
「『分かち合い』社会の構想」の感想。
本文からの抜粋は、重要だと思う記述や賛同する部分です。
私のコメントは、読みながら連想したことや反論など。
詳しくは本書でご確認ください。
《本文》
第5章 農業 坂本誠 NPO理事
地域運営組織
(国が進めている「地方創生」の中で)「まち・ひと・しごと創生総合戦略」では、
「人口減少や高齢化が著しい中山間地域等においては、(中略)
将来にわたって地域住民が暮らし続けることができるよう、地域住民が主体となって、
①地域住民による集落生活圏の将来像の合意形成、
②地域の課題解決のための持続的な取組体制の確立(地域運営組織の形成)、
③地域で暮らしていける生活サービスの維持・確保、
④地域における仕事・収入の確保を図る必要がある」
として、2020年までに全国で地域運営組織3000団体の設立を目指す
との目標を掲げている。
(多田コメント)
ここで言う「地域」とは、どの程度の規模を想定しているのでしょうか?
一番のキーワードですが曖昧ですね。
市町村とは言っていないので、それより小さい区分だと思われます。
将来的に持続可能な取組みができる運営団体が
「人口減少が著しい中山間地域等」において
地域住民が主体となって設立ができるものなのか非常に疑問です。
全国的に見れば、住民が主体となってガソリンスタンドを運営したり、
交通を担ったりする活動はときどきニュースになりますが、
それは珍しいからニュースになるのです。
人材などいくつもの好条件がそろっていないとムリでしょう。
市町村の数が約1,700ですから、全国に3000も団体を設立というのは相当な数です。
国は難しい課題に対してきれいごとを並べ、地域住民へ
無責任に丸投げしているように感じました。
だからと言って、行政が何とかすべきだと主張だけして、
地域住民が何もせず他人ごとのようではそれもダメですが。
私の案としては、日本全体で急激に人口が減り続ける中で、
地域レベルで自立したり、解決を図るのはムリだと思います。
せめて村などの自治体レベルでの存続を図るべきでしょう。
それでも日本一高齢化が進む群馬県南牧村では、
村に唯一の小学校でさえ児童がゼロの学年や複式学級の学年があります。
このような場合は、周辺自治体と一体となった存続策を探らざるを得ないでしょう。
水道や消防事務などを共同で行う一部事務組合の方式や、
町が自治体事務の一部を鳥取県へ委託した事例もあります。
《本文》 公助
実際に、なんとか地域運営組織は立ち上げたものの
後継者不足から活動の継続が危ぶまれているケースも現れている。
結局のところ、住民の「自主的・自発的な考えや行動」を
その土地で生活を営み続けていくための必要条件と
すること自体が矛盾しているのである。
農村地域のセーフティ・ネットは「公助」によって確保されるべきであり、
「自助」「共助」によって代替できるものではない。
(多田コメント)
財源には限りがありますので、税金投入によって
全ての集落を存続させることは不可能です。
だとすれば、どこを残すべきか、どこはあきらめるか長期的な戦略が必要です。
この問題について「限界集落と国家百年の計」2008年として小論文を書きました。
私の公式ホームページに掲載していますのでぜひご覧ください。
《本文》 交通対策
生活交通対策は子どもや高齢者など交通弱者のためのものとされるが、
住民の家計支出の軽減策にもなりうるという視点が必要である。
また、農村における極度な自家用車依存は公共交通が不採算を理由に
次々と縮小・廃止されてきたことも一因である。
これまで公共交通が独立採算を原則として
赤字補助は例外的な措置と捉えられてきたことが背景にあるが、
日本において公共交通が独立採算で成立しえたのは、
①経済のインフレ貴重が続き初期投資の回収見込みが立てやすかった。、
②人口増加局面にあって需要の長期的拡大が見込めた、
という二つの要因が重なったからであり、
現在ではそのいずれの条件も失われている。
デフレが基調かつ人口減少局面においては
原則として公共交通の独立採算は不可能と考え、
公的支援の充実を図るべきである。
(多田コメント)
特にローカル鉄道に関しては、私もそのように感じています。
北海道は群馬県の10倍くらい広い土地です。
それをカバーしているJR北海道の鉄道路線は、
赤字を理由に次々と廃止されようとしています。
広大な土地にまばらにしか人が住んでいないのですから、
乗車賃だけで黒字にするのはもともと不可能。
もし、廃止されれば沿線住民は
札幌市や東京へ行くのに、どうしたら良いのか。
住民だけでなく他の地域からその土地を訪問したい人にとっても困ります。
そもそも日本全土に鉄道網を張り巡らし、
国鉄として国が管理した意味はなんだったのでしょうか?
