JR中央線国立駅南口から徒歩15分、府中駅行きバスで5分、大学寮前下車したあたりから始まる延長200mぐらいのややゆるやかな坂です。私の家と娘の自宅がちょうど坂下の国立市、娘の自宅が坂上の国分寺市にあるのでときどき利用しますが自転車を降りて登ると息が切れます。右の坂の上からの写真は正面に一橋大学のレンガ色の校舎と木々の緑が見渡せます。名前の由来は、大正時代末に国立の学園都市開発の際、国電が国分寺駅で折り返し運転のため国立駅と国分寺駅方面をつなぐ道路をつくるために段丘を切り開いてできた坂で一橋大学の学生が「たまらん、たまらん」と言ったとか大八車やリヤカーを引く人が「こんな坂いやだ、たまらん」と言ったとか諸説があります。
テレビを見終わってから坂に行ってみました。ファンの方は見かけませんでしたが命日には全国からファンが集まります。 私のような年配者はロック歌手の先入観で語ってしまいがちですがインタビューを聞いていると彼の歌に励まされ、助けられた大勢のファンがいます。忌野清志郎が20年代半ばにこの坂の界隈に下宿していたことを彼が作詞作曲した「多摩蘭坂」の歌詞で「この坂を登りきる手前の坂の途中に家を借りて住んでいる。だけどどうも苦手さ、こんな夜は苦手 お月さまのぞいてる 君の口に似ているキスしておくれよ窓から・・・・・・」や青春時代を過ごした国立の街を歌ったバラード調の曲があります。
たまらん坂はRCセクセション時代のファンがこの坂に集まり石垣に書き残したメツセージ(現在はマンションができたため石垣は希望者に配られてありません)、 多摩蘭坂という楽曲、青春時代を過ごした下宿近くの「たまらん坂」はファンにとって忌野清志朗の思い出の場所として心に生き続けています(すべての写真はクリックすると拡大します)
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