伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ

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劣化するオッサン社会の処方箋

2020-03-08 16:54:42 | 大きな時代の変革期
2018年9月発行・山口周著、光文社新書
「劣化するオッサン社会の処方箋」の感想

広く社会に触れる中で管理職年代の劣化がひどいと常々感じています。
これまでの管理職が代々そのような状態なのではなく、
昔の先輩方に比べて、なぜか今の時代の
管理職世代のレベル低下が著しいのです。なぜか。

この本が社会学的に分析しており、合点がいきました。
企業の管理職だけでなく、役所や政治の世界にも
あてはまるのではないでしょうか。
ぜひ本書をお読みください。


(この本における「オッサン」の定義)

たんに年代と性別という、
人口動態的な要素で規定される人々の一群ではなく、
ある種の行動様式・思考様式を持った「特定の人物像」
 1 古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する
 2 過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない
 3 階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る
 4 よそ者や異質なものに不寛容で、排他的

中高年男子でも、上記の条件に当てはまらない人はいっぱいいるし、
逆に、女性や若年層の中にも、当てはまる人はいます。
この本で考察の対象となるのは、
中高年の男性全体ではなく、このような傍若無人のふるまいをして
自らを省みることのない人。



(劣化は必然)

・現代の50~60代の「オッサン」たちは、
 「大きなモノガタリ」の喪失以前に社会適応してしまった「最後の世代」。

盛田昭夫、本田宗一郎といった戦後の高度成長を支えたリーダーは、
「大きなモノガタリ」つまり
「いい学校を卒業して大企業に就職すれば、一生豊かで幸福に暮らせる」
という幻想とともにキャリアの階段を上り、
「大きなモノガタリ」の終焉とともに社会から退いて行った。

現代の劣化した「オッサン」たちは、
高度成長がまだ続いていたバブル期の80年代に入社し、
「大きなモノガタリ」の中で、20代の
「社会や人生に向き合う基本態度=人格のOSを確立する重要な時期」
を過ごしてきた後に、社会からそれを反故にされた世代。

・70年代に絶滅した「教養世代」
1970年前後まで教養主義は大学のキャンパスの規範的文化だった。
当時の大学生は10日に1冊くらい教養書を読んでおり、
ほとんど読まない学生はわずか1.8パーセント。
哲学や思想は、「システムを批判的に思考する技術」。

しかし、70~80年代にかけて大学はレジャーランド化し、
学生はどんどんバカになっていった。
90年代の実学世代の黎明までの10年間は、
「知的真空」の状態が続いた。

・90年代以降に勃興した「実学世代」
昭和の「大きなモノガタリ」が終焉し、社会で支配的になった
「新しいモノガタリ」は「グローバル資本主義」。
その結果、若者には経営学や会計学など、
手っ取り早く年収を上げる学問が重視されるようになった。

・上層部と実行部隊の乖離
教養世代の管理職は引退し、
現在の社会システム上層部は「知的真空世代」が独占し、
その下を「実学世代」が固める歪んだ構造になっている。



(組織トップは宿命的に劣化する)

・二流の人間は本当は自分が二流であり、だれが一流か知っている。
・一流の人はそもそも人を格付したり、人を押しのけて権力を握ることに
 あまり興味がないので、自分や他人が何流か、はなから考えない。
・三流の人間は往々にして、周囲にいる二流の人間を一流と勘違いしており、
 「自分は今は二流だが頑張ればいつかはああなれる」と考え、
 二流の周りをヨイショしながらウロチョロする一方で、
 本物の一流については、自分のモノサシでは測れないので、
 よくわからない人たちだと考えている。

・人数比は、一流は二流より圧倒的に少なく、二流は三流より圧倒的に少ない。
・人事評価は、人の能力が「正規分布」していることを前提に
 評価することが一般的なので、二流が一番多いと勘違いするが、
 実際の能力の分布は「パレート分布」なので、組織の中では
 三流が圧倒的な数を占めている。





・したがって大きな組織の中で構造的に最初に権力を握るのは、
 大量に存在する三流から支持される二流となる。
・組織内の出世だけでなく、支持者の数がパワーとなる市場(政治も)
 においても、数の勝負に勝とうと思えば三流に受けなければなりません。
・資本主義が膨大な労力と資産を使いながら、ここまで不毛な文化しか
 生み出せない決定的な理由はここにあります。

・二流の権力者は一流を抹殺する
少数の二流の権力者は、多数の三流の人間からの称賛を浴びながら、
実際のところは誰が本当の一流なのかを知っているので、
地位が上がるほどに自分のメッキがはがれ、
だれが本当の一流なのか露呈することを恐れます。
したがって、二流の人間が社会的な権力を手に入れると、
周辺にいる一流の人間を抹殺しようとします。

二流の人間が組織の長になると、その人物に媚びへつらって
権力のおこぼれにあずかろうとする三流の人間が集まります。
二流の人間は一流を恐れるので、自分よりレベルが低く扱いやすい
三流の人間を重用するようになる。
かくして組織は二流のリーダーが率い、三流が脇を固める一方で、
二流と一流の人材は重用されず、日の当たらない場所でくすぶる。

やがて二流のリーダーが引退し、彼らに媚びへつらって
信頼の貯金をしてきた三流の取り巻きが権力を持つようになると、
さらにレベルの低い三流の取り巻きが周辺を固めるようになり、
その組織はビジョンを失い、モラルは崩壊し、
シニシズム(冷笑主義)とニヒリズム(虚無主義)が支配する。

組織がいったんこのような状態になると
自浄作用はまったく働かなくなるので、
組織の劣化は不可逆的に進行する。

リーダーの世代的な「知的真空」問題に加え、
リーダーが交代するごとにクオリティの劣化が進んでいるのが
今の日本の状況。



(多田コメント)

会社組織ばかりでなく、
今の安倍政権にあてはまることばかりですね。
忖度する官僚は出世する。定年も延長する。
気骨のある人は重要なポストに付けない。

自民党の中で総裁を務めるということは、
リーダーが交代するたびに劣化してきた
ということでしょう。

この本の後段には、これまでの歴史から見て
近く日本で大変革が起こる可能性や、
年配の管理職はどう振舞えばよいのか、
労働者としての取り組み方など書いてあります。
組織で働く方や学生さんは、ぜひ読んでください。




ケニー・ドリュー(p ピアノ)「TRIO/QUARTET/QUINTET」
リバーサイド 1957年


ベースはおなじみポール・チェンバース。この時代のベースはほとんど彼。
トランペットはドナルド・バード。
テナー・サックスは、ハンク・モブレー。
ドラム フィリー・ジョー・ジョーンズ

トップスターではありませんが、
いずれもハードバップ期を代表するようなメンバー。
1957年という時代のゴキゲンな雰囲気が堪能できます。









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