ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

「こうでなくては」から「なんでもあり」へ。

2012-03-26 18:05:58 | 日常
先日、とても心に響くエッセイを読みました。
書いたのは医師をされている小笠原望先生。
日々の診療の中で感じられることを、優しい言葉で綴られたエッセイで
~「こうでなくては」から「なんでもあり」へ~
というタイトルでした。

「こうでなければならない」という硬い心は苦しい。
何でもきちんとしようとすると、いくら時間があっても足りないし
気持ちが自分を縛ってしまう。
自分もかつては、きちんとしていたが、臨床の現場に出て
命に絶対はないことを繰り返し見せ付けられた。
あいまいさ、あやふやさを認めて、
「なんでもあり」という気持ちでないと臨床医は務まらない。
「まぁこれくらいでいいか」の程よいいい加減さと
「なんでもこい」の覚悟が身についてきた。
「そうかもしれませんね」と他人の言葉を自分の心の中に入れられるといい。
「それもいいですね」と自分以外の感じ方、考え方を一度は認めるといい。
肩の力を抜いて、柔らかい心になりませんか。

こんなエッセイだ。

私が好きなのは、単純に心をほぐすために自分に甘くなろう、
と言ってはいないところです。
程よいいい加減さと同時に必要な「なんでもこい」の覚悟。
「なんでもこい」は難しい。
知ったものしか、現れては欲しくない。
でも、現実は想像以上に、小説以上に、起こり得ないことが起こってしまう。
勿論、そんな時は慌てふためく訳だけれど
心の何処かで「ま、こんなこともあるさ」という覚悟があれば
心の持ち様は随分と違うのではないでしょうか。
そうして、同じように慌てる誰かに対して、
少しだけ優しくなれたりするのではないでしょうか。
でもギリギリの心では、そんな覚悟はなかなか持てません。
目の前のことで必死すぎるから。
ある意味、自分の力の限界を知った大人だからこそ持てるものなのかもしれません。

そして、もう一つ。
「そうかもしれませんね」「それもいいですね」
と自分以外の考えや感じ方を認めよう、という部分も好きです。
私以外を認めない、という考えは鉄壁の守りに自信がある時は
本当に気持ちがいいものです。
自分は絶対で、その他を見下す心地よさ。
けれど、そんな完璧な守りはいつしか疲れが出てきます。
これで大丈夫か?と不安や疑いが出てきます。
へぇ~こんな風に感じる人もいるんだ、と守りを緩め風通しをよくすると
何となく心が軽くなる不思議さ。
相手を認め、自分を認めてもらい、そこにいいコミュニケーションがあれば
心の柔らかさを保つことができるのでしょう。

このエッセイがすんなり私に届いたのは
今、正に、私がこうなりたい、と思っているからでしょう。
息子に対しても、自分のこれからに対しても
程よいいい加減さと共に、「なんでもこい」という覚悟を持ちたいと強く思います。
この先何があるか、なんてわからない。
何があっても大丈夫なように準備して準備して努力して完璧を目指して生きてきた私だから
現実なんて、何があるのか本当にわからない、
ということだけはわかります。
勿論、思い返せば、原因があっての現在な訳だけれど
その準備や完璧さに落ち度があったことは、全く気がつかなかったのです。
自分では完璧なつもりだったけれど、
あくまで「つもり」であって、完璧ではなかったということです。
硬い心は、大切なことを見失わせていたのです。

完璧さを求めているときは、当然、自分が正しいと信じていました。
誰の意見も求めなかったし、多分認めていなかったのでしょう。
もしも私が柔軟な心でいて、子どもたちの感じ方を一人ひとり認めていれば
多分、今の現実は随分と違うものだったでしょう。
それは大きな後悔ですが、立ち止まってばかりもいられません。
遅くなりましたが、気がついた時から始めればよいのです。
「なんでもあり」が人生なんですから。
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