郵便と同じように、全国どこにでも人が行ったり、
情報のやり取りができるようにすることが、
近代国家として必要だったのだと思います。国防の意味もあったでしょう。
もしも全国の鉄道が黒字路線だけ残してぶつ切りになったら、
九州や東北の町や村へ行くのに、どうやって行ったら良いのでしょうか。
日本全国につながっていることに価値があるのです。
鉄道を敷く初期費用は高いですが、
完成した後は、早く、安く、大量に人や物を運べるのが長所です。
鉄道は非常に優れた社会インフラとして後世に残す価値があると考えますので、
存続のための公的資金の投入は必要と考えます。
《本文》
今必要なのは、若者を含めて国民の一人ひとりが、
都市であれ農村であれ自身にふさわしいフィールドを求めて
相互に往来できる環境を整えること、言い換えれば居住地にかかわらず
イコール・フィッティング(注:商品やサービスの販売において、
双方が対等の立場で競争が行えるよう、基盤・条件を同一に揃えること)な
社会の実現を目指すことではないか。
すなわち、都市でも農村でも、平野部でも山間部でも離島でも、
生活スタイルは異なれども、その土地で暮らし続けることができ、
そして子どもたちがどこに生まれ育とうとも
将来の選択肢が狭められることのないような、
憲法が本来掲げる理念に沿った社会の設計であり、その実現である。
「自助」や「共助」ありきではなく、あるいは「公助」に依存するのでもなく、
大前提として確固とした「公助」を社会のベースに築いたうえで、
「自助」「共助」「公助」の組み合わせの中に
都市も農村も含めた地域再生の可能性を求めていくこと
-これが、いま、この社会を生きる私たちに課せられた使命であり、
この社会を受け継ぐ次の世代に対する責務ではないだろうか。
(多田コメント)
山間地域などは就業機会、子どもの教育、買い物等、
いろいろな生活面で不便なので都市部よりも人口減少が激しいのです。
その状況にもかかわらず、
「都市でも農村でも、平野部でも山間部でも離島でも、生活スタイルは異なれども、
その土地で暮らし続けることができ、そして子どもたちがどこに生まれ育とうとも
将来の選択肢が狭められることのないような」状況を目指すのは、
夢のような目標です。
この章の著者の坂本氏は、なんでもかんでも都会と同じレベルという趣旨ではなく、
公共交通の確保、大学等への自宅通学の確保、住宅の確保等を
考えていらっしゃるようです。
ある場所に人が住んで生活できるためには、
生活に必要なお金が稼げる仕事がそこにあることが必要です。
坂本氏は「大前提として確固とした「公助」を社会のベースに築いたうえで」
と述べています。これは「ベーシック・インカム」(以下『B・I』と略す)
のことだろうと私は解釈しました。
所得の額に関係なく、すべての国民が一定のお金を貰える制度ですが、
その財源をだれが負担するのかが一番の問題です。
国全体でマクロに見れば、そのために支払う税金と、
もらうお金の総額はイコールにしなければなりません。
そのために支払う税はけして安くありません。
また、「B・I」の導入時には、生活保護制度が廃止されたり、
各種社会福祉制度も廃止されたり、B・Iに一本化することになるようです。
「B・I」の導入は社会的にプラスになるのか、良い効果は出るのか、
悪い効果は出ないかなどを検証するため、フィンランドでは社会実験が最近終了し、
今年はドイツのベルリンでも行われるようです。
単純に考えると、「B・I」で「もらえるお金」は、
だれでも同額という点では、所得の低い人ほどありがたい制度でしょう。
逆に、その分の財源負担については、
所得税に累進課税をかけるならば、所得の多い人ほど多く税負担することになります。
しかし、もし間接税である消費税で賄おうとするなら、
所得の低い人ほど重い税負担になります。
財源の選択にあたっては、「B・I」は何の目的で、
だれを支援しようとする制度なのか、
趣旨をよく考える必要があります。
私としては「B・I」には反対です。
全ての国民が働かなくてもお金(7万円程度?)がもらえるようになると、
勤労意欲をなくす人が多いでしょう。
国民気質の変化の影響は大きいし、悪くなるのは簡単ですが、
良い方向に改善するのは時間がかかると思います。
財源についても、なんらかの税金で拠出するわけですが、
景気の変動等により、税収も変動します。
もし足りない場合はどうするのか?
急に税率を上げる?
