K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

神田川の桜

2013年3月29日(金)薄晴れ

東京の桜は舞い始めました。


久方の 光のどけき 春の日に
      
    しづ心なく 花の散るらむ 

                     
                  紀友則 『古今和歌集』


私「今日あたりは神田川のさくらも友則の歌の感じじゃないかな」
タヌキ「まだじゃないか」

というわけで私一人でNIKON D60 をもって桜を見に出かけました。
神田川沿いの遊歩道は住まいから歩いて3分ほどです。


大久保通りにかかる末広橋のたもとに♪神田川♪の歌詞の碑があります。


末広橋から新宿西口超高層ビル(北新宿と言った方が正しいかな)を眺めました。
黒いビルが一番新しいです。屋上にはクレーンが見えます。


末広橋から下流へ1KMほど歩きました。





















桜の下の植え込みのおはなたちです。 レンギョウ


オオイヌフグリ


シャガ


ショカツサイ




最初に書いた和歌は教科書にも出ているのでどなたでもご存じだと思いますが、作者、紀友則はあまり馴染みがないのではと思いますので、耳学問ですが、少し説明します。
905年に完成した最初の勅撰和歌集「古今和歌集」の撰者として紀貫之は有名です。紀友則も撰者の一人です。40歳になっても官職を得られなかった友則の和歌を左大臣藤原時平は高く評価して、「古今和歌集」の撰者に推薦しました。残念なことに病のため「古今和歌集」完成前に没しました。
※ 藤原時平は899年に左大臣に就任しました。この時、右大臣には菅原道真がつきました。
時平は藤原北家という貴族の中でも最大の家柄なので、左大臣になるのは当然ですが、道真の位階では右大臣に就任するのは異例のことでした。そこで多くの貴族からねたまれました。そのようなことで時平は道真を大宰府に左遷させてしまいます。道真は大宰府に到着しましたが長旅の疲れで病となり失意のうちに死んでしまいます。
時平は醍醐天皇の御世に左大臣として政治手腕を発揮しますが39歳の若さで病死します。人は道真のたたりといいます。
時平は道真を蹴落としたことで悪く言われることもありますが、紀貫之よりも和歌の才能をもつ友則を撰者にした時平の教養はたいしたものだったと思います。



さてさて、実家の庭のボタンが咲きました。




今日の1品

15分くらいでできる簡単なおすし  美味しかったです



新聞に掲載されていたレシピを参考にしました。

ご飯は前日のものなので、チンしてすし酢をふりかけます。
具はサバの水煮缶を汁ごとフライパンに入れて、砂糖・醤油を各小さじ1と生姜汁を入れてかき混ぜ火を付け煮詰めます。煮詰めている間に菜花をさっと茹でる。胡瓜をスライスして塩を振る。サバ缶を煮詰めたものお皿に取り出して、フライパンを拭いて玉子2こで入り玉子を作り最後に菜花を加えて、水分を飛ばし火を止める。
サバを煮つめたものとキュウリをきゅっと絞ってご飯と混ぜて器に盛り、いり玉子をかける。

コメント一覧

K RAUM
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神田川は近いのですが、なかなか行くチャンスがありませんでしたが、
ちょうど満開でラッキーでした。

入間川沿いの桜を拝見しに伺いますね。
おはようございます

牡丹がもう咲いたのですね~~。

昨日はお花見日よりでしたね。
神田川も満開のさくらでとてもきれいですね。
偶然にも私も家から3分ほどの入間川をカメラを持って散策してきました。
大根の花、咲いていました。同じように写真を撮っていました。自然カメラを向けてしまいましね(笑)

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