伊勢崎市議会議員 多田稔(ただ みのる)の明日へのブログ

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ちんちん電車に乗って 日本最古の駄菓子屋さんへ   上川口屋

2012-08-02 15:13:23 | Weblog

日本最古の駄菓子屋さん

JR池袋駅からわずか1km。
豊島区雑司ヶ谷の鬼子母神境内に、
日本で一番古い駄菓子屋さんがあります。



その名は「上川口屋」。
創業は今からなんと230年前の
江戸時代中期1781年(天明元年)。

現在の店主は内山雅代さん。13代目です。
7月17日の日経新聞(32ページ)で、
上川口屋と内山さんの生涯を読んで気になっていましたので、
8月1日(土)に訪ねてきました。




(都電に乗って)

浅草方面から鬼子母神へ向かいましたので、
JR大塚駅で、JRから都電荒川線に乗り換えです。
路面電車には、いつか乗りたいと思っていました。



大人は180円の均一料金。
電車の前から乗って、直ぐに払います。
降りるときは後ろの降車口から降ります。



ほとんどの区間は道路とは区分されていて、
普通の鉄道のようでした。
揺れもなく、すいすい走ります。



レールと建物の距離が近いためか、
周りの生活の様子が
よく伝わってきます。



踏切では、電車が通り過ぎるか過ぎないかのうちに
慣れた様子で歩行者が電車のそばを渡ります。
地域に溶け込んでいる感じがしました。



「チン、!!」
警笛の代わりに、ベルが鳴ります。
あっというまに「鬼子母神前」駅に到着。
鬼子母神はここから5分ほどです。




(大きなケヤキ並木)


ケヤキの巨木の並ぶ参道に立つと、
ここが都心とは思えません。
せみの声と涼しい風。



ありました、ありました。
境内の左手に「上川口屋」さんがありました。



私が訪問した朝の9時ごろは、まだ閉まっていましたので、
先に鬼子母神にお参りを済ませました。



雑司ヶ谷の鬼子母神では、
子沢山のシンボルとして、石榴の紋が使われています。




(駄菓子屋の開店は午後かなァ)



諦めて帰ろうとしたその時、
ガタゴトと、お店の雨戸が開き始めました。



奥に住んでいる店主の内山雅代さんが、
開店準備を始めたのでした。

雨戸を一枚づつ外して、家の奥へ運びます。
それから広い陳列台へ、駄菓子を並べるための棚をまずセットします。



店の中央から遠い部分を先にセットして、
だんだん中央部分に棚と駄菓子を並べます。



内山さんの相棒は、オス猫の「石松」君、15歳。
片目が悪いので、森の石松から名前をもらいました。
陳列台の中央に、石松君の専用席があります。



その上でおとなしく寝そべって、
お客さんを招いています。

開店準備のお邪魔をしないように、
少しだけお手伝いしながら、
おしゃべりさせて頂きました。

内山「このお菓子が入っているのは、桐の箱なんだけど
   100年以上使っているのヨ」
多田「すごいですね。いい材質だと、よくもつんですねぇ」



内山さんは優しい目をされた年配の女性ですが、
歯切れがよく、話しっぷりはまさに江戸っ子。
「三代続けば江戸っ子」という言葉がありますが、
内山さんは、なにしろ十三代目ですから。



(20分ほどで準備完了!)


鬼子母神の境内には、大きな木が何本もありますので、
ひんやりしています。地面にはぽつぽつとセミの出た穴も。
内山さんによれば、「他所より3度は低い」そうです。

早速、冷えたラムネを1本注文しました。
「鳥居の前が、イチョウの風が来て涼しいヨ」
と教えられ、
店の南側にある赤い鳥居の前に立つと
さっと涼しい風が。



見上げると、樹齢700年の大イチョウ。
一面に涼しい日陰が広がっています。
そしてイチョウの樹にあたった上空の風が、
このお稲荷さんの赤い鳥居のところへ
吹き抜けてくるのです。



まだお客さんも来なかったので、
1時間ほどおしゃべりさせて頂きました。

以前、仕入れは内山さんの担当でした。
日暮里にあった駄菓子問屋へ
朝4時に起きて大きな風呂敷をもち
仕入れに行ったそうです。
今では週に一度、問屋さんが駄菓子を配達に来てくれます。




(店の奥からTBSラジオ)

大沢悠里のゆうゆうワイド。
「大沢さんは、間のとりかたや、話しぶりがうまいねぇ」
と内山さん。

「大沢さんは学生時代からアナウンサー志望で、勉強家だったようです。
 昔TBSラジオで落語の番組があって、大沢さんが司会をしてました。
 きっとその時、落語の話術も勉強されたんでしょう。」
と、私。



内山「古典落語がすきなのよ~。志ん生とか、金馬とか。
    小さん(柳家)なんか、直ぐ近くに住んでたのよ。」
多田「へ~、そうなんですか。私も落語が好きで、
    先日落語に良く出てくる吉原と山谷を見てきました」
内山「昔の噺家はじょうずで、長屋の生活なんか目に浮かぶような
    話し方だったね。今の人はそういう生活を知らないんだろうねェ」




