K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

おまつり

2010年9月19日(日)晴


東中野の氷川神社の氏子はかなり広範囲だったようです。詳しく調べたことはないのですが、中野駅の北口一帯から東中野にかけて、中野駅の南の青梅街道を東へ新宿区までの中央・本町までの地域です。なので、現在では中野区東部14町会が東中野の氷川神社の例大祭に際しお祭りを開催しているようです。
子どもたちが小中学生の頃は町内の子ども会に属していたので、コッコーも毎年山車にかり出されましたが、子どもたちが成長するとお祭りにも縁がなくなってしまいました。ところが、タヌキが数年前に選挙の立会人になると、町会の活動にかかわるようになりました。後でわかったことですが、選挙の立会人は町会から1人出るということらしかったので、町会の組織の中にタヌキも組み込まれてしまったのです。それから4年くらいかな、毎年お祭りに深くかかわるようになりました。最初の年は町内の奉納者の氏名の短冊を作るのにタヌキ、ウサギとコッコーで夜明けの4時まで悪戦苦闘しました。しかし、今年はタヌキ一人で1日前にラクラク仕上げ、お祭り当日にお神酒所に奉納品などを届けてくださる札作りにコッコーもちょっとお手伝い程度ですみました。いつもは山車とお神輿の町内巡行時にタヌキはお神酒所でお留守番をしていましたが、今年はお神輿を担いだようです。明日腰にこなければいいのですが、、、。

奉納者の札


お神酒所


お神輿といっても子ども神輿です。町会内は住宅街で商店なく資金もお大人の担ぎ手もいないので可愛い子ども神輿と山車の町内巡行です。小学生の低学年の児童がお神輿を担ぐといってもぶら下がっているので、大人のお手伝いは神輿と子どもたちの重みを担ぐことになりかなり骨が折れます。







タヌキは午後7時ごろ威勢よく帰宅しましたので、小学生から元気をもらったのでしょうね。後が心配(内緒よ)・・・明日は7時半から片付けとのことです。

昨晩、住まいから5分の東中野の氷川神社へ行ってきました。
午後10時を周っていたので、拝殿の扉は閉まっていましたが、結構賑わっていました。



拝殿







この神社は環状6号線(山手通り)沿いです。
環状6号線の歩道橋からパチ


青梅街道の宝仙寺商店街の提灯



奉納者への返礼品


氷川さんのお札の右の祝の熨斗はコッコーが作りました。ネット上の無料の熨斗のサンプルを探すのに苦労しましたが、、、



氷川神社の由来について少し説明します。
平安時代の半ば11世紀の20年代以降、藤原道長の全盛期にかげりがでてくる情勢を象徴するかのように京を遠く離れた各地に地方勢力(武士の前身)による反乱がいくつもおこります。東国では平忠常の乱が有名です。朝廷は東国(関東)で反乱を起こした平忠常を討つようにと甲斐国国司・源頼信に命じました。源頼信は戦勝を祈念して武蔵国一宮大宮氷川神社の神を中野村に分祀(1030)しました。これが東中野の氷川神社の由来です。
※ 源頼信は清和源氏の一派、河内源氏の出身でした。河内源氏は藤原摂関家に仕え各地の国司などの役職をえました。源頼信が平忠常の乱を平定したことにより、朝廷に信任されるようになり、源氏が東国に勢力を広げるきっかけをつくりました。有名な源八幡太郎義家は孫にあたります。鎌倉幕府を開いた源頼朝は義家の4代あとになります。
武蔵国一宮大宮氷川神社は武蔵野国の総本社です。東中野氷川神社は旧中野村の総鎮守社です。
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