折立教室だより   子育てのちょっとしたヒントになればうれしいです

公文式の教室を初めて23年になります。たくさんの小さな「できた!」と大きな「ワクワク」に囲まれて私も日々成長しています。

可能性の追求

2016-07-20 22:25:43 | 日常の生活から
「うちの子は、そこそこでいいの。」「子どもが嫌がるのを無理強いしても・・・・。」
そんなことを思うことはありませんか?
わが子が少しでも優秀に育ってほしい・・・と心の中で願わない親はいないでしょう。
でも、関わるのはちょっと面倒なときもありますよね。言うことをちっとも聞いてくれないわが子とけんかになるのもおっくう。・・・・・・分かります、分かります。
 
お母さんたちは忙しいですから、少し手が離れて自分でやれることが増えてきた子どもに、時には、「自主性」という言い訳をして、目を離してしまうことがあります。
でも嫌がったら親が引いてしまうのは、本当に自主性を育てることでしょうか?
むしろ、最初は面倒くさそうで難しそうに思えていたことに挑戦できるように仕向けてやるのが親の役目なのではないでしょうか?
それを自分でやった、という形に誘導できたら、きっと心も大きく成長することでしょう。
 

子どもは近眼です。

せいぜい一週間くらい先のことしか見えていません。
子どものことを思ったら、近くも遠くもよく見える大人の目で誘導してやることが必要なのではないでしょうか。
教室が大学の近くにあるせいで、時々、海外の留学生のお子さんを指導することがあります。

いつも感じるのは、海外のお母さんたちは、親としての立場を、はっきり持っている、ということです。
日本のお母さんたちの中には、子どもの顔色を見て、嫌われないように接しているケースが多々あるように感じます。
留学生のお母さんたちがわが子の教育に関して子どもにおもねらないのは、色々理由はあるでしょう。
日本という海外に滞在しているからか、母国が日本より裕福でないからなのか・・・・。どちらにしても、現実を見る目はシビアです。
そしてこのグローバル化した社会では、本当は日本の子どもたちもシビアな現実にいるのです。
 今一度、わが子の将来のために何をしてやったらいいのか、考えてみましょう。