大な円環の中に帰っていく。この円環の中では始まりもなければ終わりもなく、すべての自然物が変化もなければ死もない繰り返しの中で回転しているのである。(『人間の条件』13)
純粋に動きと動きで他者と関わるのは、日常の関わりや、今まで自分自身が考えてきたコミュニケーションとは全く違ったものと思います。コミュニケーションにはいくつもの層があるのです。
考えてやっていると、見ていてわかる。次はああしよう、こうしようと考えながらそれを隠そうとしても百パーセント、隅から隅まで伝わってしまう。だから自分のやることに責任を持って。でたらめでもいいから。
痛みや不快感に敏感になることが、変わるための第一歩だ。アドラーの言うような「勇気」より原的でな要請だと思う。嫌われる「勇気」と言われると、鈍感が要請されているような気もしてくる。むしろ逆で敏感になることが必要。敏感になって=傷つきやすくなって、さらにそれに負けないこと。
Webでも読めると知って、フジパン民話ページにやってきました。これすごいな!
minwa.fujipan.co.jp
異類婚姻譚だけでも相手が動物・植物・異界の人、と分けてあって、タイトル同じで中身の違う民話も収録されてる。ちゃんと現地の言葉で語っているのがまたすごい。
『動物にとっての世界を「環境世界」と言うなら、人間の世界の本質は「関係世界」だといえます。(略)動物の主体はいわば「身体」ですが、人間の主体は「自我」なのです。』
美醜とは人間にとってなにか
竹田青嗣インタビュー
クィア・ジャパン [魅惑のブス]特集
こんな特別な袋を使わなくても、ZIPロックに水と米を入れて茹でるとご飯が炊ける。この方式だと茹でる水が再利用できるので、災害時には便利。阪神大震災のときに教えてもらった。twitter.com/iimonochosatai…
日野市役所の封筒に印刷してあった「日本国憲法の理念を守ろう」の部分が「すみ塗り」されるようになったそうです。
これ、職員はどういう気持ちで消してるんだろうな。 pic.twitter.com/DVeU4p3KkR
これから「持てる」者が
失うという恐怖を抱えつつ汲々としていく時代になるだろうな。
もう既にそうかな。
「受け流す」という言葉は
やはり武道から来たのだろうか。
相手から向かってきた力を受け流す。
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