(毒マムシが来たよ)

内山「そういえば先月、毒マムシ三太夫が来たのよ」

 毒マムシ氏は、TBSラジオのレポーターとして、
 毎日各地のスーパーをまわってにぎわしています。
 お約束で、安産祈願と称して妊娠した女性のおなかをなでてから
 最後におっぱいをつっつきます。

多田「おっぱい、さわられませんでしたか?」
内山「(陳列台で)こんだけ離れているから、大丈夫だった」
多田「よかったですね」




(小澤征璽も)

内山さんはクラッシック音楽通でもあります。
多田「指揮者によって音楽が変わるそうですが、どんなものなんでしょう?
   その曲に対する指揮者の解釈の違いということでしょうか?」
内山「楽譜に現れているのは作曲家の感じたことのごく一部。
   楽譜に書かれていないことを、指揮者は理解しようとして
   それを表現するのだと思う。
   5年前に小澤 征爾がここの祭りに来て、
   焼きそばを食べていたんで、びっくりしちゃった」

鬼子母神のすぐ近くには東京音大がありますので、
その関係で小澤さんが見えたのかもしれません。

内山さんは歌舞伎の大ファンです。
私も歌舞伎座の立見を2回ほど見たことがあるので、
話が弾みました。

銀座の歌舞伎座は、老朽化のため現在建て替え中です。
歌舞伎専門の建物だったので、ファンにとっては
特別な雰囲気を持つ場所でした。
内山さんは歌舞伎座にあった
「おでん」の味が絶品で忘れられないそうです。




(お店がスタジオジブリのアニメに)

ふと、お店の壁を見るときれいな絵が。
内山さんに聞いてみると、
なんとスタジオジブリ製作の映画「おもいでぽろぽろ」の、
主人公のタエ子が小学生時代(1966年)に通っていた駄菓子屋のモデルとして
この「上川口屋」さんが映画の中で使われました。





この駄菓子屋さんは、土砂降りの日以外は毎日開いています。
でも、少子化で子どもの数がめっきり少なくなりました。
昔は一学年10クラスあった小学校も、
近年では各学年1~2クラスしか子どもがいません。
そのため3~4校が統廃合されました。

昔の子どもたちは外で遊んでいました。
それが1980年代ころから、
外に出なくなりました。
一人用のテレビゲームのせいです。
 



(震災にも、大空襲にも耐えました)

この小さな駄菓子屋さんは、
関東大震災にも、そして第2次世界大戦の
「東京大空襲」でも、奇跡的に焼けなかったそうです。
当時はあたり一面焼け野原。池袋駅まで見通せました。
このお店が230年も残ったのは奇蹟です。
鬼子母神さまの御加護です。




(ぜひ次の世紀に伝えたい)

境内には小中学生の姿はありません。
特に夏休みは子どもは少ないそうです。
家族で旅行に行ったり、塾へ行ったり、スポーツや習い事など。

しかし長年この場所で商売をしているので、
親子三代で懐かしがって訪ねてきてくれるお客もいるようです。

内山さんの御自宅は結婚後は神奈川県です。
そこから毎日通ったり、夫とはなれて暮らしたり、
店を守るためたいへんご苦労されました。

日本全体で子どもの数がものすごく減っています。
子どもだけに頼っていたら、230年も愛されてきた
日本の宝ともいえる「上川口屋」さんも無くなってしまうかもしれません。

ぜひ、昔の子どもである、
おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、出番ですョ。
もちろん、今の子どもたちも。



東京へお越しの折にはちんちん電車に乗って
鬼子母神にある日本最古の駄菓子屋さんを
たずねてみてください。

「つぼ」や「掛け軸」などの『国宝』も結構ですが、
生きた日本の文化として、ぜひ次の世紀にも伝えたい風景です。

はとバスさん、下町散策コースにどうでしょうか。

わが家の子どもたちは、
駄菓子のお土産とお店の話を聞いて
「行きたい!行きたい!」と大騒ぎでした。



(参考)

1774 杉田玄白らが「解体新書」を著す。
1776 平賀源内がエレキテルをつくる。・アメリカ独立宣言
1779 このころ田沼父子が権力をふるう(田沼時代)。
1781 日本最古の駄菓子屋「上川口屋」の創業(天明元年)
1783 天明の太飢饉がおこる。
1787 松平定信が老中筆頭になる。 → 寛政の改革  
1789 フランス革命、ワシントン初代大統領就任
1790 朱子学以外の学問を禁止する(寛政異学の禁)。


(2016.1.9追記)
上川口屋さんは、日本最古どころか、
ギネスブックで調べると世界最古の可能性が高いです。

おもひでぽろぽろ 日本最古の駄菓子屋さん 世界遺産?







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