新4回生の玉城です
先週の土曜日にiPhoneが壊れました。時間を確認しようと取り出して電源をつけると、画面がぼやけてそのままブラックアウト…書きかけのブログもロストしてしまいました。どうにも気づかないうちに濡らしてしまっていたようです。
一回生の青海さんもiPhoneを水没させてしまったようで、(彼女はそれだけでなく大変だったようですが、、、)今ボート部にはiPhone水没の波が来ているようです。他のiPhoneユーザーの方、お気を付けください。
さて、タイトルなんですが、エルゴCDに入っているとある曲の歌詞なんですが分かりますか?
正解はRADWIMPSの君と羊と青です。
ノリがかなり良いお気に入りの曲です。
この歌詞は
「起承転結の『転』だけを 欲張って頬張った僕らの日々よ『結』することなどのない日々を 」
と続くのですが、ふと疑問に思いました。6年間や4年間の学生の日々で、「『結』すること」なんてそうそうあるのかと。四コマ漫画みたいに終わりがつくことなんてなくて、何があろうとだらだらと続くのではないかと。
『転』により状況が変わると、その環境からもう一度スタートことになる。このことを考えると『転』は『結』への途中経過ではなく、新たな『起』を生み出す場所といったほうが適切なのかもしれない。
抽象的な話になりましたが、僕らにとって一番の具体例であるボートに当てはめて考えてみましょう。ボートだと『転』に当てはまるのはブレイクスルーの時でしょうか。ある日の練習で、ふと新しい感覚が芽生える時がある。その感覚を皆で共有できたとき、クルーのレベルが一段階上がり、そこを新たな『起』としてさらなる練習に励むことになります。『転』だけを 欲張って頬張れるなら、それに越したことはないし、その状態を目指し続けるのですが、なかなかそうも行きません。
とすれば、普段の練習は何になるのでしょうか。僕は『承』ではないかと思います。いつか来る『転』を呼び込むため、逃さないために最大限の努力をし続ける、そんな『転』と『転』をつなげる日々が『承』ではないでしょうか。
地味でパッとせず、自分たちに疑問を感じる時かもしれませんが、『承』がなければ『転』には至りません。
そんなわけで僕たちは今日も明日も起承転結の『承』を積み重ねます。『転』を頬張るために。そして西医体の決勝で最高の『結』果を得るために。