蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

槍の穂先へ Part1

2009年08月05日 | トレッキング
おそらく登頂出来ないだろうけど、憧れの山だった「槍ケ岳」
2007年7月初めて常念岳の曇天に見えた槍


2008年年7月燕岳ではコマクサのはるか彼方に望めた槍


桜の頃、東山の光城山頂上から見えた穂先・・・と思い出がある

チャンス到来!標高3180メートルを総勢16名(青少年2名、男性8名、女性6名)で目指す

終わってみればこんな行程だった 

所要時間は小休憩(5分)・大休憩(10分)・ランチタイムを含む

8月1日上高地から出発
いきなりテントショップが。国定公園の観光地にこの自由さは西洋人の発想ならでは・・・・

絵画の小品などがあったが、ところでこれってOK?

横尾まではなだらかな道をハイキング気分で歩く  
地質に詳しいMさんから
この道は花崗岩が風化し砕けた細かい砂利道であり、山側にある大きな岩と同じだと言われても信じられない。
そして
およそ176万年前の花崗岩だそうで、向い側にある「W・ウエストン碑」を埋め込んだ花崗岩が、
一番新しい花崗岩であることが、後の調査で分かったと歩きながら話を聞く。

ランチを摂った横尾は涸沢方面と槍方面への分岐点のため大混雑。

橋を渡って涸沢方面へ6割対槍方面へ4割だそうだ。最近は韓国での『槍ケ岳人気』が非常に高いという。
上高地から11キロ、槍ケ岳まで11キロ・・・・やれやれ平地と高山

とうとう雨具の出番となり、ひたすら岩の上を滑らないよう歩き続ける。
石の配置が密で高さが比較的小さいので、短足の私には嬉しい。

青少年登山と名打った槍ケ岳登山なので、初日の山荘到着は2時半頃と、ゆったりしていた。
左:槍澤ロッヂ。改築しても表札は当時のものを掛けているのだろうか
右:明日と明後日の天気予報掲示板。うわっ!絶望的

雨具や衣服を乾燥する部室は満艦飾だ

講座・ミーティングのあとはいつもの車座宴会、17時の夕食と続く。
20時半には消灯。なんもすることないのでふとんにもぐり込むと、バタンキューだった。宿泊者は多いと思ったが、ひとつの布団でゆっくり寝られた。
明け方3時頃か、雨音に目覚め窓に稲光が映る。もう出発準備のパーティの作業音が聞こえる。

さあ我らも出発準備。充実の朝食にみそ汁は必ず2杯飲むべし!。この塩分が登山にいいらしい。
梓川の轟音水流を覗く。7月の降雨量は半端じゃなかった

一瞬樹間に槍ケ岳が顔を出す


2日目は急登コースにつき、気を引き締める。高山病は体調次第では3000メートル以下でも起きるからだ。
きつかった。
グリーンベルト(ハイマツの樹林帯)・東鎌尾根付近は風が冷たく体温を奪われるから1枚を増着。
東鎌尾根は燕岳方面からの表銀座コース尾根で、少しでも体験をと組まれた行程だった。晴天なら絶景なのにと残念がる。

雪渓をいくつか通過


女性の一人がふくらはぎと太腿をつったが、早い通告と的確な処置でまもなく収まった。

2日目のランチを殺生小屋にて。
槍沢ロッヂで調達のばら寿司に、うどんを仲間と半分づつ頂き心と体を暖める。
しこしこの手打ちうどん風だ。
「殺生小屋」の命名由来を調べたが、未だ判明せず。山は猟師の聖域だったから供養だったのかな?


急登箇所をクリアし、ほどなく2泊目の槍ケ岳山荘へ12時半頃だったかに到着
やれやれと嬉しくて疲れて山荘の写真を撮り忘れていたことに今気づく。

当初の予定は山荘到着後穂先へアタックだったが、天候不良にギリギリまで思案。
理事長先生やサポート・スタッフやベテラン・メンバーで協議の上、よっしゃ明日早朝に登ろう・・・に決定。

夕焼けがほのかに窓に映り、それっと飛び出す


余談
北アルプスには”やり三本”
①槍ケ岳3180メートル・・・・・ただいま挑戦中
②鹿島槍ケ岳2889メートル・・・2008年8月4日登頂
③白馬鑓ケ岳2903メートル・・・ムムム
コメント (4)
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