11月26日、麻酔から覚めた時拘束された状態。
まだ宵の内はうつらうつら…
夜中に理不尽な状況に置かれていることに看護士さんに
「いつまでこうしているんですか!」と怒っていた。
朝の採血を心配していたけど、別の若い看護師さんが明るく
「さあ、ちょっとチクッとするかもしれませんけど…」と話しかけながら遣るとスムーズに終わった。
がん細胞で胆管が詰り胆汁が流れない状態を改善するためにステントを入れ胆管を広げ
口から入れたチューブを通して汚れた胆汁を排泄するよう薬液を入れて洗う事を繰り返した。
12月に入り、1週間ほどしてからチューブは付けたままだったけど、
目を離さないと自分に言い聞かせ私が居る間の日中は拘束を解いた。
次第に一方向ばかりではあちこち痛くなり始めていたし思い出したように
「どうして私がこんな目に合わないといけないの。そんなに悪いことしたの。」と喚きだす。
「悪いのは○○たち…」と他の人を罵る。
「悪い事をしたから病気になったんじゃないよ。」と言っても受け付けない。
元々オムツはしていなかったので慣れない排尿・排便に自由にならない苛立ちで狂う。
「今は動けないから我慢してオムツにしてね。」と言っても
「どうしてこんな所でしないといけないの。」の繰り返し。
「もう何も食べない。何も飲まない。」
「ベッドから落ちて骨折でもしたら、今よりもっと長く何ヶ月も入院する羽目になるよ。」
それをおしっこをしたくなるたびに繰り返す。
トイレ・バス付きの個室だったけど看護士さんに
「便だけでもトイレでさせてあげてください。」
と申し出て車いすで車いす用トイレに連れて行って頂いた。
「便の時だけだよ。看護師さんも大変なんだからね。」と言うと
「本当に大変だね~」と素直に言う。
やはり痴呆のせいでおしっこをしたくなるとまた同じことの繰り返し…
自分の体が思うようにならず苛立つ。
見ていて切なくなる。
5日、レントゲンを撮り、胆汁が流れていることを確認してチューブが取れた。
この日は兄が一人泊り。
これで眠れる!と思ったけど…ゴソゴソして眠れなかったと。
ベッドから降りてトイレに行こうとする。
「まだ下りて良いって許可が出ないからオムツにしてね。」
降りてはいけないと言っても聞き分けが無い。
6日、夫が「一人で泊まるからイイよ」と言ったけど前日の様子では無理。
私と夫、交代で寝ることにした。
一日でも早く下りれるようにと足の筋肉を鍛えようと
兄と交代で足を上げたり降ろしたりさせるけど2~3回やると止める。
長く寝ていたので足が立たない。
ベッドに寝そべったままで食事を口に運んでいたのを
「腰かけて食べようね。その方が背筋も鍛えられるよ。」
とベッドに腰かけさせ、次は椅子に腰かけさせ…
徐々に起きている時間を長くして。
ベッドから車いすに移るのも支えられて移る状態。
「9日に血液検査とCT検査をして良かったら週末には退院できるでしょう」との事で
このままじゃ帰って来てもどうにもならない。
お風呂にも入れられない。
ケアマネさんに来て頂いてポータブルトイレの手配や
デイサービスだけでなくショートステイを組み込んで頂けるよう頼んだ。
やはり自分で歩けるようになるのが一番。
病院内を許可を頂いて歩く練習。
数回の車いす移動の時、徐々に自分で移れるようになっていたので意外と早く歩けるようになった。
腰が曲がっていないのでそれも関係しているのかも…
これだと今までの生活に戻れそうとポータブルトイレは断った。
9日の内視鏡検査でがん細胞が十二指腸まで広がっていることが判った。
前の検査で
「ステントは網目状になっているのでその中にがん細胞がはみ出してきている。
次の内視鏡検査の時に今入っているステントの内側にもう一つステントを入れましょう。」
と仰っていたけど、どうなったのかは訊かなかった。
今後、十二指腸のガン細胞で食事が通らなくなり戻すようになる。
胆管がまた詰まるのとどちらが早いかは判らないけど…
26日に血液検査に出かけ、退院後1ヵ月経った頃にCT検査をする。
急激に黄疸が出た時は先月と同じ状態になるだろう。
昨日、退院祝いの席で
「今度入院ってことになったらもう駄目だろうね~」と母。
誰も聴いて聴かぬふり…
まだ宵の内はうつらうつら…
夜中に理不尽な状況に置かれていることに看護士さんに
「いつまでこうしているんですか!」と怒っていた。
朝の採血を心配していたけど、別の若い看護師さんが明るく
「さあ、ちょっとチクッとするかもしれませんけど…」と話しかけながら遣るとスムーズに終わった。
がん細胞で胆管が詰り胆汁が流れない状態を改善するためにステントを入れ胆管を広げ
口から入れたチューブを通して汚れた胆汁を排泄するよう薬液を入れて洗う事を繰り返した。