かなり国民生活全体が混乱すると思います。
今でさえ、財政法で赤字国債による借金は禁止されているのに、
特例法を作って、1000兆円も借金している日本です。
もし全国民にお金をばらまく制度を作ったら、
全部借金で財源を賄うことが目に見えてます。
そのツケは子孫へ有無を言わさずつけ回し。
また、「B・I」導入後、もしも失敗だと分かっても、
もとに戻せるのか。
つまり、何もしなくてもお金を貰える生活になじんた国民が
再び勤勉に働いて税金を納める国民になれるのか。
本文からの抜粋は、重要だと思う記述や賛同する部分です。
私のコメントは、読みながら連想したことや反論など。
詳しくは本書でご確認ください。
《本文》
第5章 農業 坂本誠 NPO理事
地域運営組織
(国が進めている「地方創生」の中で)「まち・ひと・しごと創生総合戦略」では、
「人口減少や高齢化が著しい中山間地域等においては、(中略)
将来にわたって地域住民が暮らし続けることができるよう、地域住民が主体となって、
①地域住民による集落生活圏の将来像の合意形成、
②地域の課題解決のための持続的な取組体制の確立(地域運営組織の形成)、
③地域で暮らしていける生活サービスの維持・確保、
④地域における仕事・収入の確保を図る必要がある」
として、2020年までに全国で地域運営組織3000団体の設立を目指す
との目標を掲げている。
(多田コメント)
ここで言う「地域」とは、どの程度の規模を想定しているのでしょうか?
一番のキーワードですが曖昧ですね。
市町村とは言っていないので、それより小さい区分だと思われます。
将来的に持続可能な取組みができる運営団体が
「人口減少が著しい中山間地域等」において
地域住民が主体となって設立ができるものなのか非常に疑問です。
全国的に見れば、住民が主体となってガソリンスタンドを運営したり、
交通を担ったりする活動はときどきニュースになりますが、
それは珍しいからニュースになるのです。
人材などいくつもの好条件がそろっていないとムリでしょう。
市町村の数が約1,700ですから、全国に3000も団体を設立というのは相当な数です。
国は難しい課題に対してきれいごとを並べ、地域住民へ
無責任に丸投げしているように感じました。
だからと言って、行政が何とかすべきだと主張だけして、
地域住民が何もせず他人ごとのようではそれもダメですが。
私の案としては、日本全体で急激に人口が減り続ける中で、
地域レベルで自立したり、解決を図るのはムリだと思います。
せめて村などの自治体レベルでの存続を図るべきでしょう。
それでも日本一高齢化が進む群馬県南牧村では、
村に唯一の小学校でさえ児童がゼロの学年や複式学級の学年があります。
このような場合は、周辺自治体と一体となった存続策を探らざるを得ないでしょう。
水道や消防事務などを共同で行う一部事務組合の方式や、
町が自治体事務の一部を鳥取県へ委託した事例もあります。
《本文》 公助
実際に、なんとか地域運営組織は立ち上げたものの
後継者不足から活動の継続が危ぶまれているケースも現れている。
結局のところ、住民の「自主的・自発的な考えや行動」を
その土地で生活を営み続けていくための必要条件と
すること自体が矛盾しているのである。
農村地域のセーフティ・ネットは「公助」によって確保されるべきであり、
「自助」「共助」によって代替できるものではない。
(多田コメント)
財源には限りがありますので、税金投入によって
全ての集落を存続させることは不可能です。
だとすれば、どこを残すべきか、どこはあきらめるか長期的な戦略が必要です。
この問題について「限界集落と国家百年の計」2008年として小論文を書きました。
私の公式ホームページに掲載していますのでぜひご覧ください。
《本文》 交通対策
生活交通対策は子どもや高齢者など交通弱者のためのものとされるが、
住民の家計支出の軽減策にもなりうるという視点が必要である。
また、農村における極度な自家用車依存は公共交通が不採算を理由に
次々と縮小・廃止されてきたことも一因である。
これまで公共交通が独立採算を原則として
赤字補助は例外的な措置と捉えられてきたことが背景にあるが、
日本において公共交通が独立採算で成立しえたのは、
①経済のインフレ貴重が続き初期投資の回収見込みが立てやすかった。、
②人口増加局面にあって需要の長期的拡大が見込めた、
という二つの要因が重なったからであり、
現在ではそのいずれの条件も失われている。
デフレが基調かつ人口減少局面においては
原則として公共交通の独立採算は不可能と考え、
公的支援の充実を図るべきである。
(多田コメント)
特にローカル鉄道に関しては、私もそのように感じています。
北海道は群馬県の10倍くらい広い土地です。
それをカバーしているJR北海道の鉄道路線は、
赤字を理由に次々と廃止されようとしています。
広大な土地にまばらにしか人が住んでいないのですから、
乗車賃だけで黒字にするのはもともと不可能。
もし、廃止されれば沿線住民は
札幌市や東京へ行くのに、どうしたら良いのか。
住民だけでなく他の地域からその土地を訪問したい人にとっても困ります。
そもそも日本全土に鉄道網を張り巡らし、
国鉄として国が管理した意味はなんだったのでしょうか?
