今朝の佐賀新聞で「LIVE編集局」の校務日誌
という文字が目に飛び込んでいました。
そうです、本校の校務日誌のことが書かれてありました。
ある人物から聞いたことですが、
戦争中の校務日誌、とりわけ昭和20年8月9日以降
長崎で原爆の被害にあった方々が
鹿島小学校の講堂に運ばれ治療を受けていたという事実です。
実際、校務日誌にはどの様なことが書かれてあるのか
読んでみたことがあります。
8月15日付佐賀新聞に記載されてあることそのままでした。
現在、その当時の講堂は東校舎
に変わっていて面影もありません。
その校舎も本年度中に取り壊すことになっています。
それでもその当時のことについて語ってくれる人はたくさんいます。
戦争の、原爆の悲惨さを忘れないために
記念碑を建てようと言うことも決まっています。
北校舎が改築されれば、本校の敷地の一角に
記念碑が建立されるはずです。
私たちは、そのことをずっと本校の子ども達に語り継ぎ
戦争と平和について考えさせていかなければなりません。
という文字が目に飛び込んでいました。
そうです、本校の校務日誌のことが書かれてありました。
ある人物から聞いたことですが、
戦争中の校務日誌、とりわけ昭和20年8月9日以降
長崎で原爆の被害にあった方々が
鹿島小学校の講堂に運ばれ治療を受けていたという事実です。
実際、校務日誌にはどの様なことが書かれてあるのか
読んでみたことがあります。
8月15日付佐賀新聞に記載されてあることそのままでした。
現在、その当時の講堂は東校舎
に変わっていて面影もありません。
その校舎も本年度中に取り壊すことになっています。
それでもその当時のことについて語ってくれる人はたくさんいます。
戦争の、原爆の悲惨さを忘れないために
記念碑を建てようと言うことも決まっています。
北校舎が改築されれば、本校の敷地の一角に
記念碑が建立されるはずです。
私たちは、そのことをずっと本校の子ども達に語り継ぎ
戦争と平和について考えさせていかなければなりません。