ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

「チェンジリング」

2009-03-04 22:03:00 | 映画
映画「チェンジリング」を観た。(ネタばれあります)
2時間を越す映画だが、全く時間を感じさせなかった。
少年とシングルマザーの親子。
母は少年を慈しんで育てながらも
仕事を持つ働く女性でもあったから
突然の仕事の依頼にも心を残しながら出勤をする。
それが最後の別れになるとも思わずに。
1928年のアメリカでも、働く母親は大変だったんだなと思う。
近所の人に見回りにきてもらうくらいが、精一杯で
やはり子供を預ける場所もなかったのがよくわかる。
そうして、少年は忽然と姿を消す。
警察に電話をすると、行方不明から24時間以内は
捜索しない方針と言われ、呆然とする母親。
この対応にはびっくりした。
この時代だから、こういう対応なのか。
それとも今での警察ってこんな感じなのか。
5ヶ月が過ぎ、少年が発見されるのだが。
現れた子供はわが子とは顔も違い、身長まで低い!
絶対に違う!
ところが。
ここでも驚くのだが、警察がこの訴えに取り合わないのだ。
何故なら、ミスを認めたくないから。
警察と繋がる市長は選挙に落ちたくないから。
えっ。そんな理由??
で。ここから、彼女の闘いが始まる。

彼女の心の悲しみを思うと、言葉がない。
違う子供を押し付け一件落着と取り合わない警察。
目の前には違う子供。
時間は流れる。
その間も警察は何もしてはくれない。
その焦燥感はいかばかりであったろう。
何もできない焦り、怒り、無力感。
え、これほどまでの仕打ちをと思うほどの苦しみを
彼女は体験させられる。
それでも、子供を捜すという信念は曲げない強さ。

全く関係がない、と思われた事件から物語は急展開し始める。
子供を大量に誘拐し殺害していた男が捕まるのだ。
誘拐された子供の中にわが子がいた可能性もある。
果たして殺されたのか。
けれど逃げたという証言も出てくる。
果たして。

衝撃だったのは、殺害犯が絞首刑になる場面。
これは事実が基になった映画というから、
この場面も当時は当たり前だったのだろう。
絞首刑に結構多くの人が立ち会うのだ。
彼女も彼女と同様に行方不明の子供を持つ親も。
悪態をつきながら13階段を犯人が昇り
そうして頭に頭巾を被せられて首に縄がかかる。
瞬間、足元の板が開き人々の前で犯人は吊るされて揺れ動く。
これは死刑を見る義務なのか、見届ける権利なのか。
野蛮だとも思うし、
ちょっと前までの人達の方が死も生も身近に感じようとしていたのかもしれない。
まぁ私にはすごい衝撃だった訳だけど
彼女はこんな場面も乗り越えて息子を探し続けるのだ。
その葛藤を思うと胸が痛む。

息子は逃げた、という証言を聞いて彼女は言う。
「これで希望ができた」
強い。
そう、強いのだ。
怒りも焦りも葛藤も抱え込み、
それでも生きるために日々の仕事もこなし、
小さな事で自分を鼓舞し丁寧に日常を生きながら
決して希望は捨てない。
憧れるけれど、到底足元にも及ばない自分に凹む。
どうやったらその強さは手に入るの?
それが人間性というヤツ?
そうなんだろうなぁ。
ただ、そんな女性が現実に存在したという事実は
少しだけ私を励ましてくれた。

余談だけど、アンジーは本当に唇が目立つ。
とくに今回は真っ赤な口紅が印象的。
強い女性の暗示?だったのか。
なかなか日本人にはない唇だと実感。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 年をとったな。 | トップ | 久々に。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画」カテゴリの最新記事