折立教室だより   子育てのちょっとしたヒントになればうれしいです

公文式の教室を初めて23年になります。たくさんの小さな「できた!」と大きな「ワクワク」に囲まれて私も日々成長しています。

敬語と国語力

2015-03-05 17:00:44 | 教室から
「先生、鉛筆!」
「鉛筆がどうかしたの?」「鉛筆忘れた。貸して!」
よくこういう会話が交わされます。でも、教室では、この頼み方をするとすぐに貸してはもらえません。
「貸して・・・・?」
「あ・・・。そうや。鉛筆忘れました。貸してください。(照れ笑い)」

実は、この子がアシスタントの先生の机の前に大急ぎでやってきた時から、筆記用具を借りに来た事くらい分かっています。
すぐ貸してあげてもいいのですが、きちんとした言い方に直してもらっています。
これは何かを頼む時だけではなく、学習終了の報告をする時、余分な宿題をもらいたい時もそうです。

日本語の乱れが指摘されて久しいですが、確かに我々大人も含めて、きちんとした敬語を使いこなせない人が多くなっています
。敬語がきちんと使えるようになる事は、ステキな大人になるための下準備だと私は思っています。
でも、教室で敬語にこだわるのには、本当は、もう1つ理由があります。敬語の全く使えない子は、まず例外なく、国語が苦手なのです。
日本語の中で敬語と言うのは、結構デリケートで難しい分野なのです。

コトバと言うものは、ただ、伝えればいいのではなく、微妙なニュアンスの違いがあります。
敬語を含めて、小さなころから、コトバに敏感であって欲しい・・・。ささやかな願いを込めて、今日も言い直しをしてもらっています。(笑)

自分の伸ばし方を知っている子に

2015-03-05 16:51:14 | 教室から
「10で神童、15で才子、20過ぎればただの人・・・・」

こんな言葉をお聞きになった事はありませんか?
小学校、中学校と成績も良く、“よくできる子”で通してきた子が、高校以降はあまりぱっとしない・・・・、こんなケースは結構ありますよね。
できれば、上の学校に行くにしたがって出来る子になっていって欲しい・・・・というのが親心だと思いますが、なかなかそうもいかないようです。

実は、高校以降で伸びていく子とは、いわゆるアタマがいい子と言うよりは、自分の伸ばし方を知っている子なのです。
目標を決める、見通しを立てる、毎日取り組む、やると決めたら集中する、人と比べるより昨日の自分と比較する・・・・・
公文はこんな力をつけるための学習システムだと思っています。”
                
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「今日はどうしてこんなに早く正確にできたと思う?この前は今にも泣きそうだったのに」
「へへ・・・3回目やから。」
「それって初め全く出来なくても、3回練習すれば何とかなるって事だよね。」

                
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「そう、はやくテスト受けたいんだね?どうしたらいい?」
「う~ん。毎日宿題やる。あと、よ~く読むといいと思う。」

学習を終えた子にいつもこんな話をしてから帰ってもらうのも、自分がこうやったら伸びる・・・というイメージを全員の子に持ってもらいたいからです。
“自分ののばし方を覚える”・・・・難しいですが、身につけば大きな財産になります。
ぐんぐん伸びていった生徒さんのことを思い浮かべるとやはり自分ののばし方をイメージできていた子が多かったです。
日々の努力は初めはわずかでいいのです。
目標を決めて頑張って、達成して認められる。また新しい今日の目標を立てる。その小さなサイクルが、大きな自信を作ります。