戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

24年8月22日 甘納豆の英語名?

2012-08-22 10:52:52 | Weblog
 アメリカの姉から日本の低周波治療器が欲しいというのでパナソニックの物を送った。簡単に送れると思って妹に頼んだら、郵便局でこれ以上分解出来ぬほどばらばらにされ厳重に調べられたと聞いて驚いた。多分何かの材料にされるような物と勘違いされたのだと思われる。もう1台高周波治療器を用意してあるのだが考えている。発送に当ってそんなに時間を取られたのでは敵わない。アメリカでは即席ラーメンでも醤油でも何でも売っているというがやはり日本で売っている物のほうが美味しいらしい。あちこち手を尽くせば手に入るだろうが面倒なのだろう。食べる物では煎餅と甘納豆が欲しいというのでデパートに行き、手当たり次第にかごに入れた。荷造りをして姉の口に入る迄航空便でも早くて1ヵ月はかかる。こんな物が一番良い贈り物です。安いものです。

24年8月21日 磁気が直ぐ取れるカード。

2012-08-21 16:23:26 | Weblog
 私のメインバンクのキャッシュカードは使えた事がありません。その度に作り替えてもらっているのですが、自宅に送られてくるのは10日か15日後です。その都度必要な額を印鑑を押して払い戻します。そして自宅に届いたカードで下ろしに行くと又磁気が無くて下ろせません・・・・・の繰り返しです。私は他のカードと一緒に財布に入れておくのですが、この銀行のカードだけです。おかしなおかしな話ですね。


24年8月21日 その2 蟻が群がっていた蝉。
 今日昼間家に帰ったら昨日まで蟻の群がっていた蝉の姿は無く、蟻も1匹も見えなかった。あんな大きな蝉をどうやって小さな蟻の巣に入れるのかと不思議でならない。あの蟻の集団はこの冬の彼らの食料を全て用意出来たのだろうか。人間はともすると蟻に及ばない。動物で親が一番先に捕らえた餌を食べる時があるのは、親が先に死んでしまうと子供を育てられないからだと聞いている。時々動物の生態を観察すると良い教訓を得られるかもしれない。

24年8月20日 乳癌の再々検査。

2012-08-20 14:38:38 | Weblog
 人間ドッグは未だ終わらない。今日は乳癌の検診で朝10時には病院の待合室の椅子に座っていた。自分で触っていたが絶対に乳癌にはなっていない、という確信を持っていた。それが先日の検査で乳腺に異常あり、と捕まってしまった。再検査の結果又検査をするというので今日で三回目になる。それが今日の10時半から。若しかして乳癌と云われても自分では分らないほど小さいのだから・・・と何度も自分に言い聞かせてみても不安は募るばかり。小さくても悪性という事もあるなどと考えなくても良いような事ばかり胸に浮かぶ。ここは乳癌専門の病院なので患者は女性ばかり。でも結果は意外に早く分った。何でもなくカメラに写ったのはカルシュームの石灰化した物で大きさはマッチ棒の頭より小さかった。あとは肺に写った幾らかの影と甲状腺のみ。
永年穿けば草履やズックも擦り切れて汚くなる。肺の方は10月半ば、甲状腺は来年1月に結果を聞く。80年近く使ったのだからこの位悪くなっても仕方がない。支払った4000円弱の金額が非常に安く思えた。

24年8月18日 身体中悪いところばかり

2012-08-18 17:11:51 | Weblog
 人間ドッグは数々の不安を残して終わった。それと胃カメラをのんだ痛みが結構酷い。前に何度かのんだ事はあるがこんなに痛かった事はない。喉の下の痛みはあと数日かかりそうで毎日おかゆを食べている。胃の異変と乳腺の異変も見つかり、若し手術となったらと恐れおののいている。三分の二切り取った胃の下両端に少しの異変があるのでそれをつまむような簡単な場合でも又胃カメラのお世話になる。又あの思いをするのかと思うと絶対に全身麻酔でやって欲しい。もっと良いのはしばらくは観察していきましょうといわれる事。若し、ここでやるなら断る以外はない。甥が赤羽西口で開業しているがそこも全身麻酔である。遠いので脚の悪い私には・・・と思って近い所を選んだのが間違いだった。私は弱虫だが弱虫でない人も苦しい筈。全身麻酔をやった人の話を聞いたが寝ている間に終わっていてこんな楽な事はない。以前は鼻からやった事もあるがこれももっと楽だった。検査は手術より苦しいといわれているが本当のようだ。この胃カメラの結果を聞くのは9月4日だが若し幾らかでも異変が無い事を祈るがあったら即赤羽に連絡をとる。脚を引きずりながらでも行く。


