「かなしきかな、かなしきかな、いかんせん、いかんせん」(法然)
センテンス スプリング誌に依るA大臣の暴きに、日本人の精神構造の一端を垣間見るような気分です。
決して褒められない事件。
そして、その一点に集中して攻撃する風潮、そして国の政治を預かる政治家たち。
視点はひとつしかないのでしょうか。
千載一遇・敵失・清廉潔白・情・成熟・武士の情け・という言葉が浮かびます。
本質論を避け、木の幹を見ず、枝葉だけを議論する風潮はどの政権の時代も変わりません。
このブログで政治論をする気持ちは全くありませんが、戦後70年、国民をリードする政治家や世論に絶大な影響力を
持っているマスコミは成熟し、成長しているのでしょうか。
褒められない事件、片や、やり残した業績評価はどうだったのか、国益に利した点、利していない点についての評論を
目にすることがありません。
「情」だけで見るのでなく「理」の面からどうだったのか、日本人は「情」に偏っているとされています。
倫理性に照らした正しい批判は大切ですが、同時にその人の業績を正当に分析評価して今後の教訓にすることも必要と
思いますが如何でしょうか。
「毀誉得喪は、真に是れ人生の雲霧なり。人をして昏迷せしむ。この雲霧を一掃すれば、則ち天青く日白し」
佐藤一斎のことば。
不名誉、名誉、成功、失敗は真にこれ人生の雲や霧のようなものである。これが人の心を暗くし迷わしめるものである。
この心の雲霧である毀誉得喪をさらりと一掃すれば、天が青く日が白く輝くように人生は誠に明るいものである。
また、西郷南洲の詩で
「世上の毀誉、軽きこと塵に似たり
眼前の百事、偽か真か
近く孤島幽囚の楽を思えば
今人(こんじん)にあらずして古人に在り」
A氏に限らず、人はだれでも予期しない失敗を犯したり予測できない事態に遭遇することもあるでしょう。
そこから教訓を得て心の昏迷から脱出し、次のステップに踏み出したいものです。