台風6号が長野にどれだけの雨を降らせるか、正直戦々恐々としていた。高知県の馬路村などに72時間で1000ミリの雨を降らせたと聞くと、浅川はどうなるかと心配になる。幸い風だけで過ぎてくれてホッとした。
だけど、浅川のダム建設を推進した人は、基本高水を一トンたりとも下げられないと強調したが、500ミリ、800ミリ、1000ミリの雨が降ったら安全性はどうなのか。自然の力は計算をはるかに超えることがあることを私達は自覚すべきではないだろうか。東日本大震災はそれを教えてくれたのではないか。
7月20日の赤旗に写真家森住卓さんのことばがありました。「(被災地は)世界の戦場で砲弾が飛び交う中を歩いてきた強者にさえ、その破壊のすさまじさに立ちすくみ息をのんだと、一様に言わせる風景だった」と。
どんな写真が撮られたのか、是非手にしてみたいと思いますが・・
私はいまだに、というかますます心の奥深くに石巻の風景がよみがえります。死にたくなかった人々の叫びが、日和山に向けての声が響きます。飯舘村の放射能に覆われた人一人いない光景も忘れません。
自然の一員として私達が生きる場を次の世代に繋げなければなりません。
だけど、浅川のダム建設を推進した人は、基本高水を一トンたりとも下げられないと強調したが、500ミリ、800ミリ、1000ミリの雨が降ったら安全性はどうなのか。自然の力は計算をはるかに超えることがあることを私達は自覚すべきではないだろうか。東日本大震災はそれを教えてくれたのではないか。
7月20日の赤旗に写真家森住卓さんのことばがありました。「(被災地は)世界の戦場で砲弾が飛び交う中を歩いてきた強者にさえ、その破壊のすさまじさに立ちすくみ息をのんだと、一様に言わせる風景だった」と。
どんな写真が撮られたのか、是非手にしてみたいと思いますが・・
私はいまだに、というかますます心の奥深くに石巻の風景がよみがえります。死にたくなかった人々の叫びが、日和山に向けての声が響きます。飯舘村の放射能に覆われた人一人いない光景も忘れません。
自然の一員として私達が生きる場を次の世代に繋げなければなりません。