24年8月17日 人間ドッグの再検査で悲しむ。

2012-08-17 15:16:44 | Weblog
胃カメラは9時半から。全身麻酔ではないので本当に苦しかった。あとは乳腺の異常と甲状腺の再検査が残っている。今月は検査、検査で終り。しかも殆ど○ではなく×。若し、説明の結果又胃カメラを飲むようであれば赤羽に逃げて行く。此処は寝ているうちに終わる。数年前やったが全身麻酔なので起きた時はすっきりしている。喉や鼻からでは非常に苦しく、通過する器官を傷める可能性もある。病院によって全身麻酔と喉や鼻からのふた通りあるけれど、喉からも鼻からも苦しい。近い病院で苦しむより少し時間がかかっても楽な方が良い。でも大病院に来ると駐車場は満杯、付き添いも含めて人間が溢れかえっている。私もそのひとりだが、こんなに病人がいると思うと何でもなかった健康な時代に何故もっと身体の事に気をつけなかったのだろうと悔やまれてならない。怪我でもない限り病気は音も無く忍び寄ってきている事をお忘れなく毎日を送って下さい。

24年8月16日 本日より営業。

2012-08-16 13:36:48 | Weblog
 お盆で当社は15日まで休み。今日から平常営業となる。大体のお盆さんのお客は一昨日迄で最後の一人が昨日来てそれで終わりだった。用事が無いからと庭に出てプランターなどいじっていると電話が鳴って落ち着いてもいられなかった。結局はテレビなど見ているだけの毎日だった。一回だけ会社に来てみたが訪れる人も無く、電話も鳴らずお盆休みは定着してきたようだ。
お盆が明ければ会社だけではない。明日17日は午後1時半から胃カメラが待ち受けている。おかしいところがあるというので内心はお盆どころではなかった。明日は胃カメラ、その後は乳腺、10月には甲状腺の再検査が待ち受けている。この年になれば部品は殆ど全部錆びついている、と思う事にして悩まない事にしたが・・・・・

24年8月12日 八苦の娑婆 

2012-08-11 15:07:15 | Weblog
お盆が来るとお寺にお墓参りに行く。脚を引きずりながらの墓参りは初めて。御先祖様、何で私にばかり怪我をさせるのですか?というような事は云ってはいけない、今日あるのは御先祖様のお陰と云えと母に云われている。そのように今後の家を守る者にも教えておいた。今年のお盆は本当に涼しい。蝉もあまり鳴かず、もうとんぼが止まっているのを見た。盆の半ばに秋風ぞ吹くといわれるように人生も若いと思っている時にはもう下り坂に入っている。私はそんなどころではなく、もう片足を何かにつっ込んでいるという年齢なのでお墓も縁遠くは感じなかった。今年は初めて「近いうちお邪魔しますよ」と云ってきた。極楽なんてある筈がない、あるのは八苦の娑婆だけだというが、父や母や弟がいる所と思うと妙に懐かしい。皆さん 待ってて もう少しで私も行きます。

24年8月10日 人間ドッグの結果を聞きに。

2012-08-10 17:34:29 | Weblog
昨日から気になってならぬ。年が年だからどうなっても仕方がないと思っていたけれど、若し大きな病名を告げられたら・・・・・死刑の宣告にも近い衝撃を受けるに違いない。心当たりは幾つかある。検査の途中でも気になる事をいわれたし、これで何ともなければ良いと思いながら行ったが・・・・・一番心配していた子宮癌と乳癌は何とか切り抜けたが、安心していた胃癌に心配な兆候があった。私は平成元年に胃のう胞で胃を3分の2切り取っているが、それ以来は胃腸ほど丈夫なところはないと思っていた。でも丈夫でも癌は出来る。1から5に分けて判断すると私の胃は4位。4と3の間かもしれない。お盆明けに再び胃カメラをのむ。それで癌の兆候が大きかったら本当に死刑の宣告。でも妹は胃癌で胃を切り取って5年にもなるがなんともない。それに分っている事は私の腫瘍は良性。それまで考えないようにしよう。



24年8月9日  その2  温室の解体。

2012-08-09 15:58:59 | Weblog
 40坪弱の家の解体を頼みましたら40年前に建てた建築費より多くかかりました。要らない物なので仕方なく解体を頼みましたが本当にうんざりします。同じく蘭に凝っていた頃作ったガラス張りの1坪半位の温室があり、しばらく使わないのでいましたが知り合いの人が欲しいというので持っていけるならばとあげました。こちらは再利用するので解体費が2万円、運賃と再組み立て費で幾ら掛かるのか聞いていませんが多分新品を買うより安く済むのでしょう。温室などは古くても気になりませんし最近の安物よりも良いかもしれません。ただで処分できてうまい事をしました。

24年8月9日 作新の優勝を夢見て。

2012-08-09 11:33:24 | Weblog
 甲子園で熱戦が繰り広げられている。地元の学校が勝っている時は熱が入るものであまり野球の分らない私でもつい夢中になる。私がずっと若かった時、店も東武駅の前にあった。その年の夏、作新の春夏優勝があって市民の熱狂的な歓迎を受けた。その頃東武前の商店街はアーケードがあり、そのアーケードがよくもつぶれなかったものだと思うほど市民が鈴なりになって押し合いへしあいをしていた。私も店の2階の窓ではアーケードの人波に邪魔されて全く見えないので窓からアーケードに出て前の方にもぐりこんで優勝旗を持って誇らしげに行進する球児達に拍手を送った。今でもその熱気と興奮は覚えている。彼らはその真夏の暑い陽照りの中を今の宇都宮の西口から東武駅まで凱旋行進で締めくくった。夢よもう1度、と多くの人が祈っている。