不遜でありたい。
それは、一ヶ月前の七夕で、僕が心の中に掛けた短冊である。
不遜という言葉が良い意味で使われることは多くないけれど、それは日本人の文化的な土壌に限った話ではないだろうか。その時の僕にとって、その言葉はある種「調子に乗る」だとか「自信をもて!」とかいうような、自分に対する激励の意味もあった。
とりわけレースのような競争において、それは必ずしも悪い意味ではないように思う。
いわゆるアドレナリンドバドバってやつだ。
実際、艇をグイグイ進めていたり、他艇と水をあけていく時なんかは心が昂ぶってくるものだろう。湧き上がってきた心のエネルギーによって、思いもよらないパワーが出ることはある。
それも含めて戦略だ。
言葉の使い方として適切かは分からないけれど、そんな心を僕も持とうと思いながら練習をしてきた。
3ヶ月前、ダブルを組むことになり、スカル経験の浅さをはじめとする多くの不安はあった。
ときに上回生に頼ったりしながらも、乗艇ごとに2人で漕ぎを積み重ねた。
まだまだブレードワークだとか、もっと脚からいけるだとか、伸びる余地はあるけれど、色んな面で確かな成長は感じている。ここまで来たらこの3ヶ月を信じてやりきるしかない。
日々の練習、艇の整備、合宿所の掃除、食事、お風呂、歯みがき、爪切り、些細な動作さえ「祈り」のように。
いま僕にできることはそれだけだろう。
明日は熊本。
僕の中にあるイメージは、勝利。
それしかない。
三回生 西崎
それは、一ヶ月前の七夕で、僕が心の中に掛けた短冊である。
不遜という言葉が良い意味で使われることは多くないけれど、それは日本人の文化的な土壌に限った話ではないだろうか。その時の僕にとって、その言葉はある種「調子に乗る」だとか「自信をもて!」とかいうような、自分に対する激励の意味もあった。
とりわけレースのような競争において、それは必ずしも悪い意味ではないように思う。
いわゆるアドレナリンドバドバってやつだ。
実際、艇をグイグイ進めていたり、他艇と水をあけていく時なんかは心が昂ぶってくるものだろう。湧き上がってきた心のエネルギーによって、思いもよらないパワーが出ることはある。
それも含めて戦略だ。
言葉の使い方として適切かは分からないけれど、そんな心を僕も持とうと思いながら練習をしてきた。
3ヶ月前、ダブルを組むことになり、スカル経験の浅さをはじめとする多くの不安はあった。
ときに上回生に頼ったりしながらも、乗艇ごとに2人で漕ぎを積み重ねた。
まだまだブレードワークだとか、もっと脚からいけるだとか、伸びる余地はあるけれど、色んな面で確かな成長は感じている。ここまで来たらこの3ヶ月を信じてやりきるしかない。
日々の練習、艇の整備、合宿所の掃除、食事、お風呂、歯みがき、爪切り、些細な動作さえ「祈り」のように。
いま僕にできることはそれだけだろう。
明日は熊本。
僕の中にあるイメージは、勝利。
それしかない。
三回生 西崎