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万葉集で有名な大伴家持、高岡ゆかりの政治家、歌人だ。

これまで大伴家持や万葉集というものは知っていたが、それこそ名前を知っているだけで、万葉集というものが日本文学の位置づけとしてどうということまでは知らなかった。

ところが今回長男の夏休みの宿題で高岡市は伏木にある「万葉歴史館」へ行くことになったので一緒に行くことにした。俺も年のせいか色々と日本古来の文学や歴史に興味を持ち始めたのだ。まあ今回の主役は宿題をする長男だから控えめにしなければならないのだが。

万葉歴史館へ入館して展示物を眺めているとボランティア職員の方が声を掛けてこられた。嫁さんが子供の課題学習のために来たことを話すと親切に万葉歴史館の成り立ちから万葉集、大伴家持のことを教えて下さった。丁寧な説明のお陰で当時の歴史背景から文明や技術の度合い等を含め万葉集について深く理解することが出来た。職員さんの説明って凄いもんだな、年恰好からおそらく昔は教鞭でも揮っておられ今は引退されて現職に就いたのだろうか。

万葉集は長い年月を経て江戸時代にようやく庶民に読まれるようになったそうだ。それまでは一部の知識人が万葉集の素晴らしさを後世に伝えるべく編集に編集を重ねて伝えられたとのこと。歴史の重みを考えさせられます。

万葉集の歌集として現存する最古の古写本(写真はレプリカ)。本物は加賀前田家が所有していたそうだ。紙が貴重だった時代に金銀を装飾した色紙を使った豪華な仕様である。

普段の練習には木の板を使い小刀で修整しながら短歌を詠んでいたようだ。金属の加工や紙の製造はどうしていたのか?疑問に思ったので職員さんに尋ねてみると、当時は遣唐使といって中国へ技術の習得に行っていたそうだ。そういえば昔授業で習いました。

遣唐使船の模型を前に天龍記念撮影。当時は4隻渡って1隻帰ってくる過酷な旅だったそうだ。先人達の命懸けの偉業が今の技術の礎となっている。

さて大伴家持は万葉集の1割程度の作品しか携わっていないらしい。では何故大伴家持イコール万葉集なのか訊ねてみると、最終編集を大伴家持が担当したからだとのこと。なるほどね。それにしてもこの万葉集って世界的にも有名な文学作品らしい。中沖前知事がフランスのあるレセプションに参加した際、富山から来たことを説明すると「あの万葉集の富山か!」と歓迎されたらしい。文学好きのフランスらしい話だが悪い気はしない。

越中国府のあった勝興寺。ここで約5年間国守を務めた家持は多くの歌を残した。

大伴神社で記念撮影。

とにかく一度行っただけではなんとなく理解した気がしただけでブログに書こうと思っても「あれどうだったっけ?」となんてしまう始末。お恥ずかしい限りです。また行ってみようかな、と思います。

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