京医ボート部ブログ

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今日この頃の俺だぁ〜

2019-10-05 12:09:00 | 日記

こんにちは、山本恭一郎です。
今回は、9/21、22に行った岐阜の話をしようと思います。

1.登場人物

F君...中学一年生からの腐れ縁。高校2、3年の時、席が固定で近かったことから、活動範囲の非常に狭かった俺でもよく話す。いわゆる陽キャ。常に友達と一緒にいたし、まあクラスの中心の一人だと思う。結構遊んでいるように見えて、現役合格したから要領いいんだろう。学校にお菓子を持ってくるタイプ。
H君...幼稚園が一緒で、中学で再開したど腐れ縁。同じく高校2、3年の頃席が近かったので今でもちょくちょく会う。ギャーギャー騒ぐ奴。サッカー部を辞めて、帰宅部を集めて放課後にサッカーやバスケをやる強者である。サッカー部やバスケ部に勝負を挑んでコテンパンにやられる。俺も度々誘われたが断腸の思いで断った。高校の頃はサッカーしようぜしか言わないバカだったと記憶している。お菓子をギャーギャー言いながら取り合うタイプ。
M君...ばかでかい。お菓子を食べるタイプ。

2.概要
9/21(土)の朝乗艇を終え、一回生全員の沈練合格を見届ける。今年の一回生は優秀ですね。皆さん危なげなくやってのけました。悪夢を見る子は現れないのが残念ですが笑
15:00に帰宅して、16:00に岡山からはるばるF君が迎えにきました。途中Fが速度違反で捕まり、罰金18000円を取られました。Fは旅行中ずっとぐちぐち言ってましたねー。
てな感じで大きなトラブルもなく、岐阜着。岐阜在住のH君を乗せ、まずは周辺のラーメン屋で岐阜タンメンを食べました。その後、北の下呂温泉まで車を走らせます。下呂着。H君が手配してくれていた民泊に泊まり、お風呂にはいりました。その日はもう22:00を過ぎていたので、少し飲んで24:00ぐらいには寝ました。H君は部活でお疲れのようでしたが、F君はずっと運転してたくせにとても元気でした。現状の情報交換などして、また九州にいるM君とビデオ通話もしました。
次の日、朝9:00ごろに動き出し、下呂温泉にレッツゴー!日本三代名泉だけあって、風情がありました。そばに川が流れた通りには石畳が敷かれ、しだれ柳が点々と植えられています。通りにかかった垂れ幕には下呂温泉の文字。やっぱり情景描写は難しいので写真みせます。


温泉にゆっくり浸かり温まった後は、けいちゃんを食べました。岐阜のご当地料理で、鳥肉を使った野菜炒めです。温泉入ってご飯を食べ眠くなった体に鞭打ち、白川郷に向かいました。僕は後部座席で歌っていただけですが。F君ありがとう。
白川郷では、合掌造りをみて、丘に登り白川郷一帯の絶景を見て、土産屋を周りました。ボート部へのお土産の饅頭(食べてない人ごめん)も買いました。




続いて高山市に行き、商店街を巡りました。H君曰くここが若者の街だと。商店街には、タピオカ屋や飛騨牛の店、飲み屋などがあり栄えておりましたが、一歩通りを外れると昔ながらの街並みが残っており雰囲気がよろしい所でした。ここの飛騨牛握り食べたかった...






晩御飯は近くの焼肉屋に行きました。商店街で握りを食べなかったのは焼肉屋のそれを目当てにしていたんですが、メニューになかったです。食いそびれたのは一生の心残りであります。食べログの写真にはあったのに...
食べた後はもう夜遅くなっていたので、H君を家に送り届け、僕も京都に届けてもらいました。その後F君は岡山に帰りました。ついたのは深夜2時だそうです。この旅行中はF君がずっと運転していました。岐阜を行ったり来たりしていたので、それはそれは大変だったと思います。無事岡山について何よりです。もう一度、F君ありがとう。以上。

