畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

(続)山田風太郎 戦中派 虫けら日記から

2018-09-15 10:13:45 | 日記
昭和17年12月3日の日記から

これは「安全頌」といって、沖電気では、毎朝朝礼の後に
交替に1人づつこれを朗唱し、一句ごとに全員がこれを
唱和してあとで安全祈願の黙禱をすることになっている。

作業課でも、毎朝これをやるのであるが、一室百人ちかい
社員の前に出て、課長のすぐ傍らでこれを読むのだから
一人として泰然たる態度で終始する者がいない。
声のふるえる者、顔色の変わる者、文句をまちがえる者、
いろいろであるが、一般に二十歳内外の若者は溌剌と
勇ましく、老人級の主任などの方がまずいようである。


「大霊これを天地に享け、肉身これを父母に嗣ぐ。
万世一系の聖天子上におわしまし、秀麗の山河永えに存す。
吾らこの神州に生を享け、体すこやかに気澄みて、今日もまた
生産のわざに従う。
太陽は炳乎(へいこ)として天に輝き、至誠は炎々として
胸奥に燃ゆ。

皇国産業の興廃はかかって吾らの双肩にあり。
炎熱屈せず沍寒(ごかん)たゆまず、力を協せて産業立国の
大道に精進せん。
病める人、傷つける友を思えば、溌剌として働き得る身の
なんぞ幸いなる。
一瞬の油断は忽ちにして身を破り人を傷つく。

切々の注意、念々の緊張、安全第一こそげに吾らの信条なれ。
父母あり吾らの安らけきを念じ、児女あり吾らのつつがなきを
待つ。
国安かれ民安かれと祈り給ふ大御心の厚きを思えば、
いかでかこの不慮の災禍に損うべき。
願わくば身心ますます壮健にして、いよいよ報国の業に
いそしまんことを、いでやつつしみ畏みて祈らん。
天地新明も照覧あれ」

以上は全て引用です。

こんな朝礼を現代にやったらどうなるのか、イメージ
してみると時代は天地がひっくり返るほどの変化で
あることを実感します。