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「ほとんどの自民党支持者は集団的自衛権が憲法違反ではないと考えている」の論理構造とは

2017年08月30日 | 東日本大震災・原発事故
「AならばBである」という場合(左上)、
「Aならば」というのは、「すべてのAは」という意味であり、反例が1例でもあれば反証できます。

「ほとんどのAはBである」という場合(右上)は、かなり曖昧になるけど、語感としては90%くらいが目安になるかもしれません。



例えば「ほとんどの自民党支持者は集団的自衛権の行使が憲法違反には当たらないと考えている」という場合、さすがに自民党支持者であっても1割くらいは憲法違反だと考えている人がいるということ。。(この数字はあくまでも仮定です)

ここで、「Aならば」とか、「Bである」とか、それ自体が自明のことのように書いていますが、これが例えば人の身体に関する情報(検査結果など)であったり、人の考え方や主義主張に関する調査結果などの場合、「AかAでないか」、「BかBでないか」という境界線は明確には引けず、連続的に存在する場合の方がほとんどで、その場合は「AならばBである」などという命題自体が成立し得えません。(左右の下図)

臨床検査データなどの場合は、どこかに<多数データから導かれた>線引きをしているわけですが、その線引きの仕方によって、「感度・特異度」「偽陽性・偽陰性」などを勘案して総合的に判断しています(今回は説明省略)。

また、「AかAでないか」、「BかBでないか」といった方向性(ベクトル)の向きも、同じ平面上で平行していたり直交していたりするとは限りません。

むしろ、三次元上で交わらないベクトルである可能性の方が高く、「AかAでないか」と「BかBでないか」という事象について、関連付けて考えられるかどうかは、それをある一つの平面(二次元)に落とし込んで、相関関係の有無(強さ)で判定することになります。

もちろん、(震災・原発事故以来このブログで)何度も繰り返して書いてきましたが、相関関係と因果関係とは同じではありません。

こんなことは、私のような者が偉そうに書くようなことではないのですが、「エビデンスがない言説」を批判している人が自ら陥りがちなポケットであることを、自省を込めてあえて書かせていただきました。。

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