沼津市戸田に「松城家住宅」という国指定の重要文化財の建物があります。
老朽化による補修工事を6年の歳月をかけて行われ昨年秋に公開の運びとなりました。
以前から興味がありましたので今日行ってみました。
沼津から戸田へは海沿いを走って行きますが、今日はお天気はよろしいのですが、富士山は雲の中で道中海越しの富士山を見ることはできませんでした。
松城家は江戸時代後期から廻船業で財を成した家で、この住宅は第2代兵作の時でこの住宅のキーワードは「擬洋風建築」です。明治5年から明治9年にかけて建設されました。
門を入ると正面にミセと呼ばれる孔子に囲まれた場所があります。帳場として使用されていて、2階は使用人の住居となっていた為天井を高く作ってあります。今は入場券売り場となっています。
東土蔵、海鼠壁と黒漆喰の格式高い建物です。
屋根に鬼門を睨む漆喰彫刻の鬼瓦があります。
母屋と庭の間にある「両袖塀付門」、アーチ状に組まれた門で使用建築の雰囲気があります。これも擬洋風建築の一つです。
文明開化の波で建築も西洋の文化を積極的に取り入れる傾向がありましたが、地方の大工は西洋建築に携わったこともなければ、知識もありませんでしたので、今まで培った技術で西洋風に近づけた和洋折衷の建築が擬洋風建築となりました。
擬洋風建築のその2
鎧窓が3つ並んでいますが実際の窓は向かって右の一つだけです。後は漆喰で作られた窓です。
壁も石積みのように見えますが漆喰でできています。
建物の中は右側の窓だけ見ることができます。
ワキゲンカンの入り口に漆喰鏝絵が飾られています。伊豆出身の名工入江長八の作です。
ジョウダンノマ、一段高くなっています。内部は和風建築となっています。
ホンゲンカンは大切な客人を迎えると言う場所から手の込んだ作りとなっています。
欄間の透かし彫りは三島大社の社殿も手掛けた大工の石田半兵衛ゆかりの作
実物は2階に飾られています。
2階は洋風の感覚がありま。
応接間、天井は洋風ですが床は畳敷です。
文庫蔵
扉の下に松城家を表した松の紋様がついています。
ざっと巡ってきました。
明治初期西洋に追いつこうとする気概とその建物を旧来の技術を利用して建築した大工の技術を感じました。
戸田という土地柄、良港を控えた地域ですので財を成した松城家の当時の意気込みを感じました。
老朽化による補修工事を6年の歳月をかけて行われ昨年秋に公開の運びとなりました。
以前から興味がありましたので今日行ってみました。
沼津から戸田へは海沿いを走って行きますが、今日はお天気はよろしいのですが、富士山は雲の中で道中海越しの富士山を見ることはできませんでした。
松城家は江戸時代後期から廻船業で財を成した家で、この住宅は第2代兵作の時でこの住宅のキーワードは「擬洋風建築」です。明治5年から明治9年にかけて建設されました。
門を入ると正面にミセと呼ばれる孔子に囲まれた場所があります。帳場として使用されていて、2階は使用人の住居となっていた為天井を高く作ってあります。今は入場券売り場となっています。
東土蔵、海鼠壁と黒漆喰の格式高い建物です。
屋根に鬼門を睨む漆喰彫刻の鬼瓦があります。
母屋と庭の間にある「両袖塀付門」、アーチ状に組まれた門で使用建築の雰囲気があります。これも擬洋風建築の一つです。
文明開化の波で建築も西洋の文化を積極的に取り入れる傾向がありましたが、地方の大工は西洋建築に携わったこともなければ、知識もありませんでしたので、今まで培った技術で西洋風に近づけた和洋折衷の建築が擬洋風建築となりました。
擬洋風建築のその2
鎧窓が3つ並んでいますが実際の窓は向かって右の一つだけです。後は漆喰で作られた窓です。
壁も石積みのように見えますが漆喰でできています。
建物の中は右側の窓だけ見ることができます。
ワキゲンカンの入り口に漆喰鏝絵が飾られています。伊豆出身の名工入江長八の作です。
ジョウダンノマ、一段高くなっています。内部は和風建築となっています。
ホンゲンカンは大切な客人を迎えると言う場所から手の込んだ作りとなっています。
欄間の透かし彫りは三島大社の社殿も手掛けた大工の石田半兵衛ゆかりの作
実物は2階に飾られています。
2階は洋風の感覚がありま。
応接間、天井は洋風ですが床は畳敷です。
文庫蔵
扉の下に松城家を表した松の紋様がついています。
ざっと巡ってきました。
明治初期西洋に追いつこうとする気概とその建物を旧来の技術を利用して建築した大工の技術を感じました。
戸田という土地柄、良港を控えた地域ですので財を成した松城家の当時の意気込みを感じました。