最近の談話分析のクラスで、「生徒の作文をどのように評価するか」というトピックがあり、それぞれが英作文担当の教授にインタビューしてくることになりました。なるべく客観的、そして公平な評価が出来るようにと、ほとんどの教授がルーブリック(評価表)を使っています。
例えば、
内容。。。20%
構成。。。20%
文体。。。20%
思考の流れ。。。20%
文法・スペリング・句読点。。。20%
こんなのをもとに点をつけているわけです。(教授によって色々違うけど)
でもあるクラスメイト曰く、「私は今学期、フレッシュマン・コンプ(大学一年生必須の作文クラス)教えていて思うんだけど、こういう評価表によれば100%取れる作文でも、いい作文とは言えない、なにも惹かれるものがない文章ってあるよね。」あるあるある!すると教授も、「そうなのよね、だから私はSox Effect (靴下効果)という項目も設けて3%あげていたわ。」「何ですか、そのSox Effect って?」と私。「あら、それは英語のイディオムで、なにかがあんまり素晴らしくて驚く時、『靴下が飛んでいく』(knocks my socks off) と表現するのよ。」はぁ~、靴下ポーン!点ですか...でも全ての書き手が、全ての作品で、全ての読み手の靴下をぶっ飛ばせるものを生み出せるわけじゃないし、難しくありません?読み手の好みもあるし、かなり主観的な評価になっちゃうし。だから3%なのかな?
そこで、先週も引用させてもらった内田先生のブログ(最近、ハマってます)の話を思い出しました。そこに、村上春樹x柴田元幸の雑誌の対談の一部が載っていたので、またまた引用させて頂きます。村上氏、物語についてこう語ります。
「極端なことを言ってしまえば、小説にとって意味性というのは、そんなに重要なものじゃないんですよ。大事なのは、意味性と意味性がどのように呼応し合うかということなんです。音楽でいう「倍音」みたいなもので、その倍音は人間の耳には聞き取れないだけれど、何倍音までそこに込められているかということは、音楽の深さにとってものすごく大事なことなんです。
温泉のお湯につかっていると身体が温まりやすいのと同じで、倍音の込められている音というのは身体に残るんです。フィジカルに。でも、それがなぜ残るかというのを言葉で説明するのはほとんど不可能に近いんです。それが物語という機能の特徴なんですよね。すぐれた物語というのは、人の心に入り込んできて、そこにしっかりと残るんだけど、それがすぐれていない物語と機能的に、構造的にどう違うのかというのは、ちょっと言葉では説明できない。」
この話をクラスでさせてもらったら、みんな納得している風でした。(ありがとう村上さん!)教授は「その作家はうまいことを言ったものね。理論的に説明できない時、人はたとえを使うのよねぇ。」と言っていました。それからこの授業の後も、私はしばらくこの「温泉効果」について考えていました。物語に限らず、「本物」と呼ばれるものには言葉では説明できない何か、があって、人の心に残る暖かさや振動があるのでは?それは絵画や音楽などの芸術作品であったり、ある体験や人間や思想であったりするのかも。もしそうならば、私の今までの人生は温泉効果のある作品や、人との出会いや、体験や、教えに恵まれていたな。感謝ですね。温泉につかるだけじゃなく温泉の源泉を心に持って、温泉効果のある人生を送りたいものです。靴下だけではなく服もふっ飛ばして、温泉を楽しんで頂けるような...(おいおい)
例えば、
内容。。。20%
構成。。。20%
文体。。。20%
思考の流れ。。。20%
文法・スペリング・句読点。。。20%
こんなのをもとに点をつけているわけです。(教授によって色々違うけど)
でもあるクラスメイト曰く、「私は今学期、フレッシュマン・コンプ(大学一年生必須の作文クラス)教えていて思うんだけど、こういう評価表によれば100%取れる作文でも、いい作文とは言えない、なにも惹かれるものがない文章ってあるよね。」あるあるある!すると教授も、「そうなのよね、だから私はSox Effect (靴下効果)という項目も設けて3%あげていたわ。」「何ですか、そのSox Effect って?」と私。「あら、それは英語のイディオムで、なにかがあんまり素晴らしくて驚く時、『靴下が飛んでいく』(knocks my socks off) と表現するのよ。」はぁ~、靴下ポーン!点ですか...でも全ての書き手が、全ての作品で、全ての読み手の靴下をぶっ飛ばせるものを生み出せるわけじゃないし、難しくありません?読み手の好みもあるし、かなり主観的な評価になっちゃうし。だから3%なのかな?
そこで、先週も引用させてもらった内田先生のブログ(最近、ハマってます)の話を思い出しました。そこに、村上春樹x柴田元幸の雑誌の対談の一部が載っていたので、またまた引用させて頂きます。村上氏、物語についてこう語ります。
「極端なことを言ってしまえば、小説にとって意味性というのは、そんなに重要なものじゃないんですよ。大事なのは、意味性と意味性がどのように呼応し合うかということなんです。音楽でいう「倍音」みたいなもので、その倍音は人間の耳には聞き取れないだけれど、何倍音までそこに込められているかということは、音楽の深さにとってものすごく大事なことなんです。
温泉のお湯につかっていると身体が温まりやすいのと同じで、倍音の込められている音というのは身体に残るんです。フィジカルに。でも、それがなぜ残るかというのを言葉で説明するのはほとんど不可能に近いんです。それが物語という機能の特徴なんですよね。すぐれた物語というのは、人の心に入り込んできて、そこにしっかりと残るんだけど、それがすぐれていない物語と機能的に、構造的にどう違うのかというのは、ちょっと言葉では説明できない。」
この話をクラスでさせてもらったら、みんな納得している風でした。(ありがとう村上さん!)教授は「その作家はうまいことを言ったものね。理論的に説明できない時、人はたとえを使うのよねぇ。」と言っていました。それからこの授業の後も、私はしばらくこの「温泉効果」について考えていました。物語に限らず、「本物」と呼ばれるものには言葉では説明できない何か、があって、人の心に残る暖かさや振動があるのでは?それは絵画や音楽などの芸術作品であったり、ある体験や人間や思想であったりするのかも。もしそうならば、私の今までの人生は温泉効果のある作品や、人との出会いや、体験や、教えに恵まれていたな。感謝ですね。温泉につかるだけじゃなく温泉の源泉を心に持って、温泉効果のある人生を送りたいものです。靴下だけではなく服もふっ飛ばして、温泉を楽しんで頂けるような...(おいおい)
このブログ面白いですよね。私は日本の社会について超疎いので勉強になります!
めぐんちゃん、
翻訳にも同じことが言えますねぇ。聖書ほど沢山の訳がある本ってあるんだろうか。。。次の葉には翻訳について書こうかな。ネタありがと!
翻訳でもある意味ルーブリックが通じないとこあるよね。意味を完璧に訳して、文法も流れもスムーズにまとめられていても、なんだか心に残らない。原文の魅力が伝わらないことがある。
ふと思ったけど、聖書ってとんでもなく翻訳が難しい書物かもね。
I checked 内田先生のブログ.
It is very very interesting.
Thank you
Ryo