レッドグランパ公式ブログ
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モデルグラフィックスを毎月読んでおられる方はご存知かと思いますが、哀原善行(仮名)氏のガンプラ製作における秘訣を掲載してあった号がありまして、その内容がとても衝撃でした。それまでガンプラにおける自分の知識はほとんど役に立たないと思わせる内容だったのです。


その内容を説明する前に私が子供の頃に造っていたガンプラ環境についてお話します。


第一次ガンプラブーム(私が中学生の頃だから28年前!)のときには「HOW TO BUILT GUNDAM」等のガンプラ製作教材等もあり、当時可動部分も少なくお世辞にもスタイリッシュとは言えないガンプラを如何に可動させカッコよく造り上げるかというのがガンプラ製作における王道でした。

今でも所有しているガンプラ製作のバイブル的存在です。色んな製作方法が掲載されてます。


動かないゲルググの肩をピラニアソーで切断して可動部分を自作したり、ガンダムの顔をバラバラにしてより立体的にしたり、プラバンやポリパテを使ってスタイルをより劇中に近づける等、思えば中学生の宮脇少年は受験勉強そっちのけでガンプラを製作していたものでした(笑)。

初代ガンプラがこれだ!ボロいっ!ボロすぎる(涙)!これを一所懸命バラバラにしてかっこよくフルカスタムしたものである。
今にして思えばフルスクラッチしたほうが早かった気もする。

まあ、お陰で私の部屋は受験生とものとは思えないほどシンナー臭く、手もカッターにより切り傷が絶えなかったものです。親はひょっとして息子がグレてると思ったかもしれませんね(爆)。


そんな私も高校に入るとプラモデルから遠ざかり大学へ進学し会社員になるにつれてほとんどプラモデルというものを造らなくなった頃、究極のガンプラを造るというプロジェクトがホビージャパン誌とバンダイとの間でスタートし、現在のマスターグレードシリーズ第1号が発売されました。


その後もどんどん新作が発表されついに100作を超える長寿シリーズとなったのはいうまでもないのですが、当時の中身スカスカのガンプラとは違い、フレームを造り上げ装甲を被せていくマスターグレードシリーズはスタイルも格段に良く、無理に改造しようものなら無限地獄に陥るのです。


そんな時にガンプラをもう一度造ってみようと、言わば返り咲きおっさんモデラーと化した私でしたが、パーツ数も多く、以前までの製作方法で作業を進めようと思うととても膨大な作業量となってしまい、途方に暮れていたのです。


その時、哀原善行(仮名)氏の記事を読んだときが衝撃だったのです。その一文が


「改造して満足するという時代は終わった」


との事。それまでの私はバイブル「HOW TO BUILT GUNDAM」の亡霊に魂を奪われたかのように切った貼ったの改造をしていたのです!


氏が製作した1/100ドムを観てさらに驚愕したのが、スタイルや可動部分はほとんど未改造なのに、素組みのそれと氏の作品では明らかに仕上がりが違うのでした。


塗装の違いなのか?とも思いましたが、(多少はあるが)そうでない決定的な違いがあったのです。


それは「プラモデルに見えない究極の製作ポイント」が数多く盛り込まれていたからに他ならなかったのです。



それは一体何なのか!?



気になるでしょう?


気になる人はモデルグラフィックス読んで下さい(爆)




それではスナップオンコーナーへ

富山トヨタ松島さん。
DUAL80(FKF80)をお買い上げ!


ヤナセ渡辺くん。
人気急上昇のCTEKバッテリーチャージャーをお買い上げ!
しかし撮影のモデルは影武者ヨッシーだった。


それではまた明日

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