郵便と同じように、全国どこにでも人が行ったり、
情報のやり取りができるようにすることが、
近代国家として必要だったのだと思います。国防の意味もあったでしょう。
もしも全国の鉄道が黒字路線だけ残してぶつ切りになったら、
九州や東北の町や村へ行くのに、どうやって行ったら良いのでしょうか。
日本全国につながっていることに価値があるのです。
鉄道を敷く初期費用は高いですが、
完成した後は、早く、安く、大量に人や物を運べるのが長所です。
鉄道は非常に優れた社会インフラとして後世に残す価値があると考えますので、
存続のための公的資金の投入は必要と考えます。
《本文》
今必要なのは、若者を含めて国民の一人ひとりが、
都市であれ農村であれ自身にふさわしいフィールドを求めて
相互に往来できる環境を整えること、言い換えれば居住地にかかわらず
イコール・フィッティング(注:商品やサービスの販売において、
双方が対等の立場で競争が行えるよう、基盤・条件を同一に揃えること)な
社会の実現を目指すことではないか。
すなわち、都市でも農村でも、平野部でも山間部でも離島でも、
生活スタイルは異なれども、その土地で暮らし続けることができ、
そして子どもたちがどこに生まれ育とうとも
将来の選択肢が狭められることのないような、
憲法が本来掲げる理念に沿った社会の設計であり、その実現である。
「自助」や「共助」ありきではなく、あるいは「公助」に依存するのでもなく、
大前提として確固とした「公助」を社会のベースに築いたうえで、
「自助」「共助」「公助」の組み合わせの中に
都市も農村も含めた地域再生の可能性を求めていくこと
-これが、いま、この社会を生きる私たちに課せられた使命であり、
この社会を受け継ぐ次の世代に対する責務ではないだろうか。
(多田コメント)
山間地域などは就業機会、子どもの教育、買い物等、
いろいろな生活面で不便なので都市部よりも人口減少が激しいのです。
その状況にもかかわらず、
「都市でも農村でも、平野部でも山間部でも離島でも、生活スタイルは異なれども、
その土地で暮らし続けることができ、そして子どもたちがどこに生まれ育とうとも
将来の選択肢が狭められることのないような」状況を目指すのは、
夢のような目標です。
この章の著者の坂本氏は、なんでもかんでも都会と同じレベルという趣旨ではなく、
公共交通の確保、大学等への自宅通学の確保、住宅の確保等を
考えていらっしゃるようです。
ある場所に人が住んで生活できるためには、
生活に必要なお金が稼げる仕事がそこにあることが必要です。
坂本氏は「大前提として確固とした「公助」を社会のベースに築いたうえで」
と述べています。これは「ベーシック・インカム」(以下『B・I』と略す)
のことだろうと私は解釈しました。
所得の額に関係なく、すべての国民が一定のお金を貰える制度ですが、
その財源をだれが負担するのかが一番の問題です。
国全体でマクロに見れば、そのために支払う税金と、
もらうお金の総額はイコールにしなければなりません。
そのために支払う税はけして安くありません。
また、「B・I」の導入時には、生活保護制度が廃止されたり、
各種社会福祉制度も廃止されたり、B・Iに一本化することになるようです。
「B・I」の導入は社会的にプラスになるのか、良い効果は出るのか、
悪い効果は出ないかなどを検証するため、フィンランドでは社会実験が最近終了し、
今年はドイツのベルリンでも行われるようです。
単純に考えると、「B・I」で「もらえるお金」は、
だれでも同額という点では、所得の低い人ほどありがたい制度でしょう。
逆に、その分の財源負担については、
所得税に累進課税をかけるならば、所得の多い人ほど多く税負担することになります。
しかし、もし間接税である消費税で賄おうとするなら、
所得の低い人ほど重い税負担になります。
財源の選択にあたっては、「B・I」は何の目的で、
だれを支援しようとする制度なのか、
趣旨をよく考える必要があります。
私としては「B・I」には反対です。
全ての国民が働かなくてもお金(7万円程度?)がもらえるようになると、
勤労意欲をなくす人が多いでしょう。
国民気質の変化の影響は大きいし、悪くなるのは簡単ですが、
良い方向に改善するのは時間がかかると思います。
財源についても、なんらかの税金で拠出するわけですが、
景気の変動等により、税収も変動します。
もし足りない場合はどうするのか?
急に税率を上げる?
かなり国民生活全体が混乱すると思います。
今でさえ、財政法で赤字国債による借金は禁止されているのに、
特例法を作って、1000兆円も借金している日本です。
もし全国民にお金をばらまく制度を作ったら、
全部借金で財源を賄うことが目に見えてます。
そのツケは子孫へ有無を言わさずつけ回し。
また、「B・I」導入後、もしも失敗だと分かっても、
もとに戻せるのか。
つまり、何もしなくてもお金を貰える生活になじんた国民が
再び勤勉に働いて税金を納める国民になれるのか。