折立教室だより   子育てのちょっとしたヒントになればうれしいです

公文式の教室を初めて23年になります。たくさんの小さな「できた!」と大きな「ワクワク」に囲まれて私も日々成長しています。

くもんと読書

2024-05-03 00:18:31 | 日常の生活から
  
すくすくタイムの読み聞かせに、少し分厚いイソップ童話集を使ったときのことです。ひとつだけお話を読んで、すくすくタイムを終了し、「今日のお勉強が一番に終わった人にまず貸してあげる。」
と、解散しました。
読むことが大好きなHちゃんは、大急ぎで学習を終わったので、
「読む?」
と聞くと嬉しそうに本を受け取り、結構長い時間座って、一冊読み終えました。
お迎えに来られたお母さまにお話しすると、驚いておられたので、あれだけ厚い本を読んだ経験があまりないのかな?と思いました。でも、Hちゃんの教材の進み具合からすると、読めて当然なのですよね。
 年中さんだから、小学校1年生だから、読める本はこれくらい・・・と大人は思いがちですが、くもんで読む力を鍛えている子は、実際の年齢よりもずっと高度なものが読めます。今やっている教材か、一つ下くらいのすいせん図書一覧表は、もう読めるはず。特に教材で途中まで読んだ本は、続きが気になっていますから、楽しく読めるはずなのです。くもんの国語は、そうやって読書と絡めると、飛躍的に読解力がアップします。全部とは言いませんが、何冊か試してみてください。あっと驚くことがあると思います。


なぜこれをやらないといけないのか

2024-04-27 21:36:11 | 子育てもろもろ


「なぜこれをやらなければならないのか?」
という質問を教室で時々受けます。苦手な九九やたし算の暗唱の繰り返し、面倒くさい英語の学習手順、初めての単元で答えを出さないといけない時などです。
本当に知りたいんだな、と思う時には、待ってもらってでも付き合いますが、面倒くさい事をやりたくないから言っている(と、顔に書いてある)場合には、「いいからとりあえずやってみて。やったらなぜかわかるよ。」
という返事をする事もあります。

「なぜ?」
という質問がとても増えたように思います。その質問が受け入れられる土壌が整っていること自体は、とても良い事だと思います。疑問に思う事は「出来る子になる」ための重要な第一歩です。
でも、実は「面倒くさいけど理由を聞いて理解できたらやってもいい」時の「なぜ?」は理由を聞いても理解できません。頑張って出来るようになったA(+)君は頑張る前のA(-)君とは別人なので、A(-)君にはその利点を理解する能力がないからなのです。

どうしてこんな「なぜ?」が増えたのか?
それは私たちが幼いころから「消費者」として育ってきているからだ、と内田樹さんが「下流志向」という本の中で述べておられます。幼いころからお小遣いを何に使うか考える。この商品は払うに見合うだけの価値があるか、絶えず考える癖がついている。お金だけでなく、努力や時間もそうです。だから、
「これは自分の努力に見合うだけのものか?」
と考えて、見合わなさそうだったら、最初から努力しない。努力して新しいステージに行かないと、その価値はわからないにもかかわらず。入学試験を突破しても良い事なさそう、のんびり暮らした方がいい。上司に叱られて仕事を覚えるよりも、簡単なアルバイトでも生きていける。そうかもしれませんが、頑張った先に見えてくる新しいステージを見るチャンスは、永遠に失われます。下流に、下流に人生を選んでいくことになるわけです。
「四の五の言わずにやりなさい!!」と言われてきた自分の子ども時代と比べると、今の子どもたちは、ずいぶん丁寧に「なぜ?」に付き合ってもらっているように感じます。でも、それは本当によい事なのか、と思うことがあります。


倍分力

2024-03-12 08:06:33 | 日常の生活から

しょっちゅう「いやいや病」を発症するSくん。まだ頑張ることが苦手です。今取り組んでいる約分も、やってみれば出来る問題をやる前から聞こうとします。くもんの約分は13とか15とかの大きな数で約分できるまでトレーニングするので、数感覚は抜群に鍛えられるのですが、出来るようになるまでにつらい瞬間もあります。でも、困っている時に、「17」とか「14」とか言うとぱっと答えが書けるのです。17×5とか14×6とかが暗算で出来るようになっているんですね。ただ計算のやり方を覚えるだけでなく、教材にはたくさんの仕掛けがあります。続けていくってこういう事なのか、と感動した日でした。

あまり聞きなれない言葉ですが、これを倍分と言います。約分の反対ですね。
ちなみになぜこういった大きな数で約分したり通分したりするのでしょう?実はこれが暗算で出来ると、もっと大きな数の中に17や14の存在を見つけられるようになります。「数の達者な子」にしておくのは、先々いろんな場面で助けになります。

逃げプリント②

2024-03-07 09:20:54 | 日常の生活から

以前書いた記事の続きです。
https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=07adaa500724fe4de48571da3e8479ac&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MCZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2MmY2F0ZWdvcnlfaWQ9JnltZD0mcD0y

逃げプリントをお守りのように成績表に挟んでいたKくん。
いつの間にか逃げプリントは姿を消し、
何とか難しいところも自分で挑戦できるようになってきました。
まだまだ不安定なところがあるので、手助けは必要ですが、こうしてチャレンジしながら自分に対する信頼を深めていけるところが、くもんの良いところだと、つくづく思います。
大人でも、未知の分野を開拓するのは勇気がいるものです。
習ったことのない分野を読み、自分で答えを出すことを嫌がる子は、たくさんいます。
一見解けるように思えない問題を手持ちの知識で何とか解きほぐしていく姿勢は、後でとても助けになります。

実は、逃げプリントはK君の専売特許という訳でなく、何人かの子が持っています。
セットは面倒くさいですが、効果はあります。


なりたいものがない子どもたち

2024-02-29 08:04:23 | 日常の生活から

教室で頑張っている子供たちを見ていると、ふっと思い出すドラマのセリフがあります。

「なりたいものも、夢もないんです。」
と、できそこないで何のとりえもない(ように見える)主人公が、恩師である女学校の家庭科の先生にこぼした時に、傍らで庖丁を研ぎながら先生が答えたセリフがこれです。
「庖丁というのは、実はただの鉄の板なんですよ。研(と)がなければ庖丁にはなりません。
『夢』というのも、そういうものじゃないですかね。
ただの鉄の板を研いで使って、研いで使って・・・・
そんなことを繰り返すうちに、やっと自分が望む刃の角度が見えてくるんです。
それは、自分の手を動かして、何度も何度も砥石で研がなければ、永遠にわからないものです。」

豊かで満たされている現代の子どもたち。なりたいものがない、夢がない、という話をよく聞きます。でも、はっきりとしたゴールが見えていなくても、実際に何かの努力をしてみると、少し見えてくるものがあるはずです。出来ないことができるようになった先に、次のゴールが見えてくる。数学が大好きな高校生が、「3学年先位をやっていた時はそんなに数学は好きでなかった。」と言っていました。どこで変わったのでしょうか?壁を何度も乗り越えていくうちに、その奥深さ、楽しさに気が付いたのだろうと思います。
教室の子どもたちがやがて切れ味の鋭い庖丁になれるよう、精いっぱい応援していきたいといつも思います。公文の教材の中には、子どもの「砥石」がたくさん隠されています。