言の葉ひらひら - Wordy Leaves Dancing

「はじめに言葉があった」
"In the beginning was the Word."

ごちそう

2011-02-15 | 詩の葉
最近、私はある友人の厚意に感動しました。そして思ったのです。どうしたら、こんな風に人を思いやれるんだろう。こんな風に愛せるんだろう。その秘訣を知りたいなぁ、と。しかし、秘訣を教わったからとて、それをそのまま真似る愛、人のやり方をなぞる愛は、本物ではないかもしれない。…それで、こんな詩を書きました。

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ごちそう


ごちそうさま。

おそまつさま。

いえいえ、
本当にごちそうでした。
私もつくりたいです、
こんなごちそう。

ええ、
つくれますよ、
あなたにも。

そうですか、
では、レシピを
教えてください。

レシピをあげるのは
簡単です。
でも、
それでは
本物のごちそうにはなりません。

では、
どうすればよいのですか。

よく味わうのです。
そして、
その味が生まれた過程を
想像してごらんなさい。
そして、
自分なりに
つくってみるのです。

同じ味が
できるでしょうか。

たくさんの
ごちそうを味わいなさい。
そうして
出会った味に
恩返しができるよう、
周りの人に
その味をお広めなさい。
そうして
広がるごちそうの波紋の中で、
味はますます磨かれ、
深まっていくのです。

本当に、ごちそうさまでした。

いえ、どういたしまして。

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私の尊敬するクリスチャンに、はちこさんという素敵な女性がいるのですが、この詩を書いた後に彼女のブログに書いてあったレシピのメタファーを思い出しました。(ってことは、この詩はパクリ?)「レシピ」とは神様の愛の原則で、「パン」とはその愛が体現されたもの。でも、「私たちはしばしばお腹をすかせた人に、パンを与えるかわりにレシピを与えてしまうことがあります。」(by ケン・ガイア「魂の窓」←この本オススメ!)レシピじゃ腹は満たせないよ、ってことですよね。「私たち一人ひとりが、レシピではなくパンを、この世に提供できる者となれますように。この生身の身体を用いて、キリストを体現することができますように。」というはちこさんの言葉に、アーメンです!

さて、かの向田邦子さんは、味を覚えて再現することが得意だったそうです。「名人上手の創った味を覚え、盗み、記憶して、忘れないうちに自分で再現して見る-これが私の料理のお稽古なのです。」とエッセイ「眠る盃」に書かれていました。なんでも、右手を右のこめかみに当て目を閉じて精神集中すると、全神経がビー玉ほどの大きさになって右目の奥にスウッと集まった感じになる―そこで「この味は覚えたぞ」ということになるのだとか!私の場合、気がついたらお皿が空っぽになっているので(あれ?)、まずはじっくりと味を堪能する訓練が必要なようですが。

なんかね、「てっとり早くレシピくれよ!」って思うこともありますけどね。つまり、いい授業案とか、恋愛テクとか、伝道法とか。単なるレシピ集めに夢中になったり。それでやった気になってる。でも結局、自分で「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤しながらパン焼いて、「ごちそうさま!」な笑顔を少しずつ増やしていくのが本物なんだろうな。

ちなみに私は、実際にキッチンではレシピを使わず、アバウトに料理する派です。同じ料理は二度と出来ない。だから、パンやお菓子がまともに焼けたことがありません。レシピも大事!?


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2 コメント

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口に合った味 (kuriks)
2011-02-28 11:24:36
まめに読んでくださり、コメントまで下さって嬉しいです!ギリシャ料理、いいですよね。昔、私の同僚でギリシャ人の日本語の先生がいたでしょう、彼女のギリシャ料理おいしかったな~。

同じ味でなくても、満足のできる「自分たちの口にあった味」が見つかるんですよね。修行してきます!
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Unknown (エリカ)
2011-02-26 12:06:41
くりちゃん、

なかなか感心する内容でした。 イギリス時代によく寮で、ギリシャ人の友達と鶏肉とごはんのスープを作ったものでした。彼女のお母さんがよく作っていたらしいのですが、なかなか同じ味にはなりませんでしたね。でも、そのうち、自分たちの口にあった味が出来上がり、満足したのを覚えています。あじつけは、塩とレモン汁だけなんですけどね、なかなかむずかしかったなあ。
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