12月に入り、1週間ほどしてからチューブは付けたままだったけど、
目を離さないと自分に言い聞かせ私が居る間の日中は拘束を解いた。
次第に一方向ばかりではあちこち痛くなり始めていたし思い出したように
「どうして私がこんな目に合わないといけないの。そんなに悪いことしたの。」と喚きだす。
「悪いのは○○たち…」と他の人を罵る。
「悪い事をしたから病気になったんじゃないよ。」と言っても受け付けない。
元々オムツはしていなかったので慣れない排尿・排便に自由にならない苛立ちで狂う。
「今は動けないから我慢してオムツにしてね。」と言っても
「どうしてこんな所でしないといけないの。」の繰り返し。
「もう何も食べない。何も飲まない。」
「ベッドから落ちて骨折でもしたら、今よりもっと長く何ヶ月も入院する羽目になるよ。」
それをおしっこをしたくなるたびに繰り返す。
トイレ・バス付きの個室だったけど看護士さんに
「便だけでもトイレでさせてあげてください。」
と申し出て車いすで車いす用トイレに連れて行って頂いた。
「便の時だけだよ。看護師さんも大変なんだからね。」と言うと
「本当に大変だね~」と素直に言う。
やはり痴呆のせいでおしっこをしたくなるとまた同じことの繰り返し…
自分の体が思うようにならず苛立つ。
見ていて切なくなる。
5日、レントゲンを撮り、胆汁が流れていることを確認してチューブが取れた。
この日は兄が一人泊り。
これで眠れる!と思ったけど…ゴソゴソして眠れなかったと。
ベッドから降りてトイレに行こうとする。
「まだ下りて良いって許可が出ないからオムツにしてね。」
降りてはいけないと言っても聞き分けが無い。
6日、夫が「一人で泊まるからイイよ」と言ったけど前日の様子では無理。
私と夫、交代で寝ることにした。
一日でも早く下りれるようにと足の筋肉を鍛えようと
兄と交代で足を上げたり降ろしたりさせるけど2~3回やると止める。
長く寝ていたので足が立たない。
ベッドに寝そべったままで食事を口に運んでいたのを
「腰かけて食べようね。その方が背筋も鍛えられるよ。」
とベッドに腰かけさせ、次は椅子に腰かけさせ…
徐々に起きている時間を長くして。
ベッドから車いすに移るのも支えられて移る状態。
「9日に血液検査とCT検査をして良かったら週末には退院できるでしょう」との事で
このままじゃ帰って来てもどうにもならない。
お風呂にも入れられない。
ケアマネさんに来て頂いてポータブルトイレの手配や
デイサービスだけでなくショートステイを組み込んで頂けるよう頼んだ。
やはり自分で歩けるようになるのが一番。
病院内を許可を頂いて歩く練習。
数回の車いす移動の時、徐々に自分で移れるようになっていたので意外と早く歩けるようになった。
腰が曲がっていないのでそれも関係しているのかも…
これだと今までの生活に戻れそうとポータブルトイレは断った。
9日の内視鏡検査でがん細胞が十二指腸まで広がっていることが判った。
前の検査で
「ステントは網目状になっているのでその中にがん細胞がはみ出してきている。
次の内視鏡検査の時に今入っているステントの内側にもう一つステントを入れましょう。」
と仰っていたけど、どうなったのかは訊かなかった。
今後、十二指腸のガン細胞で食事が通らなくなり戻すようになる。
胆管がまた詰まるのとどちらが早いかは判らないけど…
26日に血液検査に出かけ、退院後1ヵ月経った頃にCT検査をする。
急激に黄疸が出た時は先月と同じ状態になるだろう。
昨日、退院祝いの席で
「今度入院ってことになったらもう駄目だろうね~」と母。
誰も聴いて聴かぬふり…
お袋の時の事思い出して色々と思い出しちゃったよ。
お大事に。
お疲れ様でした。
くーちゃんの報告を読んで大変さを実感します。
歳を重ねての病院で一番家族として辛いのは、手足の拘束だと思います。
昔、実家の父親も最後の入院の時は、夜に拘束と知らされ辛い日々でした。
ご家族の皆さまの心労、お察しします。
どうぞお大事になさってください。
慣れって、怖いですね今では「それが普通」になっている。
お母さんも、く~ちゃんたち身内の方に感謝していると思うよ。
それしか言葉が見つかりません・・・
周りの方も体調を崩さない様に気をつけて下さい。
お大事にして下さい。
でも一先ずは元気になって帰宅できました。
ありがとうございます。
余りあくせくすることなく過ごしています
自由にならないことで苛立ちも酷かったし…
4人で協力して乗り切りました。
お蔭様で顔色も好くなって退院できよかったです。
母も髪を引きちぎらんばかりに掴んで泣いていましたから…
あまり覚えていないかもしれないですが・・