3.話の内容
今回の旅では、大学生らしいバカ話もしましたが、非常にためになるお話が多かったので、一部紹介しようと思います。

車内小話 「H君の変貌」
H君は高校時代とてもポジティブでした。放課後に遊んで、授業中に遊んで、休み時間に騒いでいました。受験のことを先生に言われても我関せずで、自信に満ち溢れていました。今年2浪を経て合格しました。僕は当時からH君は案外頭のいいやつだと思っていましたが、F君は違ったようです。今回紹介するのは、その違いが現れた面白い話です。
2浪を経て大学進学したH君は高校時代とは変わっていました。相変わらず元気でポジティブで、自信に溢れていました。しかし、所属しているサッカー部の選手とマネージャーに深い話をしてとても慕われており、人生において大切なことは何かを語り、他人の考えを聞きたがり議論したがります。サッカー部の同回生を我が子のように思い、自分がいなくなった後のことを心配して成長させてあげようとしたり、旅行の計画は全て自分立て楽しんでもらおうとし、飲み会後の片付けはみんなが寝てる間にこそっとやったりしたらしいです。一緒に旅行に行った人のライン名は、「三日間の深イイ話」でしたし、中にはHの話を聞いて涙を流した人もいたらしいです。「俺は人生を激しく生きてるから寿命は短いかもな」などと言っておりました。F君はその様子が衝撃だったようで、Hは変わったな〜、なんか悲しいな〜としきりに言っておりました。僕は高校時代からその片鱗は感じておりましたが、ここまで自分の考えを明瞭にし他者に主張できる人になっているのは驚きでした。その変化が嬉しくもありました。そのためF君の悲しいという感覚が全く理解できませんでした。

車内小話「F君と俺、H君を添えて」
今回紹介するのはH君と岐阜で別れてからの京都にF君と帰っている時の話です。
3人で会話していて、H君と俺が自分の考えの話をしている時、F君は決まって黙り込むか、F君に意見を聞いてもおふざけな回答をしておりました。普段よく喋るF君が珍しいなと感じておりましたが、この会話でその謎が解けました。
岐阜から京都に行くまでの時間はあっという間でした。F君と俺の人間的な違いを痛感して非常に興味深い時間でした。
F君...
友達は浅く広く。授業で少し話したらもう友達。友達の友達と一緒に旅行行くのも平気で、知らない人でもその場で仲良くなる。
友達との会話では、自分の考えや根幹の関わる話はしない。表面的であたり障りのない話をして、その中で面白さを重視する。面白い会話をして場を賑やかにするのを第一義にしている。一人でいるより友達といた方が好き。一人でいるとそれまでの会話を反省してしまうから嫌。
俺...
基本的に友達は狭く深く。友達のハードルは高い。自分の考えを言うのや他人の考えを知るのを面白く思う。面白さは必要だしあればいいなと思うけど、面白くするために色々考えて他者を話すことにストレスを覚え、結局あるがままでいる。友達といるのより一人でいた方が落ち着く。

この会話で面白かったのが、人間は変わるということです。岡大のスキー部は、学年の中でも中心の部活で、学年で文化祭をやるときにはスキー部が主導するらしいです。スキー部には陽キャが集まるのかと思いきやそうではないらしいです。スキー場に行く車の中で運転する先輩に話しかけるのが後輩の役目らしいんですが、上下関係が厳しくもし会話が途切れると先輩に怒られるそうです。会話が思いつかないなら事前に考えとけよ、と。そうして制度の中で話し上手になっていき、よく話す先輩が、実は一回生の時全然喋らない人であったというのがよくあると。僕は、自分が陽キャっぽく変わろうとしたときもありましたが、結局自分ではない自分を演じてストレスを感じた挙句やめることが多かったので、もはや人間の性質はそうそう変わるものではないと考えておりましたが、今回の話で価値観が大きく変わりました。以上。
もう一つ面白いのが、F君の周りには自分の考えを言う人が皆無らしいです。だからH君や俺のように議論している姿を見て戸惑ったと言っていました。逆にボート部では自分からはしなくてもそういった話を嫌がる人はいないと思うので、このような性質は、個人的なものかと思いきやコミュニティで左右されうると感じました。
以上です。
どちらが優れていてどちらが劣っているのでもなく、またF君と俺のように極端にどちらかの側に寄っているものでもないでしょう。しかし、少なからず人はどっちかに寄っています。そしてその性質はこれからの努力や環境によって揺らぐものでもあります。人間は生きる上でこのどちらの領域もレベルを上げていって素晴らしい人間に成長していくのだと思います。
慌てることなくぼちぼち意識して生きていきます。まあまずは一助になると思って勉強頑張らねば...と思う今日この頃の俺だぁ〜

ちなみにボートの話を少し
秋はシングルに乗っています。難しいですが、楽しいです。自由である以上、責任が伴います。本来の甘々な性格が出ないよう気を引き締めて、自分を高めていこうと思います。


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